蒙求は、唐の李瀚が経史から歴史人物の逸話行跡を集約抜粋して著した、伝統的な中国の初学者向け教科書です。
日本には平安時代に伝えられ、鎌倉時代から江戸時代にかけて、武家・僧侶・町人にいたるまで勉学の第一歩としてこれを暗誦されたようです。
内容は、数多くの偉人たちの故事来歴を詳しく調べ、その業績の内容を適切な「四字成句」にし、韻を踏んで暗誦しやすいように配列してあります。
本文は四字句押韻の対語で596句2384字からなり、偶数句の句末で押韻し結語にあたる最後の4句以外は8句ごとに韻を変えている形式をとっています。
なお、『源氏物語』『徒然草』『平家物語』などや歌舞伎の筋立てや川柳俳諧の世界に至るまで、この蒙求の説話をヒントにした作品は数多あり、日本においてはまさに百科事典のごとき佳書だったことが伺えます。
中でも最も有名な故事成語としては「蛍の光 窓の雪」と卒業式でなじみの『孫康映雪 車胤聚蛍』(蛍雪の功)であり、「天知り 神知り 我知り 子知る」のことわざで名高い『震畏四知』、また「漱石枕流」などがあります。
<a href="http://jigen.net/koten/mougyu_11" target="_blank">蒙求|巻之一</a>
<a href="http://www.sap.hokkyodai.ac.jp/nakajima/waka/data/mougyuu.html" target="_blank">『蒙求』徐注本標題</a>
以下参考までに、簡単に目次と典拠などを一部整理しておきます。
巻上     典拠    登場人物     故事等
1.王戎簡要 晋書    王戎       視日不眩
2.裵楷清通 晋書    裵楷       武帝策得一
3.孔明臥龍 蜀志    諸葛亮      三顧
4.呂望非熊 六韜    太公望呂尚、文王 
5.楊震関西 後漢書   楊震       鸛進三魚
6.丁寛易東 漢書    丁寛、田何    
7.謝安高潔 晋書    謝安、高崧    蒼生を如何
8.王導公忠 晋書    王導、元帝    蒼生何由、吾蕭何
9.匡衡鑿壁 漢書・西京雑記 匡衡、文不識 無説詩、客作
10.孫敬閉戸 楚国先賢伝          縄を以て頚に懸く
11.郅都蒼鷹 漢書    郅都、竇太后   匈奴偶人を作る
12.寗成乳虎 漢書    寗成、公孫弘   束湿薪、狼牧羊
13.周嵩狼抗 晋書    周嵩、三子、王敦 
14.梁キ跋扈 後漢書   桓帝、質帝    鳶肩犲目、朝廷為に空し
15.郗超髯参 晋書    桓温       能令公喜、能令公怒
16.王珣短簿 晋書    桓温、謝玄    大手筆の事、肥水の戦、風声鶴唳 
17.伏波標柱 後漢書・広州記 馬援、徴側  老益、矍鑠
18.博望尋河 漢書・史記   張ケン    持節、支機石
19.李陵初詩 漢書・史記   李陵、蘇武  降匈奴
20.田横感歌 史記    田横、高祖、二客、五百人 自剄、李周翰「挽歌論」
21.武仲不休 後漢書   傅毅       魏文帝「典論」(文人相軽)
22.子衡患多 晋書・述異記 陸機、張華   獲二俊、じゅんさい、筆硯を焼く、華亭の鶴唳、黄耳
23.桓譚非讖 後漢書   桓譚、光武帝   
24.王商止訛 漢書    王商、成帝、王鳳 真漢相
25.ケイ呂命駕 晋書    ケイ康、呂安    ケイ康好鍛
26.程孔傾蓋 孔子家語  孔子、程子、子路 
27.劇孟一敵 漢書    劇孟、周亜夫   
28.周処三害 晋書    周処、孫秀    忠孝不得両全、大臣殉国 


日本ではすっかり忘れ去られてしまった蒙求ですが、日本文学や文化芸能に多くの影響を与えているこの書物を改めて見直してみる機会になればと思います。
<a target="_blank"  href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4044072213/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4044072213&linkCode=as2&tag=kiyonorishuto-22&linkId=b3b9d6f489adbe417277789910ef9234"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=4044072213&ServiceVersion=20070822&ID=AsinImage&WS=1&Format=_SL250_&tag=kiyonorishuto-22" ></a><img