『翁問答』は、孝行を中心とする道徳哲学を、わかりやすく問答形式で説いた全2巻の教訓書・心学書です。
先覚者「天君」とその弟子「体充」の問答を傍らで聞いた人物が筆録したという形式で書かれており、人間の道を説いています。
中国明末における儒・仏・道三教一致の思想の影響を深く受けつつ、宗教的な立場を根底として人倫を示し、平明に理を説いた教訓読み物としても広く受け入れられていました。
著者は、近江国出身の江戸時代初期の陽明学者・中江藤樹。
初め朱子学を信奉して孝の徳目を重んじ『翁問答』を著しました。
晩年は王陽明の陽明全書に接して陽明学※)を首唱し、日本の陽明学の祖となります。
後に村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称されました。
門下には、熊沢蕃山※)、淵岡山、中川謙叔がいます。
藤樹は陽明全書を読んでから、自分の学問を深め
「人の心の中の良知は鏡のような存在である。
 多くの人はみにくい色々の欲望が起きて、つい美しい良知を曇らせる。
 わたしたちは自分の欲望に打ち勝って、この良知を鏡のように磨き、
 曇らないようにして、その良知の指図に従うように努めなければならない」
とし、身を修める根本は良知に致ることだと説いたのです。
さらに良知に至る道筋として次の五事を正すことにあると、具体的な指針を示しています。
【五事】
 一 貌(ぼう)和やかな顔つき
 二 言(げん)温かく思いやりのある言葉
 三 視(し)澄んだ優しい眼ざし
 四 聴(ちょう)ほんとうの気持ちを聞く
 五 思(思いやりのある気持ち) 
藤樹以降の陽明学者としては、三輪執斉、大塩平八郎、佐藤一斉、川田雄琴などがおり、陽明学の精神を生かした人としては佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛などがいます。
そんな藤樹の『翁問答』は、儒道、五倫の道、真の学問と偽の学問、文と武、士道、軍法、仏教、神道などが論ぜられており、なかでも心学の提唱としての明徳と普遍道徳としての全孝が注目されます。
藤樹は、人が単に外的規範に形式的に従うことを良しとせず、人の内面・心の道徳的可能性を信頼し、人が聖人の心を模範として自らの心を正すことが、真の正しい行為と生き方をもたらすと説きました。(心学の提唱)
これは四書の『大学』における「明徳を明らかにする」という「明徳の説」でもあります。
また、父祖への孝のみでなく、一切の道徳を包括するところの孝の道を説いたのです。
人間社会もふくめて宇宙のすべては「孝」という一字から成り立っており、宇宙の根源というべき「孝」から、天地万物すべてのものが生まれた。
その孝は、人の胸のうちにも凝縮されており、その具体的営みは「愛敬」となる。
これは十三経の『孝経』における「全孝の説」です。
そして、愛敬の心と行いとを発揮するには、人の心にある明徳を明らかにする以外になく、この明徳と孝とは密接不離の同根関係にあることを、藤樹は説いているのです。
前者は藤樹の人間観であり、後者は藤樹の世界観、宇宙観といえるでしょう。
そんな『翁問答』。
関連する書籍も希少ではありますが、機会があればこうした教訓書・心学書で学んでみるのはいかがでしょうか。
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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
<strong>【翁問答 上巻】</strong>
天よりも高く
・父母からうけた恵みは、天よりも高く、海よりも深いものである。それがあまりに広大で、他と比較することのできない恵みであるゆえに、利欲の心におおわれた凡人は、その恵みに報いることを忘れ、かえって父母の恵みの有無さえも、なにひとつ思わなくなってしまうのである。
父母の千辛万苦
・(父母のなしてきた)このような慈愛、このような苦労を積みかさねて、わが子のからだを養育したのであるから、人のからだすべて、小さな毛一本にいたるまで、父母の辛苦の、ふかい恵みでないものはないのである。
利欲の暗雲
・(われわれの胸中には)本心の孝徳がそなわっているにもかかわらず、父母の恵みに報いることを忘れているのは、いわば利欲の暗雲におおわれて、明徳の太陽の光がくらくなり、心の闇に迷うゆえである。
至徳要道という霊宝
・われわれ人間の身のうちには、この上ないりっぱな徳である至徳と、重要な道としての要道という、世界に二つとない霊宝がそなわっている。この霊宝をもちいて、心に守り身におこなうことを要領とする。

孔子述作の孝経
・孔子は、永くふかい闇を照らすために、この霊宝を求めまなぶ鏡として『孝経』を述作されたのであるが、秦の時代よりのち千八百年の間、(至徳要道を)じゅうぶんにまなび得た人は、じつに稀である。
全孝の説①
・この(至徳要道という)霊宝は、天にあっては天道となり、地にあっては地道となり、人間にあっては人道となり、すべてに通用するものである。
全孝の説②
・もともと、その霊宝には名前などはなかったけれども、万民に(わかりやすく)教示するために、いにしえの聖人はその光景を写しとって「孝」と名づけたのである。
孝とは愛敬
・孝徳がおよぼす感覚を手っ取り早くいうと、愛敬の二字に集約することができる。愛は、ねんごろに親しむという意味である。敬は、自分より上の人を敬い、と同時に下の人を軽んじたり、ばかにしないという意味である。
忠とは
・裏切りの心がなく主君を愛敬することを「忠」と名づけるのである。
仁とは
・礼儀正しく、わが家臣たちを愛敬することを「仁」と名づけるのである。
慈とは
・しっかりと(人の道を)教えて、わが子を愛敬することを「慈」と名づけるのである。
悌とは
・なごやかですなおな心で年長の人を愛敬することを「悌」と名づけるのである。
恵とは
・善行をうながして年少の人を愛敬することを「恵」と名づけるのである。
順とは
・正しい定めを守ってわが夫を愛敬することを「順」と名づけるのである。
和とは
・正義を守ってわが妻を愛敬することを「和」と名づけるのである。
信とは
・(一言の)いつわりをも持たずに、ともだちを愛敬することを「信」と名づけるのである。
孝は無始無終
・もともと孝は、(宇宙の根源の)太虚がその全体の姿であり、永久に終わりもなければ始めもなく、万物すべてが孝でないものはないのである。

一人は太虚神明の分身
・自分のからだは父母から授かり、父母のからだは天地から授かり、その天地は(宇宙の根源の)太虚から授けられたものなので、本来自分のからだは、その太虚・神明の分身といえるのである。
すべて私心から①
・人間のさまざまな迷いは、みな私心より起こるのである。私心は、(父母から授かった)からだを自分のものと思うところから起こるわけである。
すべて私心から②
・孝は、そのような私心を取りのぞく主人公であるがゆえに、孝徳の本来を理解しないときは、たとえ博学多才の人であっても、本当の聖賢の教えを学ぶ者とはいえないのである。
不孝とは
・心にわけもないことを思ったり、あるいは怒るほどでないことに腹を立てたり、さほど喜ぶほどでないことに喜んだり、願うほどでないことに強く願ったり、悔やむほどでないことに悔やんだり、恐れるほどでないことに恐れたりするのも、みな不孝というものである。
一言のいつわり
・たった一言の偽りもまた不孝というものである。
迷える人の習慣
・(世間一般にみられる)迷う人の習慣に、富貴を最上のものと思い、それを第一の願いとするならば、自分にとって富貴を求める助けとなる人には、かぎりなく敬い追従し、(周りから)悪口を言われても、耐え忍んで恥としないものである。
順徳とは
・父母を愛敬することを根本とし、それを押し広めて父母以外の人々にも愛敬し、(聖賢の)道をおさめることを孝といい、順徳ともいうのである。
惇徳とは
・(自分にうけた)大根本の恵みを忘れて、父母を愛敬することなく、枝葉の小さい恵みに報いようとして、他人を愛敬するを不孝といい、惇徳ともいうのである。
惇徳の人は
・(そのような)惇徳の人は、たとえ才能が人よりもすぐれていたとしても、真実の人とはいえない。かならずついには神明の冥罰をこうむることになるのである。
孝行の条目
・孝行の内容はかず多くあるけれども、突きつめると二か条に集約できる。第一には、父母の心にうれいを持たず安楽なるようにすることである。第二には、父母のからだを常に敬い養うことである。
姑息の愛①
・その場かぎりの苦労をいたわって、わが子の願いのままに育てることを、姑息の愛といい、姑息の愛をば祇積の愛といって、親牛が小牛を舌でなめるような育て方に、たとえられている。
姑息の愛②
・姑息の愛は、さしあたっては慈愛のように思われるけれども、その子は気ままな性格となり、才能も孝徳もなく、禽獣のような心になってしまい、結局はわが子を憎み、悪の道に引き入れてしまうのと同じことになるのである。
子孫に道を教える
・さてまた、家をさかんにするのも子や孫であり、また家をだめにするのも子や孫である。その子や孫に、人としての道を教えずに、かれらの繁昌をもとめるのは、足がないのに歩いて行くことを願っているのに等しい。
胎教は母徳の教化
・子や孫に、人としての道を教えるには、幼少の時期を根本とする。むかしは、胎教といって、子どもが母の胎内にあるあいだにも、母徳の教化があった。
徳教とは
・根本真実の教化は、徳教である。口にて教えるのでなく、わが身を正して(聖賢の)道をおさめ、人がおのずから感化をうけて変化することを、徳教というのである。
師匠と友をえらぶ
・成童となってからの教えは、すぐれた徳のある師匠とよき友人をえらぶのを眼目とする。さて職業は、それぞれの器用と、それぞれの生活環境的な運命を考えて、本分の生まれつき、士農工商のなかから考え定めることである。
人は天地の子
・すべての人間は、天地の(恵みによって生生化育された)子であるので、われも人も人間の形あるほどの者は、みな兄弟なのである。
庶民はくにの宝
・農民・職人・商人は国の宝であるから、一層あわれみ育くんで、かれらの得た利益を自分の利益のように喜び、かれらの楽しみを自分の楽しみのように政治をおこなうのが、主君の仁と礼の概略である。
分形連気の道理
・世間の迷っている人を観察すると、おそらく血を分けた兄弟の関係は、他人よりも疎遠になっている場合が多い。わずかの物欲の争いで、まるで敵のような思いを結んでいる者がある。これは、分形連気という(一つの根源から生まれたという)道理を知らないためである。
心友とは
・お互いのこころざしが同じで、親しくまじわるともだちのことを「心友」というのである。
面友とは
・こころざしは違っていても、なにかの理由か、あるいはおなじ郷里や隣り近所、あるいはおなじ職場などで、再三ともにまじわっているともだちを「面友」というのである。
人面獣心
・人間に生まれて、徳を知り人としての道をおこなわなければ、人面獣心といって、姿かたちは人間であっても、心は禽獣となんら変わるものではない。
世間の学問
・世間で評判にあがっている学問というのは、多分にせである。(そのような)にせの学問をおこなえば、なんの利益もなく、かえって性格が悪くなり風変わりな人間に陥ってしまうものである。
正真の学問
・まことの学問は、(古代中国の帝王の)伏犠の教えはじめた儒道である。むかしは、教えも学問もこの正真のもの以外なかったのであるが、世も末になっていつとはなしに、唐土にも夷の国にも、にせの学問がかず多く出てきてから、にせ(の学問)が勢いを増して、まことの学問が衰微するようになったのである。
俗儒は徳しらず
・つまらない儒者のおこなう学問は、儒道の書物を読み、そのことばの意味をおぼえて、暗諭したり詩歌をつくることばかりし、耳に聞き口にその知識を説くばかりで、もっとも大切な徳を知り、心学をおさめようとはしないものである。