src="//ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kiyonorishuto-22&l=am2&o=9&a=4044072213" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><a target="_blank"  href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/489619215X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=489619215X&linkCode=as2&tag=kiyonorishuto-22&linkId=c9c9d1ef9de3b7f4f68908f4148b089b"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=489619215X&ServiceVersion=20070822&ID=AsinImage&WS=1&Format=_SL250_&tag=kiyonorishuto-22" ></a><img src="//ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kiyonorishuto-22&l=am2&o=9&a=489619215X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><a target="_blank"  href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4625663407/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4625663407&linkCode=as2&tag=kiyonorishuto-22&linkId=9fa707720808c482ba79ef30a05189dd"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=4625663407&ServiceVersion=20070822&ID=AsinImage&WS=1&Format=_SL250_&tag=kiyonorishuto-22" ></a><img src="//ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kiyonorishuto-22&l=am2&o=9&a=4625663407" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />
<a target="_blank"  href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4625570581/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4625570581&linkCode=as2&tag=kiyonorishuto-22&linkId=fbad80520a88e4c3a79e61360f953399"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=4625570581&ServiceVersion=20070822&ID=AsinImage&WS=1&Format=_SL250_&tag=kiyonorishuto-22" ></a><img src="//ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kiyonorishuto-22&l=am2&o=9&a=4625570581" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><a target="_blank"  href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9BSN0/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000J9BSN0&linkCode=as2&tag=kiyonorishuto-22&linkId=f1b6acac9d4ec27b0658d8393e9cd8fb"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&MarketPlace=JP&ASIN=B000J9BSN0&ServiceVersion=20070822&ID=AsinImage&WS=1&Format=_SL250_&tag=kiyonorishuto-22" ></a><img src="//ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=kiyonorishuto-22&l=am2&o=9&a=B000J9BSN0" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />
以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

<strong>【1.王戎簡要】</strong>
晋書にいう。
王戎あざなは濬沖、琅邪臨沂の人である。
幼くしてすぐれかしこく、風采もすぐれ、太陽を視ても眩む事はなかった。
裴楷が評して言った。
「王戎の眼は爛爛として巖下の雷光のようだ」
阮籍は王戎の父である王渾と昔からの友人であった。
王戎が十五になると王渾に従って郎舎にいた。
阮籍は自分より二十歳年下であるが王戎と交友を結んだ。
阮籍は王渾に会いに行くたびにさっさと辞去し、すぐに王戎のところに行きしばらくしてから帰っていった。
そして王渾に言った。
「濬沖は清賞で卿のともがらではない(貴方とは比べ物になりませんな)。卿と話をするより、戎ちゃんと一緒に清談するほうがずっと良いですな」
(王戎は)官を経て司徒に昇った。
晋の裴楷あざなを叔則、河東聞喜の人である。
かしこく見識度量があった。
若くして王戎に等しい名声を得ていた。
鍾會は(当時の相国である)文帝(司馬昭)に推薦し、相国の掾に召された。
吏部郎に欠員が出ると司馬昭は鍾會に問うた。
鍾會は答えた。
「裴楷は清通、王戎は簡要でどちらも適任です」
そして裴楷が用いられた。
裴楷は風采は高邁、容貌も俊爽で博学で群書に通じて、特に里義に精しかった。
当時の人は(裴楷のことを)玉人と言った。
またこうも言った。
叔則を見れば玉山に近づくように人を照らしかがやかすようだ。
中書郎に転任し官省に出入りすると、人々は粛然として身だしなみをあらためた。
武帝(司馬炎)が践祚して皇位に登ると、易をおこない王朝の命数(何代続くか)を占った。
すると一と出たので司馬炎は喜ばず、群臣は顔色を失った。
裴楷は言った。
「私はこう聞いております。天は一を得て清く、地は一を得てやすく、王侯は一を得て天下の正義であると」
これを聞いた司馬炎は大いに悦んだ。
中書令・侍中に累遷した。
<strong>【2.裵楷清通】</strong>
晋書にいう。
王戎あざなは濬沖、琅邪臨沂の人である。
幼くしてすぐれかしこく、風采もすぐれ、太陽を視ても眩む事はなかった。
裴楷が評して言った。
「王戎の眼は爛爛として巖下の雷光のようだ」
阮籍は王戎の父である王渾と昔からの友人であった。
王戎が十五になると王渾に従って郎舎にいた。
阮籍は自分より二十歳年下であるが王戎と交友を結んだ。
阮籍は王渾に会いに行くたびにさっさと辞去し、すぐに王戎のところに行きしばらくしてから帰っていった。
そして王渾に言った。
「濬沖は清賞で卿のともがらではない(貴方とは比べ物になりませんな)。卿と話をするより、戎ちゃんと一緒に清談するほうがずっと良いですな」
(王戎は)官を経て司徒に昇った。
晋の裴楷あざなを叔則、河東聞喜の人である。
かしこく見識度量があった。
若くして王戎に等しい名声を得ていた。
鍾會は(当時の相国である)文帝(司馬昭)に推薦し、相国の掾に召された。
吏部郎に欠員が出ると司馬昭は鍾會に問うた。
鍾會は答えた。
「裴楷は清通、王戎は簡要でどちらも適任です」
そして裴楷が用いられた。
裴楷は風采は高邁、容貌も俊爽で博学で群書に通じて、特に里義に精しかった。
当時の人は(裴楷のことを)玉人と言った。
またこうも言った。
叔則を見れば玉山に近づくように人を照らしかがやかすようだ。
中書郎に転任し官省に出入りすると、人々は粛然として身だしなみをあらためた。
武帝(司馬炎)が践祚して皇位に登ると、易をおこない王朝の命数(何代続くか)を占った。
すると一と出たので司馬炎は喜ばず、群臣は顔色を失った。
裴楷は言った。
「私はこう聞いております。天は一を得て清く、地は一を得てやすく、王侯は一を得て天下の正義であると」
これを聞いた司馬炎は大いに悦んだ。
中書令・侍中に累遷した。
<strong>【3.孔明臥龍】</strong>
蜀志にいう。
諸葛亮、あざなは孔明、琅邪陽都の人である。