・この心学をしっかりとおさめると、普通の人間がりっぱな聖人の境涯にいたるものであるゆえに、また「聖学」ともいうのである。
口耳の学とは
・聖人や賢人、四書五経の心を教師として、自分の心を正すことに少しも心がけず、ただ博学にほこることだけを目標とし、耳に聞いてただ口に出すばかりで、そのような口耳のあいだの学問ゆえに、心学といわずに「口耳の学」ともいうのである。
口耳の学は俗学
・このような口耳の学にあっては、どれほど博学・多才であっても、(その人の)気立てやおこないは、世間一般の普通の人となんら変わることがないので、また「俗学」ともいうのである。
聖賢の心
・聖人や賢人といわれる人の心は、富貴になることを願わないし、貧乏をいやがらない。また生と死にたいしても一喜一憂をしない。さらには幸福を求めないし、わざわいを避けることもない。
まことの武とは
・武道を習わない(聖賢の)学問は、まことの学問とはいえない。(聖賢の)学問をおさめない武道は、まことの武道とはいえない。
文武は仁義
・学問は親愛を知る教えの異名であり、武道は道理にかなった教えの異名である。
文徳と武徳
・文学にふかく通達していても、(その人に)徳がなければ、文学を(社会に)生かすことができない。武術にふかく習得していても、(その人に)徳がなければ、武道を(社会に)生かすことができないのである。
真儒の門に入る
・軍法をまなぼうと思う人は、まずまことの儒者の門に入って、(わが胸のうちにある)文武合一の明徳を(りっぱに)発揮して根本を立て、そしてそののちに、軍法の書物をまなんで眼目・手足の実践的工夫を専念することが簡要である。
用の立たぬ人間なし
・主君が家臣をもちいる本意は、公明と博愛の心をもとにして、かりにも人をえらび捨てず、かれらの賢智・愚不肖、その
分相応の用捨にたいして私心なく、道徳や才智ある賢人を高位にあげて、処罰すべての話しあいの中心人物とし、また才徳のとぼしい愚不肖の家臣にも、かならず得意とするものがある。
心の暗き主君は
・暗愚の心をもった主君は、どれほどすぐれた(家臣の)侍を集め仕えさせても、かれらを登用することなく、ただ主君の心とよく似た、心の暗いくせ者ばかりの侍を使いたがるものである。
主君の心ひとつ
・よき家臣か、それとも悪しき家臣か、また国が乱れるか、それともよく治まるかは、結局は主君の心ひとつに往きつくのである。
政治の根本
・処罰や法制・禁令にも本末がある。主君の心を明らかにして(聖賢の)道をおさめ、国中の人々の手本となり、鏡となるのが、政治の根本である。法制・禁令の箇条は、政治の枝葉に過ぎない。
法度はなくても
・主君の好んでよく使うことばを、そのしもじもの領民までもみな真似をするものなので、主君の心が明らかで(聖賢の)道をおさめるならば、法制・禁令がなくても、おのずからかれらの心が正しくなるものである。
法治の限界
・もとを捨てて、すえばかりで治めることを法治といって、好ましくない。法治は、かならず法制・禁令の箇条がかず多くあって、その内容も厳しいものである。秦の始皇帝のさだめたそれが、法治の極みといえる。法治は、きびしいほどかえって、国内が乱れるものである。
徳治とは
・徳治は、まず自分自身の心を正してから、人の心を正すものである。たとえば、大工が墨曲尺というまっすぐな道具をもちいて、物のゆがみを直すようなものである。
法治は杓子定規
・法治は、自分の心は正しくないのに、人の心ばかりを正しくしようとするものである。たとえば、ことわざにいうところの杓子定規のことである。
すべては天の命
・人間の一生涯において、出会うところの生活環境、さいわいとわざわい、毎日の飲食にいたるまで、すべて(おおいなる上帝による)天の命でないものはないのである。
時と所と位
・処罰や法制・禁令は、主君の明徳を明らかにして根本をさだめ、(古代中国の)周礼などに記されている聖人のさだめた法律をかんがえて、その本意を知り、政治の鏡として、時代と場所と立場と(天・地・人の)一一一才にふさわしい至善をよく識別して、万古不易の中庸をおこなうことを、眼目とするのである。
政治と学問①
・政治は、(わが胸のうちにある)明徳を発揮する学問であり、学問というのは、天下国家をりっぱにおさめるための政治なのである。
政治と学問②
・天子および諸侯の身におこなう一事、口から発する一言のすべてが処置の根本になるので、政治と学問とは本来、同一のことわりであることを、はっきりと得心しなければならない。
人間はみな善
・天道を根本として生まれ出た万物ゆえに、天道は人と物の大父母にして、すべての根本である。人と物は、天道の子孫にして枝葉である。根本の天道が純粋にして至善であるならば、その枝葉である人と物もまた、みな善にして悪はないものと、得心しなければならない。
悪人とは
・才能があっても無くても、知恵があっても無くても、形気のよこしまな私欲におぼれ、本心の良知をくもらす者を、そうじて悪人というならば、たとえ才智や芸能が人よりもすぐれていたとしても、よこしまな私欲がふかく、良知のくらい人間はまさしく悪人である。
<strong>【翁問答 下巻】</strong>
学問の目的
・それ学問は、心の汚れをきよめ、自身の日常のおこないを正すことを、本来の中味とする。漢字が発明される以前の大むかしには、もとより読むべき書物がなかったために、(人々は)ただりっぱな徳のそなわった人のことばやおこないを手本として、学問をおさめたのである。
学問する人とは
・その(明徳の)心を明らかにして、身をおきめる思案工夫のない人は、たとえ四書五経を昼夜わかたず、手から離さずに読んでいるといっても、学問する人とはいえないのである。
にせの学問
・にせの学問は、博識の名誉のみを心の中心におき、同学のすぐれた人をねたみ、おのれの名声を高くすることばかり考え、高満の心におおわれて、人にたいする思いやりやまどころに乏しく、ただひたすら机上の学問ばかりをおこなうゆえに、かえって心だて、行儀が悪くなってしまうのである。
世間の迷い
・運よく富貴の身にあるならば、それは自分の智恵と才覚のよってもたらしたものと思い、(その反対に)運悪く貧賎の身になったならば、それは自分のおこないとは思わずに、親のせいにして人を責め天をうらむこと、すべて人間の迷いである。
文武兼備
・学問は、武士の所業ではないというのは、ひときわ愚かな世間の評判であり、迷いのなかの迷いである。その子細は、(明徳の)心を明らかにして行儀正しく、学問と武芸とが兼ねそなわるように思案・工夫することを、まことの学問というのである。
まことの読書
・文字を眼で見て、おぼえることはできないけれども、聖人のあらわした四書五経の本意をよく得心して、自分の心の鏡とすることを、「心にて心を読む」といって、まことの読書なのである。
眼にて文字を読む
・心による会得をすることなく、ただ目で文字を見て、おぼえることばかりするのを、「眼にて文字を読む」といってまことの読書とはいえない。
中庸の心法
・中庸にしてかたよりのない心法を保持して、財宝を用いたならば、私欲の汚れがすこしもないので、清白・廉直にして、私用の財宝も公用と変じて、おなじ道理となるのである。
私の一字
・私心におおわれた人間は、かならず気ままである。そのような人間は、かならず他人の異見を聞き入れようとはしないし、世間の非難の声にも反省しようとはしないものである。
謙の一字
・国家をりっぱにおさめ、世界をおだやかな社会にする要領は、謙の一字につきるのである。
謙徳は海
・謙徳は、たとえば海のようなものであり、万民は水である。海は低いところにあるので、世界中のあらゆる水は、みな海にあつまるように、天子・諸侯が謙徳を保持していくならば、国や世界の万民はみな心を帰して、喜びしたがうものである。
心学の有無
・心学をしっかりときわめた武士は、義理を固くまもり、よこしまな私欲がないので、世間の作法に感化されることはない。(その反対に)心学をおさめない武士は、よこしまな名声と利欲におぼれるものである。
正しき士道
・心の汚れがなく、義理にかなっているならば、(たとえ)ふたりの主君に仕えなくても、また主君を変えて仕えても、すべて正しい武士の道というものである。
明徳仁義は人の本心
・明徳と仁義は、われわれの本心の異名である。この本心は、いのちの根元ゆえに、すべての人間に、この明徳と仁義の心のない者は、ひとりもいないのである。
腕力つよい武十
・大声で威喝し、自分の腕力をたのみとする人は、かならず他人をばかにし、闘争心がはなはだしいので、かならずけんかの犬死をしてしまい、親に心配をかけ、主君の知行を盗むことになり、心がいやしいものである。
おおいなる上帝
・聖人も賢人も、釈迦も達磨も、儒者も仏者も、われも人も、世界のうちにある、ありとあらゆるほどの人間は、すべておおいなる上帝、天神地祇の子孫なのである。
儒道・儒教・儒学
・われわれ人間の大始祖であるおおいなる上帝、大父母である天神地祇の天命をおそれ敬い、その神道を敬いたっとんで、受用することを孝行と名づけ、また至徳要道とも名づけ、また儒道と名づけている。この儒道を教えることを儒教といい、これをまなぶことを儒学というのである。
迷いと悟り①
・そもそも人間は、迷いと悟りとのどちらかに帰着する。迷うときは凡夫であり、悟るときは聖賢、君子、仏、菩薩である。その迷いと悟りは、(われわれの)一心のうちにふくまれているのである。
迷いと悟り②
・欲望ふかく、無明の雲あついために心月の光りがかすかとなって、闇の夜のようになるのを「迷いの心」といい、学問修行の功つもり、人欲取りのぞかれて無明の雲晴れ、心月の霊光が明らかに照らすを「悟りの心」というのである。
俵人とは
・心がねじけて、人をたぶらかすことの上手な者を俵人という。(信人は)才智たくましく、芸能や文学が人よりもすぐれ、弁舌じょうずでよこしまな私欲がふかく、義理を守ろうとはしない。人を化かすこと野狐のようで、人を傷つけること虎狼のような心根のある者が、俵人の棟梁というのである。
神明を信仰する
・神明を信仰することは、儒道の本意である。それゆえに、始祖を天に配し、父を上帝に配し、(人間のおこないの)神明につうじることが、孝行の極みであると『孝経』に説かれている。
儒道はすべてに
・もともと儒道は、太虚の神道であるゆえに、世界のうち舟や車のいたるところ、人力のつうずるところ、天の覆うところ、地の載せるところ、日月の照らすところ、露霜の落ちるところ、血気のある者の住むほどのところにて、儒道のおこなわれないところはないのである。
むさぼる心根
・官位につくことを欲とし、官位を捨てることを無欲とし、財宝をたくわえることを欲とし、財宝を捨てることを無欲と思うのは、いまだ明徳くらくして、官位を好み、財宝をむさぼる心根が残っていて、外物にこだわって、使い勝手の私心をもっているゆえである。
無欲と欲①
・神明の(清浄と正直の)道理にかなっていれば、(たとえ)天子の位にのぼっても、財宝をたくわえても、官位を捨てるも、財宝を捨てるも、すべて無欲であり、無妄というものである。
無欲と欲②
・(その反対に)神明の(清浄と正直の)道理にそむいたならば、(たとえ)天子の位を捨てるも、財宝を捨てるも、官位にのぼるも、財宝をたくわえるも、すべて欲であり、いつわりである。
善の名声
・(いつも)善の心で思い、善のおこないをなせば(世間から)善の名声がうわさされる。(古代中国の聖人)尭帝や舜帝、孔子や顔回などが、その代表的の例である。
悪の名声
・(いつも)悪事ばかりの心にあって、悪のおこないをなせば(世間から)悪の名声が広まる。(古代中国の)築王や村王、盗距などが、その代表的の例である。
習い染まる心①
・習癖に染まる心とは、(この世に)生を受けて以来、見慣れ聞き慣れて、無意識のうちに、いつとなく感化されて、染まってしまった心のことである。たとえば、水に朱色の絵具をとけば、その色赤くなり、緑青の絵具をとけば、青くなるようなものである。
習い染まる心②
・もともと、人の心に好き嫌いのさだまったものはないけれども、その人の生まれ育った国や土地の風俗、その家の習慣などに感化され染まって、好き嫌いの判断がいろいろに変わるのである。学問や芸能にも、(同様の)習癖の心がある。まず本心の真実をよく考えさだめて、その上にて習癖の心をよくしらべて、取りのぞくことである。
全孝の心法
・孝徳全体のありのままを明らかにする工夫を、全孝の心法というのである。全孝の心法は、広大にして高明、そして神明につうじ世界にもおよぶけれども、つづまるところの根本は、身を立て(聖賢の)道をおこなうことにある。
世間の儒者
・魯国の君主は、儒服を着ている人をさして儒者とあやまり、今の世間の人は、四書五経の儒害を読む人をさして儒者とあやまっている。そのあやまっている品物はことなっているけれども、真の儒者でないという、実体を知らない点においては、おなじ迷いである。
禍いを招く満心
・人心の私意を種として、知恵があったとしても、(その反対の)愚かであったとしても、自満の心のない人間は稀である。この満心が本心の明徳をくもらして、自分自身にわざわいをまねくくせものとなり、あらゆる苦悩もまた、おおかたこれより起こるのである。
謙の徳
・謙は、おだやかで公平無私の心をもち、みずから省みて独りをつつしみ、人をうらまず、人をばかにしたりせず、人にたいして善をなす徳のことである。
徳なき儒者
・儒者という名は、徳にあって芸にはないのである。文学は、芸ゆえに生まれつき物覚えのよい人はだれでも修得することができる。たとえ文学にすぐれた人であっても、仁義の徳のない者は儒者ではない。ただ文学にすぐれた凡夫である。
人間の万苦①
・人間のいろいろの苦しみは、明徳をくもらしているところから起こり、世界の戦争もまた、(為政者の)明徳をくもらしているところから起こるのである。これは世界の大不幸ではなかろうか。
人間の万苦②
・(中国のいにしえの)聖人は、このことをふかく憐れんで、明徳を明らかにする教えを立てて、人々に学問をすすめたのである。四書五経に説かれている教えは、すべてこのことにほかならない。
幼童の心
・もともと、われわれの心の本体は、安楽なのである。その証拠として、幼児より五、六歳までの子どもの心を見るとよい。世間も、おさない子どもの苦悩のないすがたを見ては仏であるなどといっている。
明徳がくもると
・明徳がくもってしまうと、習癖にそまり人欲にとどこおり、酒色・財気の迷いがふかいゆえに、天下を得ればその天下を憂い、国を得ればその国を憂い、家あればその家を憂い、妻子あればその妻子を憂い、牛馬あればその牛馬を憂い、金銀財宝あればその金銀財宝を憂い、見ること聞くこと、そのおおかたが苦悩となるのである。
苦痛の原因
・苦痛というのは、ただすべての人が(私利私欲の)迷いによって、みずからつくった(心の)病気なのである。
苦楽は心にあり
・農民の耕転は、勤労の極みであるけれども、かれらの心には、さほどの苦悩はない。(古代中国の)大畠のなした治水は、その勤労の極みであるけれども、その楽しみは快活である。しっかりと実際の道理を体察したならば、苦楽は心にあって、外物にないことを、知ることができるのである。
惑いの塵砂
・心の本体は、もともと安楽なのであるけれども、迷いのこまかい塵砂が眼にはいって、種々の苦痛を辛抱することができない。学問は、このこまかい塵砂の迷いをあらい捨てて、本体の安楽に帰る教えであるゆえに、学問をしっかりとおさめて工夫.受用したならば、もとの心の安楽に帰ることができるのである。
 
列子は春秋戦国時代の人、列御寇(河南鄭州人)の尊称にして道家「道」を体得した有道者。
その学問は黄帝と老子の思想にもとづき、清淡虚無、無為自然を重んじて他人と競わず、よくその身を修めたといわれています。
『列子』は道教経典のひとつであり、別名を『冲虚至徳真経』といいますが、万象の変化、万物の死生を論じており文章は『荘子』に類似して寓言が多いことが特徴です。
『天瑞』、『黄帝』、『周穆王』、『仲尼』、『湯問』、『力命』、『楊朱』、『説符』の8巻から成ります。
列子は
”道(生きるもの)は宇宙の本体で虚無であり、一切の万物はこの道から生まれる。道は不生不変、無限無窮である”
といっており、宇宙に絶対の根源があると説いています。
つまり列子には
・”死と生は行ったり来たりするもの”(転生輪廻)
・”人間にも獣心あり、禽獣にも人心あり”(山川草木悉皆成仏)
といった思想が基本となっているのです。
往々にして、老子と比較されがちですが、
1.流出説的宇宙論
 宇宙論に於いて宇宙の根本原理より森羅万象が分出する有様を説くことが老子よりも精密である。
2.霊魂の不滅、肉体は入れ物
 老子の学説に於いても精神と肉体とを分かつけれども、其の区別は頗る明瞭を欠いて居る。
 列子はこれを明らかにし、肉体には生死あれども精神には生死といふものが無いとすること、又、人が生を楽しみ死を疾むけれども、それは生に執着し精神に生死なきを知らぬに由るとした。
3.現世否定、知識による解脱
 其の厭世的世界観よりして、常住安楽の境界を見出さんことを務めた。
といった特徴を持つ有道者です。
有名な故事成語としては、
・杞憂
・朝三暮四
・愚公山を移す
・疑心暗鬼
などがありますので、こうしたものを取りかかりに『列子』に触れてみるのはいかがでしょうか。
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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

<strong>【天瑞 第一】</strong>
第1-13
中国の杞の国に、天地が崩墜して自分の居場所がなくなったらどうしようかと、寝食をできない程に憂える者がいた。
そんな憂える男を心配したある人が、その男のもとへと出かけて行き、諭して云った。
天というものは大気の集まりだから、大気の無い場所なんてものは無い。
僕らの活動なんてものは、一日中、天の中で活動しているようなものだ。
大気である天が墜ちるなんて心配しても仕方がないよ、と。
すると憂える男が問う。
天が大気だとしても、太陽や月や星々といったものが墜ちてはこないだろうか、と。
諭す者が云う。
太陽や月や星々といったものは大気の中で光っているに過ぎない。
もしも墜ちたとしても、僕達を傷つけるなんてことにはならないよ、と。
憂える男が問う。
地が壊れるのはどうだろうか、と。
諭す者が云う。
地なんてものは土の塊だ。
あたり一面に充塞して土の無い場所なんてものは無い。
僕らの行動なんてものは、一日中、大地の上で活動しているだけだ。
その地上が壊れるなんて心配しても仕方がないよ、と。
これを聞いた憂える男は、すっかりと安心して大変喜び、之を諭した者も一緒になって喜んだ。
この話を聞いた長廬子が笑って云った。
虹だの、雲霧だの、風雨だの、春夏秋冬だのといったものは、積気が天に集まりて成るものである。
山岳だの、河海だの、金石だの、水火だのといったものは、積塊が地に集まりて成るものである。
天が積気であり、地が積塊であることを知りながら、なぜ壊れぬと云うことができようか。
天地というものは、この宇宙においてはほんの小さな存在ではあるが、有形万物の中では最も巨大なものである。
故にこれを窮め尽し、測り識ることが出来ぬことなどは、本より当然のことである。
そう考えれば、天地が壊れることを心配している者など話にならぬし、また、天地は壊れぬとする者も是とすることはできない。
天地も有形のものである以上、その他の有形万物と同様に、いつかは壊れざるを得ないであろう。
その壊れる時に遇えば、どうして憂えずに居られようか、と。
これを聞いた列子が笑って云う。
天地が崩壊するというのも誤りであれば、天地は崩壊しないというのも誤りである。
崩壊するか否かは、どちらも一つの見解ではあるけれども、我々の知るところではない。
故に生死も去来も我々の知るところではない。
崩壊しようがしまいが、どうせ人は天地と共に有らざるを得ないのだから、そんなことに心を使ってもどうしようもないのである、と。
第1-14
杞憂:杞の国に天が落ちてくるのを心配して夜も寝られない男がいた。そんな心配はないと諭す男もいた。列禦寇先生は、天地が崩壊するかしないか人間にはわからない。生きている者には死んだ者のことはわからない。未来の人間には過去のことはわからないし、過去の人間には未来のことはわからない。だから、天地が崩壊するとかしないとかに心を悩ますことは無駄なことだ。といった。
<strong>【黄帝 第二】</strong>
第2-5
不射の射:列禦寇は弓の名手だが、師匠の伯昏瞀人(はっこんぼうじん)に言わせると、それは射の射であり、不射の射ではないという。列禦寇は断崖絶壁の上ではぶるぶる震えて矢を射ることができなかった。師匠は、道を体得した者は心も顔色も動じないものだ。と言う。
第2-18
常勝の道:強は自分より弱いものには勝つが、自分より強いものには必ず勝つとは決まっていない。しかし、柔によれば必ず勝つ。
第2-19
朝三暮四:宋の猿飼いが貧乏になって猿の食い扶持を減らそうと、”どんぐりを朝に3つ、暮れに4つにしようと思うがどうだ”と猿に尋ねたところ、猿は皆怒り始めた。そこで、”では朝に4つ、暮れに3つにする。”と言ったら、猿は大変喜んだ。本質は変えずに、愚かな相手をいいくるめることができるのだ。
第2-20
木鶏:王のために闘鶏の鶏を飼っている男がいて、王が自分の鶏はもう戦うことができるかと問うたとき、”いやまだです。鶏は空威張りできおい立っているだけです。”と答えた。次に王が訪ねた時も、相手を見るときおい立つのでまだまだだと答えた。その次の時は、まだ相手を睨みつけて気合をいれると言った。次に王が尋ねたときは、”もう申し分ありません。いくら他の鶏が鳴きたてても自分は一向に動じません。遠くからみるとまるで木造りの鶏のようです。すっかり無為自然の徳を身につけました。他の鶏は皆逃げ出すでしょう。”と答えた。
<strong>【周穆王 第三】</strong>
第2-2
老成子は幻術を尹文先生に学んでいたが、三年の間、何も具体的な術を教えてはくれなかった。
そこで老成子は自分に何か過失があったのかと問うて暇乞いを願い出た。
すると尹文先生は室内に丁重に迎え入れ、左右の者を退けて老成子に云った。
昔、老子は西に往くときに吾を顧みてこのように語った。
有生の気も有形の状も、全て幻である。
造化より生み出され、陰陽に因りて変化するものを、生といい死という。
数を尽くして変を極め、形に因りて移りゆくものを、化といい幻という。
造物なる者はその功は神妙にして深遠、とても知り得て尽すことは出来ぬ。
だが、形に因る者ならばその功は形として顕れて易々と知り得ることができる。
形として存するものは随って起こり随って滅するが故に、永遠持続する存在とはなり得ない。
これ生死であり幻化であり、この双方は一である。
これを知り得てこそ幻術を学ぶことができるのである。
そもそも吾もお前も生死ある存在であり、これは即ち幻である。
この幻であることを自ずから覚れば、それで幻術を得るのであって、何か特別なことを学ぶ必要などは無いのである、と。
これを聞いた老成子はこの言を心に存して沈思熟考し、三ヶ月して遂に存亡自在を得るに至った。
老成子はあらゆる事象の陰陽を自由自在に変易し、冬に雷を起こし、夏に氷を張り、飛ぶものを地上に走らせ、地上を走るものを飛ばせることも可能となったが、終身その術を世に顕すことはなかったので、後世に伝わることはなかったという。
列子は云う。
本当に善く化する者は、無為自然であるが故に世の人々は誰も気付くことがない。
古の五帝の徳も、三王の功も、並外れた智勇の力を存した故ではなく、この自然と化したが故であって、この化は神妙にして深遠であるが為に、今になっては誰も知る由もないのである、と。
第2-6
鄭の人で薪を取る者が居た。
ある時、野に行くと驚いて走りだす鹿に出会い、これを待ち受けて撃ち倒した。
人に見つかることを恐れた薪取りは、慌ててこれを溝の中に入れ、上から草で覆い隠した。
大変喜んだ薪取りであったが、あまりの嬉しさにふと隠した場所を忘れてしまい、遂に夢となしてあきらめ、道すがらその事を呟いた。
傍らにこれを聞き付けた男が居た。
男はその言葉から鹿の在り処を見つけだし、家に持ち帰った。
家に帰ると、男は妻に告げて言った。
先ほど、薪取りが夢に鹿を得て隠した場所を忘れたと言っていたので、それを探し出したら見つけることが出来た。
彼の夢は真実であった、と。
妻が言った。
あなたが薪取りの鹿を得たるを夢見たのではありませんか。
あなたの夢だとすれば、どうして薪取りが居りましょう。
今、本当に鹿を得ましたが、これはあなたの夢が本当だったのではありませんか、と。
夫が言った。
鹿を得たことは真実だが、彼の夢が我が夢であったのかは分かりようがない、と。
薪取りは家に着いたが、鹿を失ったことを忘れられずにいた。
その夜、今度は本当に鹿の隠し場所とこれを探し出した者の夢を見た。
夜が明けると、薪取りは夢を頼りにして鹿の在り処を捜し求め、遂に鹿を巡って争いとなり、裁判となった。
司法官が言った。
お前は、初め本当に鹿を得て、妄りにそれを夢だと言い、今度は本当に夢に鹿を得て、妄りにそれを真実だと言う。
彼は、本当にお前の鹿を取りて、お前と鹿を争うも、その妻は夢に鹿を得たる人を見て鹿を得たのであって、人の鹿を得たのではないと言う。
今、ここに鹿があることは真実である。
故にこれを二分すればよい、と。
そして判決を鄭の君主に奏上した。
鄭君が言った。
ああ、この裁判もまた夢のようなものである。
司法官は夢に人の鹿を分つか、と。
そして判決を宰相に相談した。
宰相が言った。
夢か夢でないかは私には分かりません。
覚夢を論じようと欲するならば、ただ黄帝や孔子の如き人物でなければいけません。
今は黄帝も孔子も居りませんから、これを判断できる者など居ないのです。
ですから、司法官の判決の通りにするが宜しいかと存じます、と。
<strong>【仲尼 第四】</strong>
第4-13
白馬非馬:公孫竜は、白い馬は馬ではないという詭弁を使った。彼は、馬という実体と白いという馬の属性の二つの概念は別物であるから両方がくっついた白馬は別物であると言った。彼の詭弁は他に、親なし子牛にはもとより母牛はいない。なぜなら母牛がいれば親なし子牛とは言わない。物体は動いても影は動かない。前の影と物体が動いたあとの影は影の移動ではなく次々と入れ替わった別物だから。
<strong>【湯問 第五】</strong>
第5-2
愚公山を移す:愚公という90歳の老人は家の前の山が邪魔だったので子供たちと山を崩して道を開こうとした。近所の老人がそれを笑ったが、愚公は、”自分が死んでも子供があとを継ぎ、その子が死んだら孫が継ぐ。子孫は絶えることがないが、山は高くなることはないのでいつか山を平らにすることができる。”と答えた。これを聞いた天帝は愚公のまごころに感心し山を移してやった。
第5-7
孔子不能決也:日の出の太陽が昼間の太陽より遠いか近いかで二人の子供が言い争いをしていた。子供の一人が、朝の太陽は昼間より大きく見えるので近くのものが大きく見えるわけだから朝の太陽が大きいというのに対し、もう一人の子供は、昼間の太陽が近いから熱いと反論した。二人の子供がどちらが正しいか孔子に聞いたところ、孔子はどちらが正しいか決めかねてしまった。子ども二人は、笑って孔子を冷やかして、”お前さんをたいへんな物知りと言ったのはどこのどいつだね。”
第5-12
伯牙は善く琴を奏で、鍾子期は善く聴いた。
伯牙が志を泰山に登るに馳せて奏でると、鍾子期は言った。
善いかな、雄大なる泰山のようだ、と。
志を水の流れに馳せて奏でると、鍾子期は言った。
善いかな、広大なる江河のようだ、と。
伯牙の志を鍾子期は自らのように得たのである。
ある時、伯牙は泰山の北に出かけ、暴雨に出会った。
崖下に止まることになった伯牙は、心悲しんでその想いを琴に託した。
初めに霖雨の操を奏で、次に崩山の音を弾いた。*1
奏でる度に、鐘子期はその趣きを尽くした。
伯牙は琴を置いて嘆じて言った。
善いかな、善いかな、君の聴くことや。
その志を得ること、まるで私の心のようだ。
君の前では何も隠せはしない、と。
第5-13
偃師の人形:偃師が作った人形は人間そっくりで、周の穆王(ぼくおう)に献上したところ王の愛妾に秋波(いろめ)を送ったので王はたいそう怒ったが、偃師は人形をばらばらにして見せた。墨子の集団はそのころ城を落とす雲梯や空を飛ぶ木で作った鳶を誇っていたが、この人形を見てからは自慢しなくなった。
<strong>【力命 第六】</strong>
第6-3.1
管仲と鮑叔の二人は相許した親友であった。
共に斉の国に仕え、管仲は公子糾の守り役を、鮑叔は公子小白の守り役を務めていた。
当時、君主であった僖公は甥の公孫無知を嫡子の襄公と同等に扱っていたので人々は国が乱れることを案じていた。
やがて僖公が亡くなって襄公が即位すると、襄公は気に入らない者を次々と殺して斉国内は混乱した。
襄公の弟であった公子糾と公子小白は災いが及ぶことを恐れ、公子糾は管仲と召忽に伴われて魯の国へ、公子小白は鮑叔に伴われて莒の国へと亡命した。
しばらくして公孫無知が反乱を起こして襄公を暗殺したが、すぐに公孫無知も暗殺されたので、斉には君主が不在となった。
そこで亡命していた二公子は斉への帰還を争った。
管仲は莒の道を遮って小白を射殺せんと試みたが、放たれた矢は帯鉤に当って小白は生き延び、小白はそのまま一足先に斉へ到着した。
斉の王位についた小白は桓公と称し、魯を脅して子糾を殺すと、召忽は之に殉じて死し、管仲は囚われの身となった。
鮑叔が桓公に曰く、
管仲の能力は国を治めるのに足ります。
大いに用いるべきでしょう、と。
これに対して桓公が曰く、
我は管仲のせいであと少しで死ぬところであった。
死を与えて恨みを晴らしたい、と。
鮑叔が答えて曰く、
私はこのように聞いております。
賢君は私怨無く、主の為に尽す人は、又、人の為にも尽すものであると。
君が天下に覇を唱えんと欲するならば、管仲の力が必要となります。
そのような私事は寛大に処置すべきです、と。
桓公は遂に管仲を召し、魯は管仲を斉に還し、鮑叔は管仲を郊外に出迎えてその禁縛を解いた。
管仲は礼遇されて当時の国老であった高氏と国氏の上位となり、鮑叔は管仲に従い、桓公は政治を管仲に委託した。
管仲は仲父と号し、桓公は遂に諸侯を九合して覇を唱えるに至った。
管仲が嘗て慨嘆して曰く、
私が若くて困窮していた頃、鮑叔と共に商売をしたことがあって、利益を分配するときに私は勝手に多く取ったが、鮑叔は私を貪欲であるとはしなかった。
それは私が貧乏で金が多くいることを知っていたからである。
私は嘗て鮑叔の為にある計画を実行して、大いに失敗してしまったが、鮑叔は私を愚であるとはしなかった。
それは時に利と不利とがあり、如何ともし難い場合もあることを知っていたからである。
私は嘗て三たび君に仕え、三たびとも追放されたことがあるが、鮑叔は私を不肖であるとはしなかった。
それは私の才略を理解し、ただ時宜に遭わぬだけであることを知っていたからである。
私は嘗て三たび戦い、三たびとも逃げたが、鮑叔は私を臆病であるとはしなかった。
それは私に老母が居り、死ねば孝行を尽すことが出来ぬことを知っていたからである。
公子糾が敗れた時、召忽は死に殉じたにも関わらず、私は幽囚せられて辱を受けた。
それでも鮑叔は私を恥を知らぬ人とはしなかった。
それは私が小節を為さぬことを恥とはせず、ただ、天下に名の顕れぬことを恥とすることを知っていたからである。
私を生んだものは父母である、私を真に知るものは鮑叔である、と。
此れを世は「管鮑は善く交わり、桓公は善く賢能を用いた」と称賛したという。
第6-3.2
しかしよくよく考えてみれば、これは自然に定まったことのようなもので、善く交際したものでもなければ、善く用いたというわけでもない。
かといってこれ以上に善く交際するものがいるというわけでも、善く用いるということがあるというわけでもない。
召忽は死ぬべくして死に、鮑叔は挙げるべくして挙げ、桓公は用いるべくして用いただけのことである。
管仲が病となって危篤になった時、桓公は管仲に問うて曰く、
仲父の病は大病であり、忌むべきことではあるが聞かざるを得ない。
もし、仲父に万一の時には我は誰に国政を預けるべきであろうか、と。
管仲曰く、
君においては誰に任せたいと思っておられますか、と。
桓公曰く、
鮑叔が相応しいのではないだろうか、と。
管仲曰く、
それはいけません。
鮑叔は確かに清廉潔白で素晴らしい人物ではあります。
しかし、彼は自らに若かざる者を容れませぬし、一たび人の過ちを聞けば一生忘れません。
もしも国政を任せれば、君は息つく暇もなく、人情に沿わぬ部分が多すぎて民に逆い、いつしか君にその禍が及んでしまうでしょう、と。
桓公曰く、
それでは誰が良いだろうか、と。
管仲曰く、
どうしてもというならば隰朋でしょうか。
隰朋は上に事えれば無心であり、下にも隔てがありません。
自らに対しては黄帝に及ばぬことを恥としますが、人に対しては自らに及ばぬ者でも哀れみます。
大体において、徳を人に分かち与えて、人を導く者を聖人と謂い、財を人に分かち与えて、人の窮を救う者を賢人と謂います。
己の賢を以て人に対する者に人は親しみませんが、己が賢であるにも関わらず自ら謙遜して人と接する者には人は惹かれるものです。
隰朋は賢でありますが、聞いても聞かぬ、見ても見ぬということができる者です。
ですから、どうしてもというならば隰朋に任せるのが宜しいでしょう、と。
この説話を見れば、管仲は鮑叔に対して薄いのではなく、薄くならざるを得ないのである。
同様に隰朋に対して厚いのではなく、厚くならざるを得ないのである。
たとえ始に厚くても、終には薄くせねばならぬ場合もあるし、終が薄くても始は厚くする場合もある。
したがって厚薄の去来というものは、全て自然に帰着するものなのである。
<strong>【楊朱 第七】</strong>
楊朱は言う。
「百年は寿命の限界だ。百年まで生きられる者は千人にひとりもいない。たとえ百年生きられても、幼児期と老人期の合計がほとんどその半分を占めている。さらに、夜眠っている時間、昼間むだに過ごしている時間が、そのまた残りの半分を占める。さらに、病気や苦悩、無為や心配が、そのまた残りのほとんど半分をしめる。残りの十数年のうち、悠然と気ままに過ごせる時間は、一季つまり三か月ほどもないのだ。とすれば、人間は人生で何を為し、何を楽しめばよいのか」
「太古の人は、人生が束の間の訪れであり、死が暫しの別れであることを知っていた。それゆえ、自分の心のままに動き、自然にたがわなかった」
「万物が異なる所は生であり、同じ所は死である。生きていると賢愚・貴賎の区別がある。死ぬと臭腐消滅し、みな同じになる」
「十歳でも死ぬし、百歳でも死ぬ。仁聖も死ぬし、凶愚も死ぬ。生きているときは堯・舜(ぎょうしゅん)でも、死ねば腐骨。生きているときは桀・紂(けつちゅう)でも、死ねば腐骨。腐骨は一様であり、誰も区別などはできない(腐骨は一なり、たれかその異なるを知らん)。しばらく当生に赴いているだけである。死後のことを考えているヒマなど無い」
<strong>【説符 第八】</strong>
第8-6
宋の人で主君に献上する為に楮の葉を玉で彫刻せし者が居た。
三年かかって出来たその玉の葉は、本物と寸分違わずして見分けのつかぬものであった。
故にその巧みさを以て宋の国に食禄を得るに至ったという。
これを聞いた列子は云った。
天地が物を生ずるに、三年かかって一枚の葉しかできぬとあらば、葉を有する植物に葉は無くなってしまうであろう。
だからこそ、聖人は無為自然なる道化を尊んで智巧で飾ることを戒めるのである、と。
 