みずから隴畝を耕し、梁父吟を好んでうたい、つねに自らを管仲、樂毅に比していた。
当時の人でこれを認める者はいなかった。
ただ、崔州平、徐庶だけは友人としてなかが善く、本当にそうであるとおもっていた。
その時、劉備が新野に駐屯していた。
徐庶はこれに謁見し言った。
「諸葛孔明は臥龍です。将軍は彼と会うことを願いますか。この人はこちらから出向けば会えますが、呼びつけることはかないません。なので御自ら出向いて会われるべきです」と。
劉備は遂に諸葛亮に会いに行った。
三度訪問して会うことが出来た。
人払いをして二人で天下の事を計ってこれを善しとした。
そして日増しに親しくなっていった。
關羽、張飛等は悦ばなかった。
劉備は言った。
「弧(わたし)に孔明が有るのは、魚に水が有るようなものだ。だからこれ以上は言ってくれるな」
(そして劉備が)尊號を称するに及んで(帝位につくと)、諸葛亮を丞相とした。
漢晋春秋に曰く。
諸葛亮は南陽の鄧県襄陽城の西に住んで、そこは隆中といわれている。
六韜にいう。
周の文王は狩りをしようとしていた。
史編が卜(亀の甲を焼いて占って)をして言った。
「渭陽に狩にいけば大いに得ることが出来ましょう。それは龍ではなく、彲(みずち)でもなく、虎でもなく熊でもありません。兆(亀の甲に入ったひび)によれば公侯を得るでしょう。天は貴方に師を贈り、貴方をたすけさせ、それは三人の王の代に及ぶでしょう」
文王は言った。
「兆に間違いは無いか」
史編は答えた。
「私の先祖の史疇は舜のために占って皐陶を得ました。この兆はそれに匹敵します」
文王は三日斎戒して、渭陽で狩りを行った。
ついに、太公(望)が茅に座って釣りをしているのに出会った。
文王は労って天下の事を問い、自分の車に乗せて帰り、たてて師とした。
旧本には非熊非羆となっている。
おそらくこれは世俗が誤って伝え、訂正しなかったからである。
按ずるに後漢の崔駰の達旨の文に、「あるいは、漁夫(太公望)が自分から亀甲に兆をつくって見せたのかもしれない」とあって、
注には「西伯(周の文王)が狩りをしようとして占うと、獲るものは龍ではなく、螭(みずち)ではなく、熊ではなく、羆でもない。獲るのは覇王の輔佐となるものだ」とあります。
旧本の非羆はこれにもとづいているのだろう。
<strong>【4.呂望非熊】</strong>
蜀志にいう。
諸葛亮、あざなは孔明、琅邪陽都の人である。
みずから隴畝を耕し、梁父吟を好んでうたい、つねに自らを管仲、樂毅に比していた。
当時の人でこれを認める者はいなかった。
ただ、崔州平、徐庶だけは友人としてなかが善く、本当にそうであるとおもっていた。
その時、劉備が新野に駐屯していた。
徐庶はこれに謁見し言った。
「諸葛孔明は臥龍です。将軍は彼と会うことを願いますか。この人はこちらから出向けば会えますが、呼びつけることはかないません。なので御自ら出向いて会われるべきです」と。
劉備は遂に諸葛亮に会いに行った。
三度訪問して会うことが出来た。
人払いをして二人で天下の事を計ってこれを善しとした。
そして日増しに親しくなっていった。
關羽、張飛等は悦ばなかった。
劉備は言った。
「弧(わたし)に孔明が有るのは、魚に水が有るようなものだ。だからこれ以上は言ってくれるな」
(そして劉備が)尊號を称するに及んで(帝位につくと)、諸葛亮を丞相とした。
漢晋春秋に曰く。
諸葛亮は南陽の鄧県襄陽城の西に住んで、そこは隆中といわれている。
六韜にいう。
周の文王は狩りをしようとしていた。
史編が卜(亀の甲を焼いて占って)をして言った。
「渭陽に狩にいけば大いに得ることが出来ましょう。それは龍ではなく、彲(みずち)でもなく、虎でもなく熊でもありません。兆(亀の甲に入ったひび)によれば公侯を得るでしょう。天は貴方に師を贈り、貴方をたすけさせ、それは三人の王の代に及ぶでしょう」
文王は言った。
「兆に間違いは無いか」
史編は答えた。
「私の先祖の史疇は舜のために占って皐陶を得ました。この兆はそれに匹敵します」
文王は三日斎戒して、渭陽で狩りを行った。
ついに、太公(望)が茅に座って釣りをしているのに出会った。
文王は労って天下の事を問い、自分の車に乗せて帰り、たてて師とした。
旧本には非熊非羆となっている。
おそらくこれは世俗が誤って伝え、訂正しなかったからである。
按ずるに後漢の崔駰の達旨の文に、「あるいは、漁夫(太公望)が自分から亀甲に兆をつくって見せたのかもしれない」とあって、
注には「西伯(周の文王)が狩りをしようとして占うと、獲るものは龍ではなく、螭(みずち)ではなく、熊ではなく、羆でもない。獲るのは覇王の輔佐となるものだ」とあります。
旧本の非羆はこれにもとづいているのだろう。