赤穂浪士らに多大な影響を与え、また後世では伊藤仁斎、荻生徂徠、吉田松陰、乃木将軍といった人物に影響を与えた思想家であり、山鹿流兵法及び古学派の祖である儒学者・軍学者の山鹿素行の著書、『聖教要録』『配所残筆』についてです。
『聖教要録』は、「聖人」から「道原」まで、28項の簡潔な解説から成り、孔子やその前の聖人の教えに還り、日用実践を重んずべきことを説いた書です。
幕府が推奨する朱子学を批判した先駆をなすもので、門人への講義である『山鹿語類』からその学説の中核を集録した3巻からなります。
「周公・孔子を師として、漢(かん)・唐(とう)・宋(そう)・明(みん)の諸儒を師とせず」とする古学転回後の素行学が体系的に展開され、「聖人」「道」「理」「徳」「誠」「天地」「性」「心」「道原」など28の重要語句に対して、簡にして要を得た説明がなされています。
天地に則り、人物の情にもとることなく、事業・法礼を廃棄せず、性心をもてあそぶことなく具体的な教えを述べるもの、と自ら示した「聖学」(素行学)の核心が書かれています。
これにより伊藤仁斎と並ぶ古学派の祖と称されたものの、本書は幕府から「ふとどきなる書物」とされ、素行は播磨赤穂に配流されています。
『配所残筆』は、『聖教要録』を出版したために赤穂藩へ流された素行の遺書の形でつづった自伝的書簡(1巻)です。
配所とは流刑地のことで、回想録の形をとり、仏教、老荘さらに儒学(朱子学)を学び、最後に朱子学を批判して古学的境地(古学派)に至り、聖人の道を基準として日本が最も優れているとする立場に達するまでの思想的遍歴つづったものです。
ちなみに古学派というのは、陽明学をも含めて宋・明の新儒学を批判し、元来の孔子・孟子の学問に帰ろうとした学派です。
日本最初の自叙伝としても重要であり「この世の現実に即さないで、ただ古聖人に忠実なだけでは自己満足するだけで現実離れしていき、結局、この世を捨てて山林に入り鳥獣を友とするしかない。読書を好んで詩文に耽り、著述をしても実用の役には立たない。(その類のものは)余暇にすべきもの」と陽明学的な言い回しをしているのが特徴です。
では、どうして朱子学を批判したのでしょう。
それは素行が、存在するものすべては個別的で、一つ一つに固有の理があり、それを無視して万物一源と論ずべきでないとして、抽象的・観念的な朱子学を批判し、学問とは日常に役立つものを指すとしたためです。
武士として日常における具体的行為を重んじ、朱子学が否定する情欲の中にも、「やむことを得ざる」自然として肯定されるべき誠がある。
誠はまさに自らの内面からの必然であり、日常の礼節などの道徳はこの誠を内に持ってこそ真実たりうる、そのため、孔子・周公の教えに帰ろうとした訳です。
素行は、幕藩体制下における武士の存在意義を、儒学における士・君子(徳ある為政者)と重ね合わせて、新しい武士道としての士道を説きました。
武士は徳によって農工商の上に立ち、道徳的指導者として国を治めるべきであり、礼節を重んじて驕り高ぶらず、高潔たるべしとし、武士の身分は天命によるがそれに驕ることは天により責められることと、強く戒めています。
農工商は生業が忙しく、倫理道徳を追ってはいられない。
だからこそ武士は、世の安定に勤める者としての自覚を持ち、三民の師として人々に道を教え、そこから外れた者を罰す存在だ、ということを説き、高貴な人格を求める者としての、新たな武士道※)を主張したのです。
※)武士道についてはこの件を含めて、後日改めて整理したいと思います。
素行は「武士道とは死ぬこととみつけたり」(葉隠)とまでは極論しませんでしたが、いざとなれば死を厭わない勇気を持ち、また「士の忠孝の相手は主君にあらずして朝廷(天皇)」としたのでした。
こうした素行哲学は、赤穂浪士に至る忠臣蔵に発展し、吉田松陰の尊皇攘夷論、乃木希介の自決といった極端な時事で常に注目を集めることになります。
1868年に山鹿兵法の体現者だった松蔭の松下村塾の門弟が率いる新政府軍が素行の故郷会津藩を滅ぼし、素行の思想の結実までに200年の月日が流れていたのも、奇妙な縁と言わざるを得ません。
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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
【聖教要録】
聖教要録小序
聖人杳(はる)かに遠く、微言漸(やうや)く隠れ、漢唐宋明(みん)の学者、世を誣(し)ひ惑ひを累(かさ)ぬ。中華既に然り。况(いはん)や本朝をや。先生二千載(さい)の後に勃興し、迹(あと)を本朝に垂れ、周公孔子の道を崇(たつと)び、初めて聖学の綱領を挙ぐ。
聖教要録上
聖人
聖人は知ること至りて心正しく、天地の間通(つう)ぜざること無し。其の行や篤(あつ)くして条理有り、其の応接や従容として礼に中(あた)る。其の国を治め天下を平らかにするや、事物各々其の処を得(う)。
知至る
人は万物の霊長なり。血気有るの属(たぐひ)は、人より知なるは莫(な)し。聖賢は知の至りなり。愚(ぐ)不肖は知の習なり。知の至るは、物に格(いた)るに在り。
聖学
聖学は何の為(ため)ぞや。人為(た)るの道を学ぶなり。聖教は何の為ぞや。人為るの道を教ふるなり。人学ばざれば則ち道を知らず。生質(せいしつ)の美、知識の敏(びん)も、道を知らざれば其の蔽(へい)多し。
師道
人は生まれながらにして之(これ)を知る者に非(あら)ず。師に随いて業を稟(う)く。学は必ず聖人を師とするに在り。世世(よよ)聖教の師無く、唯だ文字記問の助のみ。
立教
人教へざれば道を知らず。道を知らざれば、乃(すなは)ち禽獣(きんじう)よりも害有り。民人の異端に陥り、邪説を信じ、鬼魅(きみ)を崇(たつと)び、竟(つひ)に君を無(な)みし父を無みする者は、教化(けうくわ)行はれざればなり。
読書
書は古今の事蹟を載(の)するの器なり。読書は余力の為(な)す所なり。急務を措(お)きて書を読み課を立つるは、学を以て読書に在りと為すなり。
聖教要録中

中は倚(かたよ)らずして節に中(あた)るの名なり。知者は過ぎ愚者は及ばざるは、中庸の能(よ)く行はれざればなり。中庸を能(よ)くすれば、則ち喜怒哀楽、及び家国天下の用、皆な節に中(あた)る可し。中は天下の大本(たいほん)なり。

道は日用共(とも)に由(よ)り当(まさ)に行ふべき所にして、条理有るの名なり。天能(よ)く運(めぐ)り、地能(よ)く載(の)せ、人物能(よ)く云為(うんゐ)す。各々其の道有りて違(たが)ふ可からず。

条理有るを之(こ)れ理と謂(い)ふ。事物の間、必ず条理有り。条理紊(みだ)るれば、則ち先後(せんご)本末正しからず。

徳は得なり。知至りて内に得(う)る所有るなり。之(これ)を心に得(え)、之(これ)を身に行ふを、徳行と謂(い)ふ。
聖教要録下

理気妙合(めうがふ)して、生生無息の底(てい)有りて、能(よ)く感通知識する者は性なり。人物の生生、天命ならざる無し。故に曰く、天の命ずるを之(こ)れ性と謂(い)ふ、と。
道原
道の大原(たいげん)は、天地に出づ。之(これ)を知り之を能(よ)くする者は、聖人なり。聖人の道は、天地の如く、為すこと無きなり。乾坤(けんこん)は簡易なり。上古の聖人、天地を以て配(はい)と為す。董氏(とうし)の所謂(いはゆる)太原は、其の語意尤(もつと)も軽し。
 
【配所残筆】
我らことは身分の低きもの、ことさら無徳短才にて、中々歴々の御方々の末席に列し得らるる筈でないのに、幼少の頃より相当の者と思われ、歴々の方々の御取持(御世話)に預かった。これは全く我らの徳義の故とは思わず、天道の冥加に相叶える故なりと思う。それでいよいよ天命をおそれ万事につけ日頃慎んで居る次第である。
六歳より親の言いつけにより学問をさせられたが、不器用であって、漸く8歳頃までに、四書、五経、七書、詩文の書等、大方を読み覚えることができた。(※四書とは、大学、中庸、論語、孟子。五経とは、易経、書経、詩経、春秋、礼記。七書とは、兵法書の孫子、呉子、尉りょう子、司馬法、李衛公問対、六とう、三略)
9歳の時、稲葉丹後守殿(老中の正勝)の家来の塚田杢助が父と懇意の間柄であったので、我らを林道春老の弟子と為したいと頼んだ。杢助が序(ついで)の時に、そのことを丹後守殿へ申し上げたところ、幼少にて学問せんとするは奇特なことであると云うので、御城で直接に丹後守殿が林道春へ御頼みくだされた。それでかの杢助が拙者を連れて道春のところへ参った。その時、道春と杢助と永喜(道春の弟)も同座であったが、我らに論語の序文を無点の唐文にて読めと申された。それを我らが読んだところ、更に山谷(山谷集、宋の詩人黄庭堅の詩集)を出して読まされた。永喜の云わるるには、幼少にてかほどにも読み得るとは奇特なり。さりながら田舎学者が教えたものと見えて、訓点のつけ方悪しと。道春も永喜と同様に申され、感心し悦んでくだされた。それで特に親切にしてくだされて、11歳頃までに、以前読んだ書物の読み方の悪しきを訂し、更に無数の本にて読み直した。
11歳の時初めて元旦の詩を作って、それを道春に見せたところ、一字だけ改められて、それに序文を書き、幼少のものの作ったものとしては感心なりとの書状を副え、それに和韻した詩を作り下された。
同年、堀尾山城守殿(忠晴、松江城主)の家老の揖斐伊豆が我らに目を掛けられ、山城守殿へ召し出され、そこで書物を読んだ。伊豆は是非とも山城守に仕えるよう、すれば二百石下さると云うことであったが、我らの親が同意しなかった。
14歳の頃には詩も文も達者に作り得るようになったので、伝奏(将軍より天皇への奏上を取り扱う役)の飛鳥大納言殿(雅宣)がそれを聞かれ、召び寄せられた。そこで即座に詩を作ってお目に掛けたところ、大納言殿は和歌を御読みになり、且つ和韻の詩をも作られた。烏丸大納言殿(光広)それを聞かれて、即座に文章を作り下された。失礼ではあったが、我らも即座に対句を作った。若輩の時分でもあり、殊更即座の事であったから、只今見れば笑い草に過ぎないのであるが、又深く感心せられ、その後両公は御懇意に為し下され、折々は御伺い申し上げ、又詩文の贈答を致した。
15歳の時、初めて大学の講義をしたが、大勢の聴衆があった。
16歳の時、大森信濃守殿(佐久間久七)、黒田信濃守殿(源右衛門)の御望みにより孟子の講義をした。蒔田甫庵老人は論語を望まれた。これまた同年講義し、いづれもその翌年までに終った。これまた若輩の時分のこと故、定めて不埒なことばかりであったと思うが、その時分の事は、蒔田権助殿や、富永甚四郎殿らは今以てよく覚えておらるる。
我ら幼弱より武芸軍法の修行を怠らず、15の時に尾畑勘兵衛殿及び北条安房守殿に逢うて兵学の稽古修行をなした。(※尾畑勘兵衛は、甲州流の軍学者として有名な人。名は景憲)20歳になるまでに、門弟中で我らが大方上座になってい居たのであるから、北条安房守殿の筆で、尾畑勘兵衛殿が印可状(免許状)をくだされた。
21歳の時、尾畑勘兵衛殿再び印可状をくだされ、殊更門弟中汝の如きは一人もなしと云う印可の副え状と申すものを我らに与えられた。それの筆者は高野按察(あぜち)院光宥(両部習合神道家である)である。その文に云う、「文に於いては、その能く勤むるを感じ、武に於いては、その能く修るを歎ず。「あぁ文事有るに、必ず武備有りと。古人云う、我又云う」と。我らを称美せられた末句のこの文句は、勘兵衛殿のひたすらに好まれたところのものである。
17歳の冬、高野按察院光宥法印より、神道の伝授を受けた。神代三巻は勿論神道の秘伝は残らず伝授せられた。その後壮年の頃、広田担斎と云う人、忌部氏嫡流の者であるが、根本宗源の神道を相伝せられた。その節忌部神道の日決は残らず相伝せられ、その書付け証文をくだされた。その中頃より石出帯刀と云う人が(門人として)来たり、我らに了解を得て、共に神書を聴いた。然るに、担斎がやがて死んだので、神書のこと帯刀のことを拙者に頼まれた。帯刀が神書のことで了解のできぬことは皆、拙者によって了解読心ができるようになった。これまたその時の書付け今もなお保存してある。
同年より歌学を好み、20歳までに源氏物語は残らず聞き、源語秘訣(源氏物語の秘伝)までも相伝を得た。伊勢物語、大和物語、枕草紙、万葉集、百人一首三部抄、三代集(古今、後撰、拾遺)に至るまで、広田担斎より相伝を受けた。これにより源氏私抄、万葉、枕草紙、三代集の私抄注解などのあらましの撰述を為した。詠歌に志深く、年に千首の和歌を詠み得たれども、少し考えがあって、その後は顧みないこととした。右広田担斎より歌学に関することも残らず相伝せられた書付けが今もなお保存されている。尤も、職原抄(北畠親房の書)官位の次第、これの講義は道春より残らず聞き、その後にこれも又担斎より具に承りて、なお了解のできぬことは菊亭大納言殿(経季)へ申し上げ、大納言殿は、親筆で一々の口伝の御書付けをくだされた。このことは人々のよく知り居ることである。そこで我らに職原抄を伝授した人々は数多あると云う訳である。
若年の時より、くで兵右衛門殿、小栗仁右衛門殿の御取り持ちにて紀伊大納言(頼宣)様へ七拾人持ちにて召し出され、御小姓近習の役にせられる御約束になっていて、やがて御目見えの用意をしていた。又内々には岡野権右衛門殿が万事取り持たれたのであるが、阿部豊後守殿(忠秋、時の老中)が拙者のことを聞かれ、尾畑勘兵衛殿、北条安房守殿に御頼みになり、我らを召抱えたしと申された。しかし右大納言様への先約があるので御断り申し上げた。然るに大納言様は、豊後守殿に御抱えありたい意志があることをお聞きになって布施佐五右衛門殿を御使として、兵右衛門及び仁右衛門に仰せらるるには、豊後守殿が御抱えになりたいものを、大納言様へ引取ることは遠慮すべきである、例え御家来筋のものであるにせよ、豊後守殿ほどのものが御所望ならば、それへやって良い、豊後守殿の御用に立つことは御公儀(幕府)の御用なれば、豊後守殿へ召抱えるように為すべしと。このことは更に右の佐五右衛門殿が使者となって勘兵衛殿と安房守殿へも申し遣わさるる筈になって居るとのことであったが、右佐五右衛門殿が最早召抱えられるよう御両所へ約束ができて居ることであるが、如何致すべきやと申し上げたところ、兵右衛門殿も仁右衛門殿もそれは心易いこと、別に差し支えなしと仰せられたとのことである。拙者が考えるに、大納言様が右の如く御遠慮なされた上は、豊後守殿にも御抱えはあるまい、老中家(豊後守)は大納言家には遠慮もあるべきわけであるから、この方より御両家の何れへもお断り申し上げる方がよいと思い、岡野権右衛門と相談の上で、このことはそのままになった。
右の兵右衛門殿は謙信流の軍法者で、御歴々の人でその弟子になって居るものが多数あるのであるが、しかも我らの弟士になりたいとのことで兵学の御勤めを十分になされて居る。仁右衛門殿は御等に*身の柔道を御伝えくだされ、奥儀まで承って居ると云うほどに、別て御親切に預かって居る。岡野権右衛門殿は我らの若年の時より書物の講義をお聞きになり、残に兵法の弟子に成られたいとのこと、又御一門の中残らず我らに兵学をお聞きになって居るので、御心易く御親切を得て居る。
右の翌年、加賀松平筑前守殿(利常)が拙者のことを聞かれ、召抱えたしと、町野長門守殿を介して申された。然るに拙者の親は知行千石くださらなくば、出仕することは致さぬと申して、それを留め申した。筑前守殿でも七百石まではくださるるようの御話であると長門守殿が申されたと云うことである。
正保四年丁亥の秋、大*院様(将軍家光)が北条安房守殿へ築城設計図を仰せ付けられた際、拙者はおこりを病んでいたが、安房守殿は拙宅へ御出でになって、右設計図の御相談があった。それで陰陽の両図を製作した。右図面の書付け、並びに目録まで拙者と相談の上にて書かれた。その書付は残らず拙者の所にある。その節久世和州公(大和守広之)が安房守殿へ御出でになって、お目に懸ったことである。御覚えあるべし。
拙者25歳の時、松平越中守殿(定綱、桑名城主)が拙者を御召し出になり、学問兵学のことについて御研究御議論があったが、拙者の申し上げることをよく御会読なされ、別けて慶ばれて、拙者の弟士たることの誓状を書かれ、拙者に兵学の御相談をなさるるようになった。右誓状のあった翌日、三輪権右衛門が先だって遣わされた御太刀、馬代、時服(時候に応じた礼服。この三者を送るは、当時の礼儀であった)を持参せられた。追って越中守殿は(弟子入りり)御礼の為に、私宅へ御来臨になり、それ以後は毎度御懇意の詩文など時々御贈答があった。拙者の書いた文章を表具せられて、拙者を御招請の時には、それを座敷へ懸けられた。まことに勿体ないことで、却って迷惑至極なりと度々御断り申し上げた。このことは浅野因州公(因幡守長治)がよく御承知で、常にそのことを話された。越中守殿はその頃60歳になられ、(徳川家の)御一門であり、御譜代の御大名には珍しき学者である。兵法は尾畑殿の印可を得らるるまで御研究になり、東海道筋の第一の御大名である、されば人皆な崇敬して居る方であるのに、その御方が拙者を大いに御信仰なさるのであるから、くだされもののことまで、委しく書付け置いた。このことは今以て家中の人々が皆な知って居らるる。
同年、丹羽左京大夫殿(光重、二本松城主)が以前より我らに兵法をお聞きになっていたが、兵書のついでに荘子の講義をも望まれたので、折々それの講義をも申し上げた。荒尾平八郎殿や揖斐興左衛門等もお聞きになった。その時分は、我ら老子や荘子の学を好んでいたので講義した訳である。然るに武田道安が明寿院(藤原せいか)に老荘の相伝を受けていた。近代世上に荘子の講義などはなかったので、拙者が荘子を読むと云うことも心もとなきことなれば、一座して聞きたいとのことを浅野因州公へお頼みになった。ここで、因州公は拙者へお尋ねなされたので、右道安と丹羽左京大夫殿の内にて一座し、拙者の荘子の講義を聞かれた。道安が拙者を褒めること一通りではなかったと、このことは後まで因州公がお話になった。道安は医師である、殊更に学問も広く厚いが、明寿院以来にこれほどの者なしと、別で褒めたと云うことであるが故に、書き置くことにした。
大*院様の御前へ祖心が近く仕えていた時分に、祖心の申さるるには、御序の時に、その方のことをともに申し上げておいた。折々は御上意もあること故に、必ず家中へ奉公に出るようなことはしないようにせよ、松平越中守殿はその力を大切に思うていられるから、その方が御家人(将軍直参)になるようにお取り持ちくださるように、御内意をともに申し上げたところ、それは一段良いことと賛成せられた。そこで表向きは越中守がお取り持ちくださるから、松平伊豆守も又兼てよりその方のことを御存じ故、そして祖心へもそのことを御相談なされることになって居る。そこでまずその旨を酒井日向守(忠能)殿へも仰せ遣わされてあるから、お目に懸り置けとのことであった。それで越中守の御家老三輪権右衛門を連れさせ、日向守殿へ拙者を遣わされ、お目に懸って置いた。その後、越中守殿の申さるるに、酒井法印公(忠勝、大老)へは拙者のことを具(つぶ)さに物語りしておいたから、左様に心得置くべしと。その節空印公が上意により、祖心を下屋敷(別邸)にて御饗応になった時に、拙者を召し出され、御親切にしてくだされた上、越中守殿が拙者に就いての話を細かに為されたとの御挨拶があった。久世和州公(大和守)が又上意にて祖心を御饗応になり、道春が召されて、老子経の講義をした際、和州公の仰せにより、拙者もその末座へ召し出された。後に祖心の申さるるには、このことは皆上意によったものであるから、有り難く思うようにとのことであった。
卯年(慶安4年、30歳)、2月、御近習の駒井左京殿が、阿部伊勢守を御頼みになって、拙者の弟子となり、兵学をお聞きになりたしとの仰せであったが、幸いに御近所に北条安房守殿が居られることであれば、この方に兵学の御相伝を受けらるる方が宜しかろうと、たって御断り申し上げたのであるが、特別のお考えがあるとのことであったから、御意に任せて参ったところ、非常に御馳走になり、兵書をお聞きになって、早々御登城になった。右京殿と伊勢守との御両所間の御話は拙者はどういうことか承っていないが、脇にて承るところによれば、右京殿が拙者を召寄せられたのは、上意であったとのことである。このことを詳細祖心へ話したところ、それは大方そうであったのであろうから、いよいよ諸事を慎み、家中などへ奉公するようなことは無用なりと思えとのことであった。然るにその後、家光*去なされた。又松平越中守殿もその年12月に御逝去になった。
翌辰の年、浅野内匠頭(長直、長矩の父)が拙者へ直接に約束為されて、色々御鄭重に為された上、知行千石をあてがわるることになった。拙者は相応の職務を申しつけらるるよう、たって願い上げたところ、いかがお考えになったのか、勤番役とか、他家への便とか、そういう職務向きのことは申しつけられなかった。定めてそれは拙者が不調法ものなるによるのであろう。ただ稽古日を定め置き参上する時に、御馳走に預かる。かく全て浪人分に為し置かれた。
巳年(承応2)、播州赤穂へ参った時、大阪にて曽我丹波守殿は拙者の兵学の弟士なるが故に、別て御親切に取り扱われ、御馳走せられ、そこに二三日逗留していた。その時分に板倉内膳殿(重矩)が御兼職になって居られたので、丹波守殿へ相談せられて、9月21日、丹波守殿のところで、内膳殿へ終日御面会を申し上げた。翌年5月、江戸へ帰る内膳殿殿非常に饗応あり、道具等をもくだされた。
内匠頭方に9年仕えていたが、考える子細あって、書付を差上げ、子年、大嶋雲八殿を介して知行をお断り致した。その時も知行を増すから留まり居れよとまで仰せられたのであつたが、加増や利禄を欲して、知行を断った訳でない由を申し上げ、たって断り申し、知行を返納したことである。このことは大嶋雲八殿がよく御存じである。
知行をお断り申して以後は間(ひま)があって浅野因州公、本多備前守殿などが私宅へ御出でになった時分に、因州公がかく申された。以後は一万石でなくては、何れへも奉公せぬとその方が兼て申したことは如何にも尤もなことと思う。古来、戦国の時代には、陪臣であっても、高い知行を取った者が幾多もある。木村常陸介が5万石の時に、木村惣左衛門が5千石、長谷川藤五郎が8万石の時、島弥左衛門が8千石、丹羽五郎左衛門が12万石であって、江口三郎衛門と坂井興右衛門がその下にあって各1万石づつ取っておった。かようなことは珍しくない。
 
『小學(小学)』は、187年に朱熹が劉子澄に編纂させた儒教的な初等教科書で、朱子学の基本となる書です。
儒学では『四書』(『論語』・『孟子』・『大學』・『中庸』)と『六経』が重要な書となりますが、朱子学では、これに『小學』と『近思録』が加わります。
朱子学には書を読む順序があるそうで、『小學』→『近思録』『大學』→『論語』→『孟子』→『中庸』→『六経』となります。
様々な古典の文言にある具体的事柄が多く抜粋されていることから、年少者のための初級テキストとされましたが、その内容は古聖人の善行や箴言および人倫の実践的教訓などを集めた日常の礼儀作法や格言・善行を行うための啓蒙的なものです。
・「内篇」は、立教、明倫、敬身、稽古の4篇からなり、主として原則的な修養の理や温故知新を説いています。
・「外篇」は、嘉言、善行の2嘉言からなり、古人の言行が書かれています。
従って『小學』は、自己を治める修己として、現代の子供教育の危機を救う非常に優れた書であることは、一読してみればよくわかります。
そもそもこの『小學』でさえ、日本人はうまく租借して近代日本の基礎教育の元にしてきました。
歴史にみる日本人というのは非常に優秀で、漢文の古典すら翻訳即消化して血肉としてきました。
これは精神的なものだけでなく、生理的なものについても同じことがいえます。
日本には現代でも世界中のいろいろな食べ物、飲み物がありますが、これらを驚異的な包容力・消化力で飲み込んできました。
舌にあわなければ独自の調理法や味付けを施し、すべてを美味いと思わせる形にアレンジしてきたわけです。
これを陶鋳力というそうですが、それは包容力・消化力を併せ持った想像力のことをさすそうです。
仏教も儒教も文字も文化も芸術も、何でも自由自在に消化して自分のものとしてしまう力!
消化不良なものや吐き出してしまうものも多々あるが、いつしかそれを日本化・習合化してしまう力!
国外のものが入ってきても決してそんまま迎合化・従属化することなく、独自の文化・精神に精錬してきたこの日の本の能力を、私達は少々忘れかけているのかもしれません。
記憶したり○×だけの唯一の答えを導き出すような機械的な能力を磨くだけでは創造的なことは成しえませんし、それは所詮精度の高い働きアリ、働き蜂の所業でしかありません。
縦割りで何でも細かくわけて他と比べるような幼稚な所作からは卒業し、人生や環境を創造していける能力、創建智、解脱智、聖智の領域まで知性を高めるべく、精錬研磨していく学問を修養していきたいものです。
人は日々刻々と進歩すべき生き物です。
現存する古典でもある佳書を、改めてじっくりと読んでみてはいかがでしょうか。
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以下参考までに、一部抜粋です。
<strong>【小學序】</strong>
古は小學、人を敎うるに灑掃・應對・進退の節、親を愛し、長を敬し、師を隆び、友に親しむの道を以てす。皆、脩身・齊家・治国・平天下の本と爲す所以にして、必ず其れをして講じて、之を幼穉の時に習わしむ。其の習い、知と長じ、化、心と成り、扞格して勝えざるの患い無からんことを欲するなり。今、其の全書は見る可からずと雖も、傳記に雜出する者亦多し。讀む者往往直古今の宜しきを異にするを以てして、之を行う莫し。殊に知らず、其の古今の異なること無き者は、固より未だ始より行う可からざるにはあらざるを。今、頗る蒐集して、以てこの書を爲し、之を憧蒙に授け、其の講習に資す。庶幾わくば風化の万一に補い有らんかと爾か云う。
淳煕丁未三月朔旦、晦菴題す
<strong>【小學題辭】</strong>
元亨利貞は天道の常、仁義禮智は人性の綱。凡そ此れ厥の初め不善有ること無く、藹然たる四端、感に隨いて見わる。親を愛し兄を敬し、君に忠に長に弟なる、是を秉彛と曰う。順うこと有りて彊うること無し。惟れ聖は性のままなる者、浩浩たる其の天、毫末をも加えずして萬善足る。衆人は蚩蚩、物欲交々蔽い、乃ち其の綱を頹して此の暴棄に安んず。惟れ聖斯に惻れみ、學を建て師を立て、以て其の根に培い、以て其の支を達す。小學の方は、灑掃應對、入りては孝、出でては恭、動くには悖ること或る罔く、行いて餘力有らば、詩を誦み書を讀み、詠歌し舞蹈して、思うには逾ゆること或る罔し。理を窮め身を脩むるは斯れ學の大、明命赫然として内外有ること罔し。德崇く業廣くして、乃ち其の初めに復る。昔足らざるに非ず、今豈餘有らんや。世遠く人亡せ、經殘われ敎え弛み、蒙養端しからず、長じて益々浮靡、郷に善俗無く、世に良材乏しく、利欲紛挐し、異言喧豗す。幸に茲の秉彛は極天墜つる罔し。爰に舊聞を輯め來裔を覺さんことを庶う。嗟嗟小子、敬みて此の書を受けよ。我が言の耄なるに匪ず。惟れ聖の謨なり。
<strong>【小學内篇】</strong>
<strong>【第一 立教】</strong>
子思子曰く、天の命ずる之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、道を脩むる之を敎と謂う。天の明に則り、聖の法に遵いて此の篇を述べ、師爲る者をして以て敎うる所を知り、弟子をして以て學ぶ所を知らしむ。
立教1
列女傳に曰く、古は婦人子を妊めば寢ぬるに側せず、坐するに邊せず、立つに蹕せず、邪味を食わず、割正しからざれば食わず、席正しからざれば坐せず、目は邪色を視ず、耳は淫聲を聽かず。夜には則ち瞽をして詩を誦し、正事を道わしむ。瞽盲は、樂官なり。此の如くなれば則ち生まるる子、形容端正にして、才人に過ぐ。子を妊む時は、必ず感ずる所を愼むを言う。善に感ずれば則ち善、惡に感ずれば則ち惡なり。
立教2
内則に曰く、凡そ子を生まば、諸母と可者とに擇び、必ず其の寬裕・慈惠・溫良・恭敬、愼みて言寡なき者を求めて、子の師爲らしむ。諸母は衆妾なり。可者は傅御の屬なり。子師は敎示を以て善道する者。
司馬溫公曰く、子始めて生まるれば、乳母は必ず良家婦人の稍溫謹なる者を擇び求む。乳母良からざれば惟家法を敗亂するのみに非ず、兼て飼う所の子の性行も亦之の類にせしむ。子能く食を食えば、右手を以うることを敎う。能く言えば、男は唯し、女は兪せしむ。兪は然りなり。
溫公曰く、子能く言わば、之に自名及び萬福安置を唱喏するを敎ゆ。稍知有れば則ち之に敎うるに恭敬尊長を以てす。尊卑長幼を識らざる者有れば、則ち嚴に之を訶禁し註して曰く、古は胎敎有り。况や已に生じ、子始めて生まれ未だ知ること有らざれば、固より舉ぐるに禮を以てす。况や已に知有れば、と。孔子曰く、幼成は天性の若く、習慣は自然の如し、と。顏氏家訓に曰く、婦を敎うるに初來、兒を敎うるに嬰孩、と。故に其の始めを謹むに在るは、此れ其の理なり。夫れ子の初生の若き、之に尊卑長幼の禮を知らざれば、遂に父母を侮詈し、兄姊を敺擊するに至らしむ。父母訶禁するを知らず、反って笑いて之を奬て彼旣に未だ辨せずとし、好惡を禮の當然と謂う。其の旣に長ずるに及び、習已に成り、性は乃ち怒にして、之を禁ずるも復た制する可からず。是に於て父は其の子を嫉み、子は其の父を怨み、殘忍悖逆至らざる所無し。此れ蓋し父母の深く遠慮を識ること無く、微を防ぎ漸を杜ぐこと能わず、小滋に溺し、其の惡を養成する故なり。男は革を鞶にし、女は絲を鞶にせしむ。鞶は小嚢、盛帨巾なる者。男は韋を用い、女は繒帛を用う。六年にして之に數と方との名を敎う。數は一十百千萬を謂う。方名は東西南北を謂う。
溫公曰く、始めに字を書くを習う、と。七年にして男女席を同じくせず、食を共にせず。其の別を蚤くするなり。
溫公曰く、始めて孝經・論語を誦み、次に諸經に及ぶ、と。八年にして門戶を出入し、及び席に卽きて飮食するに、必ず長者に後れしむ。始めて之に讓を敎ゆ。示すに廉恥を以てす。九年にして之に日を數うることを敎う。朔望と六甲なり。
溫公曰く、始めて之の爲に講解して義理を曉らしむ、と。十年にして出でて外傳に就き、外に居宿し、外傳は敎學の師なり。十年以後は學ぶこと有りて敎うること無し。書計を學ぶ。書は六書を謂う。計は九數を謂う。衣は襦袴を帛にせず。帛を用いて襦袴を爲らず。太だ溫にて陰氣を傷ればなり。禮は初めに帥い、帥は循なり。禮を行う動作は皆先日爲す所に遵い習う。朝夕幼儀を學び、朝より夕に至るまで、幼少の長者を奉事するの儀を學ぶを言う。簡諒を請い肄う。肄は習なり。簡は書の篇數なり。諒は言語信實なり。請い肄うは長者に請いて之を習い學うなり。溫公曰く、是より以往、以て博く群書を觀る可し。然るに必ず其の精要なる者を擇びて之を誦む。禮記の如きは則ち學記・大學・中庸・樂記の類なり。其の異端の聖賢の書に非ざるは、傅は宜しく之を禁ずべし。妄りに觀て、以て其の志を惑亂せしむること勿かれ。書を觀て皆通じ、始めて文辭を學ぶ可し、と。十有三年にして樂を學び詩を誦し勺を舞う。樂は六樂の器を謂う。勺は籥なり。籥を舞うは文の舞なり。成童にして象を舞い射御を學ぶ。成童は十五以上。象を舞うは武の舞なり。干戈を用うるの小舞を謂うなり。射は五射を謂う。御は五御を謂う。二十にして冠し、始めて禮を學ぶ。以て裘帛を衣る可し。大夏を舞い、冠は冠を加うるなり。禮は五禮を謂う。二十は成人血氣强盛、衣裘を衣る可し。大夏は禹の樂。樂の文武備わる者なり。惇く孝弟を行い、博く學びて敎えず、内にして出さず。廣博に學問して師と爲りて人に敎う可からず。其の德を蘊蓄して、内に在りて言を出して人の爲に謀慮す可からず。三十にして室有り、始めて男の事を理む。博く學びて方無く、友に孫い志を視る。室は妻に猶じ。男の事は田を受けて政役に給すなり。方は常に猶じ。此に至りて學ぶに、常無し。志の好む所に在り。四十にして始めて仕え、物を方べて謀を出し慮を發す。道合えば則ち服從し、不可なれば則ち去る。物は事に猶じ。物を方べて謀を出せば、則ち謀は物に過ぎず。物を方べて慮を發すれば、則ち慮は物に過ぎず。五十にして命ぜられて大夫と爲り、官政を服す。一官の政を統るなり。七十にして事を致す。其の事を君に致して老を告ぐ。女子は、
溫公曰く、女子六歳にして始めて女工の小なる者を習う。七歳にして孝經・論語を誦し、九歳にして孝經・論語及び列女傳・女誡の類を講解して、略々大意を曉る、と。註に曰く、古の賢女、圖史を觀て以て自ら鑑みざること無し、と。曹大家の徒の如き、皆精しく經術に通じ論議明正なり。今人或は女子を敎うるに歌詩を作り俗樂を執るを以てす。殊に宜しき所に非ざるなり。
伊川程先生曰く、先夫人侯氏、七八歳の時古詩を誦す。曰く、女子は夜出でず。夜出れば明燭を秉る、と。是より日暮れれば則ち復た房閤を出でず。旣に長なりて文を好みて詞章を爲らず。世の婦女の文章筆札を以て人に傅うる者を見れば、則ち深く以て非と爲す。
安定胡先生曰く、鄭衛の音は淫を導く。以て女子に敎う。宜しき所に非ざるなり、と。十年にして出でず。恆に内に居るなり。姆、婉娩聽從を敎う。姆は女師なり。婉は言語を謂う。娩は容貌を謂う。溫公曰く、柔順の貌、と。麻枲を執り、絲繭を治め、紝・組・紃を織り、女の事を學びて以て衣服に共す。紝は繒帛を謂う。組・紃は倶に絛なり。薄く闊きを組と爲し、繩に似るを紃と爲す。
溫公曰く、蚕桑・織績・裁縫及び飮膳を爲る、惟正に是れ婦人の職のみにあらず、兼て之をして衣食來る所の艱難を知り、敢て恣に奢麗を爲さざらしめんことを欲す。纂組華巧の物に至ては、亦必ずしも習わざるなり、と。祭祀に觀、酒漿・籩豆・葅醢を納むるを、禮相けて奠を助く。當に女の時に及びて知るべし。納は酒漿・籩豆・葅醢の等を神座に置くを謂う。禮相けて奠を助くは、禮を以て長者の事を相けて、其の饋奠を助けるを謂う。十有五年にして筓す。筓は今の簪なり。此は年に應じて嫁を許す者を謂う。女子嫁を許して筓し、之に字す。未だ嫁を許さざれば、則ち二十にして筓す。二十にして嫁す。故有れば、二十三年にして嫁す。故は父母の喪を謂う。聘すれば則ち妻と爲し、奔れば則ち妾と爲す。聘は問うなり。妻の言は齊なり。禮を以て問わるれば、則ち夫と敵體するを得。妾の言は接なり。君子に接見するを得て、之と敵體するを得ざるを言うなり。
立教3
曲禮に曰く、幼子には常に視すに誑くこと毋かれ。小にして未だ知ること有らず。常に示すに正事を以てす。宜しく示すに欺誑を以てすべからず。立つには必ず方を正しくし、傾き聽かず。立つに必ず正しく一方に向い、頭を傾けて左右に屬聽するを得ず。其の自ら端正なるを習うなり。
立教4
學記に曰く、古の敎うる者は家に塾有り、黨に庠有り、術に序有り、國に學有り。術は讀みて遂と爲す。門の側の堂を之を塾と謂う。古は二十五家を閭と爲す。閭は一巷を共にす。巷の首に門有り。門の邊に塾有り。里中の老いて道德有る者、左右の師と爲りて两塾に坐す。民家に在る時、朝夕出入して恆に敎を塾に受く。五百家を黨と爲し、萬二千五百家を遂と爲す。遂は遠郊の外に在り。國は天子の都する所及び諸侯の國中を謂う。
立教5
孟子曰く、人の道有る、食に飽き衣を暖にし、居を逸して敎無ければ、則ち禽獸に近し。人の道有るは、其の皆秉彛の性有るを言うなり。聖人之を憂うる有りて契をして司徒と爲らしめ、敎うるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。聖人は堯・舜を謂う。契は臣の名。司徒は官名。倫は序なり。敎うるに人倫を以てすは、亦其の固有の者に因りて、之を導くのみ。書に曰く、天有典を叙つ。我が五典を勑して五つながら惇くせよ、と。此れ之を謂うなり。
立教6
舜、契に命じて曰く、百姓親しまざるは、五品遜わざればなり。舜は虞帝の名。五品は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友を謂う。遜は順なり。汝司徒と作り、敬みて五敎を敷き寬に在れ、と。五敎は父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有りを謂う。此の五敎を敷き、敬を以て主と爲して、寬を以て之を濟う。夔に命じて曰く、汝に典樂を命ず。冑子に敎えよ。直にして溫、寬にして栗、剛にして虐すること無く、簡にして傲ること無からしめよ。夔は舜の臣の名。冑は長なり。冑子は天子以下卿大夫に至るまでの嫡子を謂う。直の失は太だ嚴、故に溫ならしむ。寬の失は緩慢、故に栗ならしむ。剛の失は虐に入る、簡の失は傲に入る、故に之に敎えて以て其の失を防ぐ。詩は志を言い、歌は言を永くし、聲は永に依り、律は聲を和す。八音克く諧いて倫を相奪うこと無ければ、神人以て和せん、と。聲は五聲を謂う。宮・商・角・徵・羽。律は六律・六呂を謂う。黄鐘・太蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射を六律と爲し、大呂・應鐘・南呂・林鐘・仲呂・夾鐘を六呂と爲す。八音は金・石・絲・竹・匏・土・革・木を謂う。金は鐘鎛なり。石は磬なり。絲は琴瑟なり。竹は管簫なり。匏は笙なり。土は塤なり。革は鼗皷なり。木は柷敔なり。詩は志を言いて以て之を導き、歌は其の義を詠みて以て其の言を長くす。五聲は長言に依り附きて之を爲す。其の聲未だ和せざれば、乃ち律呂を用いて之を調え和して、節奏に應ぜしむ。八音能く諧理して錯奪せざれば、則ち神人咸和す。
立教7
周禮に、大司徒、郷の三物を以て萬民を敎えて、之を賓興す。物は事に猶じ。興は舉に猶じ。三事の敎成れば、郷の大夫、其の賢者能者を舉げて、飮酒の禮を以て之を賓客とす。旣にして則ち其の書を王に獻ず。一に曰く、六德。知・仁・聖・義・忠・和。知は事に明なるを謂う。仁は人を愛して以て物に及ぶを謂う。聖は通じて先ず識るを謂う。義は能く時の宜しきを斷ずるを謂う。忠は言、中心を以てするを謂う。和は剛ならず柔ならざるを謂う。二に曰く、六行。孝・友・睦・婣・任・恤。孝は善く父母に事うるを謂う。友は兄弟に善きを謂う。睦は九族に親しきを謂う。婣は外親に親しきを謂う。任は友道に信なるを謂う。恤は憂貧を振うを謂う。三に曰く、六藝。禮・樂・射・御・書・數。禮は五禮を謂う。吉・凶・賓・軍・嘉なり。樂は六樂を謂う。雲門・大咸・大詔・大夏・大濩・大武なり。射は五射を謂う。一に曰く、白矢。矢、侯を貫き、過ぎて其の鏃の白きを見わすなり。二に曰、參連。前に一矢を放ち、後の三矢連續して去るなり。三に曰く、剡注。羽頭高く鏃低れて去る、剡剡然たるを謂うなり。四に曰く、襄尺。臣と君と射るに君と並び立たず、君に一尺を襄りて退くを謂うなり。五に曰く、井儀。四矢侯を貫いて井の容儀の如くなるを謂うなり。御は五御を謂う。一に曰く、嗚和鸞。和は式に在り、鸞は衡に在り。車に升れば則ち馬動く。馬動けば則ち鸞鳴る。鸞鳴けば則ち和應す。二に曰く、遂水曲。車を御して水勢の屈曲に隨い遂きて、水に墜ちざるを謂うなり。三に曰く、過君表。毛詩傳に、褐纏旃を以て門と爲し、裘纏質を以て褹と爲し、間に握を容れ、驅けて入り擊てば則ち入るを得ざるを云うが若きを謂う。君表は卽ち褐纏旃なり。四に曰く、舞交衢。衢は道なり。車を御して交道に在り、車旋して舞節に應ずるを謂う。五に曰く、逐禽左。驅逆の車を御し、禽獸を逆驅して、左を人君に當て、以て之を射さしむるを謂うなり。書は六書を謂う。一に曰く、象形。日月の類を謂う。日月形體に象りて之を爲す。二に曰く、會意。武信の類を謂う。人の言を信と爲す。戈を止めるを武と爲す。人意を會合するなり。三に曰く、轉注。考老の類を謂う。類を建て首を一にし、文意相受け、左右相注す。四に曰く、處事。上下の類を謂う。人、一の上に在るを上と爲し、人、一の下に在るを下と爲す。各々其の事を處き、其の宜しきを得る有り。故に處事と曰う。五に曰く、假借。令長の類を謂う。一字两用なり。六に曰く、諧聲。形聲一なるを謂うなり。江河の類の如き、皆水を以て形と爲し、工可を以て聲と爲す。數は九數を謂う。一に曰く、方田以て田疇の界域を御む。二に曰く、粟布以て交質の變易を御む。三に曰く、衰分以て貴賤の廩稅を御む。四に曰く、少廣以て積羃の方圓を御む。五に曰く、商功以て功程の積實を御む。六に曰く、均輸以て遠近の勞費を御む。七に曰く、盈肭以て隱雜互見を御む。八に曰く、方程以て錯揉正負を御む。九に曰く、勾股、高深廣遠を御む。郷の八刑を以て萬民を糾す。糾は割察なり。郷中八種の過を察し取りて、其の罪を斷割するを謂うなり。一に曰く、不孝の刑。二に曰く、不睦の刑。三に曰く、不婣の刑。四に曰く、不弟の刑。不弟は師長を敬わざるを謂う。五に曰く、不任の刑。六に曰く、不恤の刑。七に曰く、造言の刑。訛言は衆を惑わす。八に曰く、亂民の刑。名を亂して改め作り、左道を執り、以て政を亂すなり。
立教8
王制に曰く、樂正、四術を崇び四敎を立つ。樂正は樂官の長。國子の敎を掌る。崇は高なり。其の術を高尙にして以て敎を作すなり。四術は詩・書・禮・樂。四敎は春・夏・秋・冬。先王の詩・書・禮・樂に順いて以て士を造す。順は依なり。造は成なり。此の四術に依りて敎え、以て是の士を成すなり。春秋は敎うるに禮樂を以てし、冬夏は敎うるに詩書を以てす。春夏は陽なり。詩樂は聲。聲も亦陽なり。秋冬は陰なり。書禮は事。事も亦陰なり。
立教9
弟子職に曰く、先生敎を施し、弟子是れ則る。溫恭にして自ら虛しくし、受くる所是れ極む。必ず其の心を虛しくして、然して後能く容るる所有り。極むるは其の本原を盡すを謂うなり。善を見ては之に從い、義を聞きては則ち服す。溫柔孝弟にして驕りて力を恃むこと毋かれ。驕りて力を恃めば則ち羝羊藩に觸れる。志に虛邪無く、虛は虛僞を謂う。行は必ず正直に游居常有り。必ず有德に就く。顏色整齊にして、中心必ず式あり。式は法なり。夙に興き夜寐ね、衣帶必ず飭え、朝は益し暮は習い、心を小にして翼翼たり。此を一にして懈らず。是を學則と謂う。
立教10
孔子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く衆を愛して仁に親しみ、行いて餘力有れば則ち以いて文を學ぶ。謹は行を謹む。信は言に信あり。汎は廣なり。衆は衆人。親は近なり。仁は仁者を謂う。餘力は暇日と言うに猶じ。以は用なり。文は詩書六藝の文を謂う。
立教11
詩に興り、興は起なり。詩は、人情の邪正に因りて以て勸懲を示す。其の言曉り易くして、諷詠の間も又以て感發して人心に入る有り。故に詩に習えば、則ち其の志意油然として興起する所有りて、惡を去り善に從うこと、自ら已むこと能わず。禮に立ち、禮は恭敬辭讓を以て本と爲して、節文度數の詳なる有り。以て毫髪も僭差す可からざるなり。故に禮に習えば則ち德性堅定して、以て自ら處る所の正位を得。樂に成る。樂は五聲・六律・八音の節有りて、其の聲氣の和は天地と相應ずるに至る。故に樂に習えば則ち以て其の善心を存養する有りて、以て義精しく仁熟するに至りて、自ら道德に和順す。
伊川先生曰く、天下の英才、少なしと爲さず。只道、天下に明かならざると爲す。故に成就する所有るを得ず。且つ古は詩に興り、禮に立ち、樂に成る。今人の如き怎生ぞ會し得ん。古人の詩に於ける、今人の歌曲の如く一般なり。閭巷草野の童稚と雖も、皆其の說を習い聞きて其の義を曉る。故に能く詩に興起す。後世は老師宿儒すら尙其の義を曉ること能わず、怎生ぞ學者を責め得ん。是れ詩に興るを得ざればなり。古禮旣に廢れて人倫明かならず。以て家を治むるに至りて皆法度無し。是れ禮に立つを得ざればなり。古人歌詠有り、以て其の情性を養い、聲音以て其の耳目を養い、舞蹈以て其の血脈を養う。今皆之れ無し。是れ樂に成るを得ざればなり。古の材を成すや易く、今の材を成すや難し、と。
立教12
樂記に曰く、禮樂は斯須も身を去る可からず。禮樂は是れ身を治むるの具、斯須も身を去り離るる可からざるを言う。
立教13
子夏曰く、賢を賢として色を易え、父母に事えて能く其の力を竭し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わり言いて信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を學ぶと謂わん。子夏は孔子の弟子。姓は卜。名は商。人の賢を賢として其の色を好むの心に易れば、善を好む誠有るなり。致は委に猶じ。其の身を委ね致すは、其の身を有せざるを謂うなり。人の以て學を爲むる所の大要は、求めて是の四の者を能くするを欲するに過ぎず。故に是の如き人は、或は以て未だ嘗て學ばずと爲すと雖も、而れども子夏は必ず以て已に學ぶと爲すなり。
<strong>【第二 明倫】</strong>
孟子曰く、庠・序・學・校を設け爲して、以て之を敎う。皆人倫を明かにする所以なり。聖經を稽え、賢傳を訂り、此の篇を述べ、以て蒙士を訓う。
 