<strong>【5.楊震関西】</strong>
後漢の楊震あざなは伯起、弘農華陰の人である。
若くして学を好み経書にくわしく、博覧で窮きわめなかったものはなかった。
諸儒は彼を評して言った。
「関西の孔子、楊伯起」と。
つねに湖に寓居して州郡の礼命(出仕命令)に答えないこと数十年、人々はこれを晩暮と言った。
しかし志はいよいよ篤かった。
後に鸛雀があって、三匹のうなぎを口に含んで講堂前に集まった。
都講(塾頭)がうなぎを取って言った。
「蛇鱣は卿大夫の服の模様である。数が三であるのは三台(三公)にのっとっているのだろう。先生(楊震)は今から三公の位に登るだろう」
五十才になるとはじめて州郡に仕えて、安帝の時に太尉となった。
前漢の丁寛あざなは子襄、梁の人である。
はじめ梁の項生は田何に従って易を授かった。
この時、丁寛は項生の従者だった。
易を読むのは精敏で才能は項生をしのいでいた。
そしてついに田何に師事した。
学が成って東へ帰った。
田何は門人に言った。
「易は東へ行ってしまった」と。
また、周王孫に従って古義を受けて周子傳といった。
景帝の時に梁の孝王の将軍となった。
易説三万言をつくった。
その注釈は大誼をのべているだけだった。
<strong>【6.丁寛易東】</strong>
後漢の楊震あざなは伯起、弘農華陰の人である。
若くして学を好み経書にくわしく、博覧で窮きわめなかったものはなかった。
諸儒は彼を評して言った。
「関西の孔子、楊伯起」と。
つねに湖に寓居して州郡の礼命(出仕命令)に答えないこと数十年、人々はこれを晩暮と言った。
しかし志はいよいよ篤かった。
後に鸛雀があって、三匹のうなぎを口に含んで講堂前に集まった。
都講(塾頭)がうなぎを取って言った。
「蛇鱣は卿大夫の服の模様である。数が三であるのは三台(三公)にのっとっているのだろう。先生(楊震)は今から三公の位に登るだろう」
五十才になるとはじめて州郡に仕えて、安帝の時に太尉となった。
前漢の丁寛あざなは子襄、梁の人である。
はじめ梁の項生は田何に従って易を授かった。
この時、丁寛は項生の従者だった。
易を読むのは精敏で才能は項生をしのいでいた。
そしてついに田何に師事した。
学が成って東へ帰った。
田何は門人に言った。
「易は東へ行ってしまった」と。
また、周王孫に従って古義を受けて周子傳といった。
景帝の時に梁の孝王の将軍となった。
易説三万言をつくった。
その注釈は大誼をのべているだけだった。
<strong>【7.謝安高潔】</strong>
晋書にいう。
謝安あざなは安石、陳國陽夏の人である。
四歳の時、桓彝が彼を見て嘆息して言った。
「この子は風神秀徹(立派な風采)だ。後に王東海(王承)に劣らない人物となるだろう」
王導もまた彼をすぐれていると認めた。
だから若いころから名が高かった。
はじめて辟召されたときは病を理由にことわった。
有司が上奏した。
「謝安は召されて数年にもなりますが応じません。終身禁錮とすべきです」と。
なので東の地に棲むことにした。
常に臨安の山中に行っては丘や谷で気ままにしていた。
しかも遊ぶ時は妓女をともなっていた。
時に弟(謝萬)は西中郎将となって、藩任の重きにあった。
謝安は衡門にいたがその名声は弟にまさり公輔(三公等宰相)の位について欲しいと思われていた。
四十余歳にしてはじめて仕官しようと思い、征西大将軍の桓温の司馬になった。
朝廷の士人は皆見送った。
中丞の高崧が謝安に戯れて言った。
「卿はしばしば朝旨にそむいて東山に隠棲していた。皆言ってましたよ『安石が出仕しなければ蒼生(万民)をどうしようか』と。蒼生は貴方をどう思っているのでしょうね」と。
謝安は恥じた。
後に吏部尚書となった。
この時、孝武(帝)が立ったが政治を己のままに出来なかった。
桓温の威光が内外に及んでいた。
謝安は忠を尽くして匡したすけついに二人を和解させた。
中書監録尚書事に昇進した。
苻堅が兵を率い、淮肥(淮水と肥水)に陣を構えた。
謝安に征討大都督をの官を加えた。
そして苻堅を破り、総統の功績で太保に昇進した。
亡くなって太傅を追贈され、文靖と謚された。
晋の王導あざなは茂弘、光禄大夫である王覧の孫である。
わかくして人を見る目があって、識量は清遠だった。
陳留の高士である張公が王導を見てめずらしいとして王導の従兄である王敦に言った。
「この子の容貌志気は将軍宰相の器である」と。
元帝(司馬睿)が琅邪王だった時に王導と平素から親しかった。
王導は天下が乱れるのを知り、心を傾けて推奉、ひそかに興復(晋朝復興)の志を持った。
帝もまた彼を尊重した。
帝が下邳を鎮撫すると、王導を安東司馬とした。
軍謀密策、知っていて行わなかったものは無かった。
帝は常に言っていた。