 
蒙求は、唐の李瀚が経史から歴史人物の逸話行跡を集約抜粋して著した、伝統的な中国の初学者向け教科書です。
日本には平安時代に伝えられ、鎌倉時代から江戸時代にかけて、武家・僧侶・町人にいたるまで勉学の第一歩としてこれを暗誦されたようです。
内容は、数多くの偉人たちの故事来歴を詳しく調べ、その業績の内容を適切な「四字成句」にし、韻を踏んで暗誦しやすいように配列してあります。
本文は四字句押韻の対語で596句2384字からなり、偶数句の句末で押韻し結語にあたる最後の4句以外は8句ごとに韻を変えている形式をとっています。
なお、『源氏物語』『徒然草』『平家物語』などや歌舞伎の筋立てや川柳俳諧の世界に至るまで、この蒙求の説話をヒントにした作品は数多あり、日本においてはまさに百科事典のごとき佳書だったことが伺えます。
中でも最も有名な故事成語としては「蛍の光 窓の雪」と卒業式でなじみの『孫康映雪 車胤聚蛍』(蛍雪の功)であり、「天知り 神知り 我知り 子知る」のことわざで名高い『震畏四知』、また「漱石枕流」などがあります。
<a href="http://jigen.net/koten/mougyu_11" target="_blank">蒙求|巻之一</a>
<a href="http://www.sap.hokkyodai.ac.jp/nakajima/waka/data/mougyuu.html" target="_blank">『蒙求』徐注本標題</a>
以下参考までに、簡単に目次と典拠などを一部整理しておきます。
巻上     典拠    登場人物     故事等
1.王戎簡要 晋書    王戎       視日不眩
2.裵楷清通 晋書    裵楷       武帝策得一
3.孔明臥龍 蜀志    諸葛亮      三顧
4.呂望非熊 六韜    太公望呂尚、文王 
5.楊震関西 後漢書   楊震       鸛進三魚
6.丁寛易東 漢書    丁寛、田何    
7.謝安高潔 晋書    謝安、高崧    蒼生を如何
8.王導公忠 晋書    王導、元帝    蒼生何由、吾蕭何
9.匡衡鑿壁 漢書・西京雑記 匡衡、文不識 無説詩、客作
10.孫敬閉戸 楚国先賢伝          縄を以て頚に懸く
11.郅都蒼鷹 漢書    郅都、竇太后   匈奴偶人を作る
12.寗成乳虎 漢書    寗成、公孫弘   束湿薪、狼牧羊
13.周嵩狼抗 晋書    周嵩、三子、王敦 
14.梁キ跋扈 後漢書   桓帝、質帝    鳶肩犲目、朝廷為に空し
15.郗超髯参 晋書    桓温       能令公喜、能令公怒
16.王珣短簿 晋書    桓温、謝玄    大手筆の事、肥水の戦、風声鶴唳 
17.伏波標柱 後漢書・広州記 馬援、徴側  老益、矍鑠
18.博望尋河 漢書・史記   張ケン    持節、支機石
19.李陵初詩 漢書・史記   李陵、蘇武  降匈奴
20.田横感歌 史記    田横、高祖、二客、五百人 自剄、李周翰「挽歌論」
21.武仲不休 後漢書   傅毅       魏文帝「典論」(文人相軽)
22.子衡患多 晋書・述異記 陸機、張華   獲二俊、じゅんさい、筆硯を焼く、華亭の鶴唳、黄耳
23.桓譚非讖 後漢書   桓譚、光武帝   
24.王商止訛 漢書    王商、成帝、王鳳 真漢相
25.ケイ呂命駕 晋書    ケイ康、呂安    ケイ康好鍛
26.程孔傾蓋 孔子家語  孔子、程子、子路 
27.劇孟一敵 漢書    劇孟、周亜夫   
28.周処三害 晋書    周処、孫秀    忠孝不得両全、大臣殉国 


日本ではすっかり忘れ去られてしまった蒙求ですが、日本文学や文化芸能に多くの影響を与えているこの書物を改めて見直してみる機会になればと思います。
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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

<strong>【1.王戎簡要】</strong>
晋書にいう。
王戎あざなは濬沖、琅邪臨沂の人である。
幼くしてすぐれかしこく、風采もすぐれ、太陽を視ても眩む事はなかった。
裴楷が評して言った。
「王戎の眼は爛爛として巖下の雷光のようだ」
阮籍は王戎の父である王渾と昔からの友人であった。
王戎が十五になると王渾に従って郎舎にいた。
阮籍は自分より二十歳年下であるが王戎と交友を結んだ。
阮籍は王渾に会いに行くたびにさっさと辞去し、すぐに王戎のところに行きしばらくしてから帰っていった。
そして王渾に言った。
「濬沖は清賞で卿のともがらではない(貴方とは比べ物になりませんな)。卿と話をするより、戎ちゃんと一緒に清談するほうがずっと良いですな」
(王戎は)官を経て司徒に昇った。
晋の裴楷あざなを叔則、河東聞喜の人である。
かしこく見識度量があった。
若くして王戎に等しい名声を得ていた。
鍾會は(当時の相国である)文帝(司馬昭)に推薦し、相国の掾に召された。
吏部郎に欠員が出ると司馬昭は鍾會に問うた。
鍾會は答えた。
「裴楷は清通、王戎は簡要でどちらも適任です」
そして裴楷が用いられた。
裴楷は風采は高邁、容貌も俊爽で博学で群書に通じて、特に里義に精しかった。
当時の人は(裴楷のことを)玉人と言った。
またこうも言った。
叔則を見れば玉山に近づくように人を照らしかがやかすようだ。
中書郎に転任し官省に出入りすると、人々は粛然として身だしなみをあらためた。
武帝(司馬炎)が践祚して皇位に登ると、易をおこない王朝の命数(何代続くか)を占った。
すると一と出たので司馬炎は喜ばず、群臣は顔色を失った。
裴楷は言った。
「私はこう聞いております。天は一を得て清く、地は一を得てやすく、王侯は一を得て天下の正義であると」
これを聞いた司馬炎は大いに悦んだ。
中書令・侍中に累遷した。
<strong>【2.裵楷清通】</strong>
晋書にいう。
王戎あざなは濬沖、琅邪臨沂の人である。
幼くしてすぐれかしこく、風采もすぐれ、太陽を視ても眩む事はなかった。
裴楷が評して言った。
「王戎の眼は爛爛として巖下の雷光のようだ」
阮籍は王戎の父である王渾と昔からの友人であった。
王戎が十五になると王渾に従って郎舎にいた。
阮籍は自分より二十歳年下であるが王戎と交友を結んだ。
阮籍は王渾に会いに行くたびにさっさと辞去し、すぐに王戎のところに行きしばらくしてから帰っていった。
そして王渾に言った。
「濬沖は清賞で卿のともがらではない(貴方とは比べ物になりませんな)。卿と話をするより、戎ちゃんと一緒に清談するほうがずっと良いですな」
(王戎は)官を経て司徒に昇った。
晋の裴楷あざなを叔則、河東聞喜の人である。
かしこく見識度量があった。
若くして王戎に等しい名声を得ていた。
鍾會は(当時の相国である)文帝(司馬昭)に推薦し、相国の掾に召された。
吏部郎に欠員が出ると司馬昭は鍾會に問うた。
鍾會は答えた。
「裴楷は清通、王戎は簡要でどちらも適任です」
そして裴楷が用いられた。
裴楷は風采は高邁、容貌も俊爽で博学で群書に通じて、特に里義に精しかった。
当時の人は(裴楷のことを)玉人と言った。
またこうも言った。
叔則を見れば玉山に近づくように人を照らしかがやかすようだ。
中書郎に転任し官省に出入りすると、人々は粛然として身だしなみをあらためた。
武帝(司馬炎)が践祚して皇位に登ると、易をおこない王朝の命数(何代続くか)を占った。
すると一と出たので司馬炎は喜ばず、群臣は顔色を失った。
裴楷は言った。
「私はこう聞いております。天は一を得て清く、地は一を得てやすく、王侯は一を得て天下の正義であると」
これを聞いた司馬炎は大いに悦んだ。
中書令・侍中に累遷した。
<strong>【3.孔明臥龍】</strong>
蜀志にいう。
諸葛亮、あざなは孔明、琅邪陽都の人である。
みずから隴畝を耕し、梁父吟を好んでうたい、つねに自らを管仲、樂毅に比していた。
当時の人でこれを認める者はいなかった。
ただ、崔州平、徐庶だけは友人としてなかが善く、本当にそうであるとおもっていた。
その時、劉備が新野に駐屯していた。
徐庶はこれに謁見し言った。
「諸葛孔明は臥龍です。将軍は彼と会うことを願いますか。この人はこちらから出向けば会えますが、呼びつけることはかないません。なので御自ら出向いて会われるべきです」と。
劉備は遂に諸葛亮に会いに行った。
三度訪問して会うことが出来た。
人払いをして二人で天下の事を計ってこれを善しとした。
そして日増しに親しくなっていった。
關羽、張飛等は悦ばなかった。
劉備は言った。
「弧(わたし)に孔明が有るのは、魚に水が有るようなものだ。だからこれ以上は言ってくれるな」
(そして劉備が)尊號を称するに及んで(帝位につくと)、諸葛亮を丞相とした。
漢晋春秋に曰く。
諸葛亮は南陽の鄧県襄陽城の西に住んで、そこは隆中といわれている。
六韜にいう。
周の文王は狩りをしようとしていた。
史編が卜(亀の甲を焼いて占って)をして言った。
「渭陽に狩にいけば大いに得ることが出来ましょう。それは龍ではなく、彲(みずち)でもなく、虎でもなく熊でもありません。兆(亀の甲に入ったひび)によれば公侯を得るでしょう。天は貴方に師を贈り、貴方をたすけさせ、それは三人の王の代に及ぶでしょう」
文王は言った。
「兆に間違いは無いか」
史編は答えた。
「私の先祖の史疇は舜のために占って皐陶を得ました。この兆はそれに匹敵します」
文王は三日斎戒して、渭陽で狩りを行った。
ついに、太公(望)が茅に座って釣りをしているのに出会った。
文王は労って天下の事を問い、自分の車に乗せて帰り、たてて師とした。
旧本には非熊非羆となっている。
おそらくこれは世俗が誤って伝え、訂正しなかったからである。
按ずるに後漢の崔駰の達旨の文に、「あるいは、漁夫(太公望)が自分から亀甲に兆をつくって見せたのかもしれない」とあって、
注には「西伯(周の文王)が狩りをしようとして占うと、獲るものは龍ではなく、螭(みずち)ではなく、熊ではなく、羆でもない。獲るのは覇王の輔佐となるものだ」とあります。
旧本の非羆はこれにもとづいているのだろう。
<strong>【4.呂望非熊】</strong>
蜀志にいう。
諸葛亮、あざなは孔明、琅邪陽都の人である。
みずから隴畝を耕し、梁父吟を好んでうたい、つねに自らを管仲、樂毅に比していた。
当時の人でこれを認める者はいなかった。
ただ、崔州平、徐庶だけは友人としてなかが善く、本当にそうであるとおもっていた。
その時、劉備が新野に駐屯していた。
徐庶はこれに謁見し言った。
「諸葛孔明は臥龍です。将軍は彼と会うことを願いますか。この人はこちらから出向けば会えますが、呼びつけることはかないません。なので御自ら出向いて会われるべきです」と。
劉備は遂に諸葛亮に会いに行った。
三度訪問して会うことが出来た。
人払いをして二人で天下の事を計ってこれを善しとした。
そして日増しに親しくなっていった。
關羽、張飛等は悦ばなかった。
劉備は言った。
「弧(わたし)に孔明が有るのは、魚に水が有るようなものだ。だからこれ以上は言ってくれるな」
(そして劉備が)尊號を称するに及んで(帝位につくと)、諸葛亮を丞相とした。
漢晋春秋に曰く。
諸葛亮は南陽の鄧県襄陽城の西に住んで、そこは隆中といわれている。
六韜にいう。
周の文王は狩りをしようとしていた。
史編が卜(亀の甲を焼いて占って)をして言った。
「渭陽に狩にいけば大いに得ることが出来ましょう。それは龍ではなく、彲(みずち)でもなく、虎でもなく熊でもありません。兆(亀の甲に入ったひび)によれば公侯を得るでしょう。天は貴方に師を贈り、貴方をたすけさせ、それは三人の王の代に及ぶでしょう」
文王は言った。
「兆に間違いは無いか」
史編は答えた。
「私の先祖の史疇は舜のために占って皐陶を得ました。この兆はそれに匹敵します」
文王は三日斎戒して、渭陽で狩りを行った。
ついに、太公(望)が茅に座って釣りをしているのに出会った。
文王は労って天下の事を問い、自分の車に乗せて帰り、たてて師とした。
旧本には非熊非羆となっている。
おそらくこれは世俗が誤って伝え、訂正しなかったからである。
按ずるに後漢の崔駰の達旨の文に、「あるいは、漁夫(太公望)が自分から亀甲に兆をつくって見せたのかもしれない」とあって、
注には「西伯(周の文王)が狩りをしようとして占うと、獲るものは龍ではなく、螭(みずち)ではなく、熊ではなく、羆でもない。獲るのは覇王の輔佐となるものだ」とあります。
旧本の非羆はこれにもとづいているのだろう。
<strong>【5.楊震関西】</strong>
後漢の楊震あざなは伯起、弘農華陰の人である。
若くして学を好み経書にくわしく、博覧で窮きわめなかったものはなかった。
諸儒は彼を評して言った。
「関西の孔子、楊伯起」と。
つねに湖に寓居して州郡の礼命(出仕命令)に答えないこと数十年、人々はこれを晩暮と言った。
しかし志はいよいよ篤かった。
後に鸛雀があって、三匹のうなぎを口に含んで講堂前に集まった。
都講(塾頭)がうなぎを取って言った。
「蛇鱣は卿大夫の服の模様である。数が三であるのは三台(三公)にのっとっているのだろう。先生(楊震)は今から三公の位に登るだろう」
五十才になるとはじめて州郡に仕えて、安帝の時に太尉となった。
前漢の丁寛あざなは子襄、梁の人である。
はじめ梁の項生は田何に従って易を授かった。
この時、丁寛は項生の従者だった。
易を読むのは精敏で才能は項生をしのいでいた。
そしてついに田何に師事した。
学が成って東へ帰った。
田何は門人に言った。
「易は東へ行ってしまった」と。
また、周王孫に従って古義を受けて周子傳といった。
景帝の時に梁の孝王の将軍となった。
易説三万言をつくった。
その注釈は大誼をのべているだけだった。
<strong>【6.丁寛易東】</strong>
後漢の楊震あざなは伯起、弘農華陰の人である。
若くして学を好み経書にくわしく、博覧で窮きわめなかったものはなかった。
諸儒は彼を評して言った。
「関西の孔子、楊伯起」と。
つねに湖に寓居して州郡の礼命(出仕命令)に答えないこと数十年、人々はこれを晩暮と言った。
しかし志はいよいよ篤かった。
後に鸛雀があって、三匹のうなぎを口に含んで講堂前に集まった。
都講(塾頭)がうなぎを取って言った。
「蛇鱣は卿大夫の服の模様である。数が三であるのは三台(三公)にのっとっているのだろう。先生(楊震)は今から三公の位に登るだろう」
五十才になるとはじめて州郡に仕えて、安帝の時に太尉となった。
前漢の丁寛あざなは子襄、梁の人である。
はじめ梁の項生は田何に従って易を授かった。
この時、丁寛は項生の従者だった。
易を読むのは精敏で才能は項生をしのいでいた。
そしてついに田何に師事した。
学が成って東へ帰った。
田何は門人に言った。
「易は東へ行ってしまった」と。
また、周王孫に従って古義を受けて周子傳といった。
景帝の時に梁の孝王の将軍となった。
易説三万言をつくった。
その注釈は大誼をのべているだけだった。
<strong>【7.謝安高潔】</strong>
晋書にいう。
謝安あざなは安石、陳國陽夏の人である。
四歳の時、桓彝が彼を見て嘆息して言った。
「この子は風神秀徹(立派な風采)だ。後に王東海(王承)に劣らない人物となるだろう」
王導もまた彼をすぐれていると認めた。
だから若いころから名が高かった。
はじめて辟召されたときは病を理由にことわった。
有司が上奏した。
「謝安は召されて数年にもなりますが応じません。終身禁錮とすべきです」と。
なので東の地に棲むことにした。
常に臨安の山中に行っては丘や谷で気ままにしていた。
しかも遊ぶ時は妓女をともなっていた。
時に弟(謝萬)は西中郎将となって、藩任の重きにあった。
謝安は衡門にいたがその名声は弟にまさり公輔(三公等宰相)の位について欲しいと思われていた。
四十余歳にしてはじめて仕官しようと思い、征西大将軍の桓温の司馬になった。
朝廷の士人は皆見送った。
中丞の高崧が謝安に戯れて言った。
「卿はしばしば朝旨にそむいて東山に隠棲していた。皆言ってましたよ『安石が出仕しなければ蒼生(万民)をどうしようか』と。蒼生は貴方をどう思っているのでしょうね」と。
謝安は恥じた。
後に吏部尚書となった。
この時、孝武(帝)が立ったが政治を己のままに出来なかった。
桓温の威光が内外に及んでいた。
謝安は忠を尽くして匡したすけついに二人を和解させた。
中書監録尚書事に昇進した。
苻堅が兵を率い、淮肥(淮水と肥水)に陣を構えた。
謝安に征討大都督をの官を加えた。
そして苻堅を破り、総統の功績で太保に昇進した。
亡くなって太傅を追贈され、文靖と謚された。
晋の王導あざなは茂弘、光禄大夫である王覧の孫である。
わかくして人を見る目があって、識量は清遠だった。
陳留の高士である張公が王導を見てめずらしいとして王導の従兄である王敦に言った。
「この子の容貌志気は将軍宰相の器である」と。
元帝(司馬睿)が琅邪王だった時に王導と平素から親しかった。
王導は天下が乱れるのを知り、心を傾けて推奉、ひそかに興復(晋朝復興)の志を持った。
帝もまた彼を尊重した。
帝が下邳を鎮撫すると、王導を安東司馬とした。
軍謀密策、知っていて行わなかったものは無かった。
帝は常に言っていた。
 
肥前平戸の名君松浦静山侯の江戸時代後期を代表する随筆集『甲子夜話』の巻三十九に輯録されている『水雲問答』。
これは、上州安中の殿様板倉伊予守勝尚侯(卓山)=白雲山人とその師の幕府大学頭・林述斎(=墨水漁翁)との間の往復文書・問答集でして、”治道心術”として国を治める方法を説いたものです。
※)甲子夜話自体も、機会があれば整理してみたいと考えています。
この林述斎は、かの『言志四録』を著した儒学者・佐藤一斎の学友でした。
林述斎が亡くなると佐藤一斎がそのあとを継いで幕府の大学頭になり、全国に多くの門弟子を養成した佐久間象山、山田方谷などは皆一斎の弟子。
佐久間象山の門弟には、吉田松陰をはじめ、小林虎三郎や勝海舟、河井継之助、橋本左内、岡見清煕、加藤弘之、坂本龍馬など、後の日本を担う人物が多数おり、幕末の動乱期に多大な影響を与えています。
つまり、元をただせば幕末維新の原動力は、この白雲山人と墨水漁翁の『水雲問答』にあるといっても過言ではないのです。
まずは、『水雲問答』に出てくる「五寒」という言葉です。
これは、前漢の劉向という学者が、国家が滅びる徴候には五つのこと「五寒」があるとしているものです。
・一に曰く、政外る(政治のピントが外れる。やっていること、議論のポイントが外れてくる)。
・二に曰く、女厲し。(女が荒々しい、出しゃばる)
・三に曰く、謀泄る(国家の機密が漏洩するようになる)。
・四に曰く、卿士を敬せずして政事敗る(識見・教養のある者を大事にしないで、無責任な政治をやるようになる)。
・五に曰く、内を治むる能わずして而して外に務む(国内をきちんと治めることができないので、国民の注意を外にばかり向けるようになる)。
こういう現象が現れるようになるとロクなことはない、何事にも初めにどう決着を付けるかを決めておくことが大切だ、ということなのです。
二を除いては、まさに今の日本そのもののように感じられます。
この問答については、非常に心術・識見が高いものですが、碩学・安岡氏は、ここで言うところの識見の「識」は三つあると説いています。
一つ目は「知識」:雑識と言って一番つまらんものであまり値打ちがない。
二つ目は「見識」:見識が無ければ語るに足らず、見識があってもその人が臆病あるいは狡猾で軽薄であるとその見識は何の役にもたたない。
三つ目は「胆識」:いかなる抵抗があってもいかなる困難に臨んでも確信・徹見するところを敢然とし断行し得るような実行力・度胸を伴った知識・見識のこと。
要は、人はこの「胆識」があって初めて本物の人間本当の知識人であるということです。
自己修養を行うことは、将来のあなた自身の人格向上と識見を磨くことになります。
こうした先哲が説いた言葉の数々を元に、精錬練磨を行って参りましょう。
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参考までに、そんな『水雲問答』の一部をご抜粋しておきます。
構成としては対話形式になっていることから、以下にある<雲>は白雲山人からの問いかけ、<水>は墨水漁翁からの答え、返答の形式となっています。
<strong>【人君の治術について】</strong>
<雲>治国の術は、人心を服しそうろうこと、急務と存じ候。人心服さねば、良法美意も行われ申さざらん。施しと寛容にあらざれば、人心は服し申さずなり。人心の服し申し候の肝要の御論、伺いたく候。英明(頭脳明晰)の主に、とかく人心の服さぬもの、いかがのことに候や伺いたく候。
<水>施しに過ぎたるときは濫賞の弊害あり。寛容に過ぎたるときは、また縦弛(規律がゆるむ)の弊害が有りそうろう。これなどをもって人心を得たるそうろうは、最も末なる者にそうろう。我が徳義は自ずから人を蒸化(心服させ)そうろう処が有りそうらえば、人心は服しそうろうものと存じそうろう。英明の主に人の服し申さぬは、権略に片寄りそうろうより、人はそのする所を詐欺かと思いそうろうゆえに候。蕩然たる徳が意内(気心)にみちて外に現れる時がある者に、誰か服せずして有るべきや。
施しもすまじきには非ず。人君(君主)の吝なるは至りての失徳にそうろう。寛容も捨てるべからず、苛酷納鎖の君は下々堪えがたきものに候。
<雲>一国を治めるには、人々の心を服させる、納得させることが非常に大事だと思います。
人々の心を心服させないと、どんなによい法律をつくっても、どんなに美しい気持で人民に臨んでも、現実には立派な政治は行われません。為政者には施(賞をやるなどして、人々を納得させ満足させること)と寛(寛容・寛大な気持)がなければ人々の心は満足し、納得しないものです。
そこで人々を心服させるにはどうすればよいか、肝腎のところをお聞きしたい。それから、名君といわれる人には、どうも人心が服さないと言われますが、これについてはどう思われますか。
<水>人々を満足させるために、むやみに賞などを濫発するのはよくありません。また寛大すぎると、規律がゆるんで万事だらしなくなるという弊害があります。このように人民や部下に褒美を与えてご機嫌をとったり、失敗を大目に見て人心を得ようとするのは、そもそも本筋から外れたことです。
上に立つ人は自らの徳と日頃の行いが大事であり、それによりご機嫌などとらなくても自然に人々を感化していくというやり方であれば、人々は自ずから心服するものです。
それから、いわゆる名君と言われる頭のいいトップに人々が心服しないのは、頭のいい人というのは、とかく計略、手練、手管に頼りがちなので、人々は一杯はめられるのではないかと警戒して信用しないからです。
スケールが大きくて、屈託がなくゆったりとして、身体の内部に何ともいえない温かい徳が満ちて、その人徳が外に現れているような人に、どうして心服しない人がありましょうか。
それはそれとして、賞を与えるのも程度と方法によってはけっこうですが、国を治める人がケチはのは困ったことです。寛大であるのはやはり大事なことです。
上の人が何かにつけて重箱の隅をほじくるように細かいところに立ち入るのは、下の人にとって堪えられないことです。
<strong>【白雲山人が問う条、以下これに倣う】</strong>
<雲>経国(国家の経営)の術は、権略(権謀)も時として無くば叶わざることに存じ候。あまり純粋に過ぎ候ては、人の心は服さぬこともこのように有ること存じ被り候。さりとて権略ばかりにても正しいことを失い申し候間、権略をもって正しいことに帰する工夫、今日の上(幕府)にては肝要かと存じ候。
<水>権(権力)は人事の欠くべからざる事にして、経(経営)と対言(対の言葉)し仕り候。天秤の分銅(重り)を、あちらこちらと、ちょうど軽重(バランス)にかない候所に据え候より字義を取り候事にて、もとより正しきことに候。仰せ聞き候所は謀り士の権変にして、道の権には非ず候。程子(ていし:中国の儒学者)権を説き候こと、『近思録』にも抄出(抜き書き)してあり、とくと御玩味(熟読)そうろうよう存じ候。
<strong>【命を知る】</strong>
<雲>時を知り、命を知るは君子帰宿の処。
万事ここに止り申候。
一部の易、此二ヶ条に止り魯論にも、これを知るを以て君子と之れ有り。
時を知るは、外のことにも之れ無く、為すべき時は、図をはずさず、為すまじき時にせぬのみに候。
命を知るは、その味広遠のことにて、説破に及びかね申候。
兎角古今身を危うくし、国を滅ぼし申候も、君子の禍に及び申すも、この二字に通ぜざる故と存候。
実は真の君子にあらぬ故に候。
英豪却って此の二条に通じ候故、一時に事を起し申候ことと存候。
<水>公論と存候。
英豪は道理を知らず、己の才気より存候。
君子は、義理には心得候えども、多く才気足らざるより見損じ申候。
因って彼の豪傑の資、聖賢の学と申す二つを兼ねざれば、大事業を成就仕らぬ事と存候。
<strong>【武の備えについて】</strong>
<雲>季世(末世)にいたりて武の備え怠らざる仕法はいかが仕るべきや。甚だ難しきやに存じ候。
<水>太平に武を備うるはいかにも難しきことに候。愚意には真理をしばらくおき、まず形より入りそうろう方が近道と存じ候。まず武具の用意をあつくして、いつにても間に合い候ように仕る。そのわけは火事羽織をもの好きにて製作し候時は、火事を待ちて出たき心に成り候が人情にそうろう。武具が備われば、ひと働き致したく思うも自然の情と存じ候。さて武伎(武術)も今様どうりにては参らず候。弓鉄は生き物の猟をもっぱらとし、馬は遠馬、打毬(ポロ)などよろしく、刀槍は五間七間(9m×13mの広さ)の稽古場にて息のきれそ候類い、何の用にも立ち申さぬ候。広い芝原などにて革刀の長試合、入り身など息合(気合)を丈夫に致し候こと専要(大切)と存じ候。これなどより漸々と実理に導き候外は、治世武備の実用は整い申すまじくと存じ候。
<strong>【治国の術は多事多忙】</strong>
<雲>およそ治国の術は多端(多事多忙)、その緊要(非常に重要)は人を知るの一件に帰し申しそうろうことと存じそうろう。人を知るの難しきは堯舜(ぎょうしゅん:二人の中国の帝王)の難しきとする所にして、常人の及ばざることながら、治国の秉政(政治を司る)の上にてはこの工夫専一(第一)と存じそうろう。
もっとも朱文(朱熹:朱子学の祖)公の、人に陰陽ありの論は感服仕りそうろう。なにぞ確かなるご工夫そうらわば伺いたくそうろう。いずれ活物(生きた論)は常理(道理)をもって推(推進)されまじくと存じそうろう。
<水>このことは実事(実際)中の最大事、最難事にそうろう。惟聖難諸と申すより、世々の賢者が皆手をとりそうろうこと別に才法あるべきとも申しきせず候。
 陰陽(朱子学)は先手近くそうらわば、これまで効験(効果)多くそうらえども、大姦(悪賢い)に至りそうろうては、陰を内とし陽を外にして人を欺き候ことと往々にこれ有り、陰陽も一図に関わりそうろうて手を突き申しそうろう。
 すべて古人の訓言は、大筋をば、よく申したるものにそうらえども、細密枝葉、変の極に至りそうろうては、説破(説き伏せる)もおよび難きの義(条理)多くそうろう。
つまりのところ見る人の高下(高低)により申すべきや。山水を見るも、その人の品格の高下に従いそうろうこと、羅鶴林(沙羅双樹の林:釈迦の入滅)風流三昧の論にそうらえども、人もその通り多かるべく候。
 この方の下の者は随分見通し申すべくそうろう。上段になりそうろうと、見損じ申しそうろう。見る人の見当尺に善し悪しの論も立ち申すべき、とても我が分量の外の事業は出来申さぬもの。人知りとても同一様事たるべくそうろう。
 しかれども謙譲しては大事は出来申さぬものゆえ、我より上段の人とても、平等に監破の心得はなくて叶わなきことかと存じそうろう。
 これは大難問にて何とも別(ほか)に申すべきようもこれ無くそうろう。
<strong>【『周易』を知る】</strong>
<雲>『周易』は熱読し仕りそうろう所、大いに処世の妙これに有りやに存じそうろう。『易』(儒教的な解釈)を知らざれば季世(末世)には処し難しと存じそうろう。
<水>『易』は季世の書とは申し難し。盛世季運(堯と舜の二帝と李孚の運)いずれの時とても、天人の道『易』に外れそうろうことはこれ無しにそうろう。まず「程伝」にて天と人との同一道理をとくと考え給うべし。
以上のご質問、あらかた答え申しそうろう。大分とおん尋ね方、力が相見え、はなはだ珍重仕りそうろう。読書が空言(空論)の為ならずして、実践の方に深く習いそうろうの徴が相見え申しそうろう。折角ご勉励の程、お祝いいたしそうろう。
<strong>【歴代の宰相】</strong>
<雲>歴代の宰相のうち、唐の李鄴(曹操に仕えた李孚)公の事業、誠実にして知略あり。進退の正を得たるところ甚だ欣慕(喜び慕う)仕りそうろう。
李世の宰相は鄴公の如くになくば禍いを得申しそうろうて、しかも国家の軍を敗り申しそうろうことと存じそうろう。『鄴公家伝』と申す書は今は有りそうろうや伺いそうろう。
<水>鄴公の論は同意にそうろう。この人は一つとして誹るべきなし。ただ陸宣公(中国の唐の宰相)と時を同じくして、ついに宣公を用いざること疑いの一つにそうろう。古人の論もこれに有りやに覚えそうろう。されば今も昔も同じことにて、そのときの模様、のちの評と遥かに違いたることも多かるべし。やむを得ざる次第もこれに有るや。『家伝』は亡き書と聞こえ申しそうろう。
<strong>【一才一能の人材】</strong>
<雲>人材の賢なるものは委任して宜しくそうらえども、その他の才ある者、あるいは進めてあるいは退けて、駕御鼓舞するの術ありて人を用いざれば、中興(復興)することは能わざることと存じそうろう。時によりて張湯(長安の役人)、桑弘羊(武帝に貢献した)も用いずして叶わぬことも有るべからずに存じそうろう。
<水>一才一能(一つの事に秀れた者)はもとより捨てるべからず。駕御その道をする時は、張桑(張湯も桑弘羊も)用いるべきは勿論にそうろう。しかれども我に駕馭仕おおせたり(私にお申し付け下さい)と存じそうろうにて、いつか欺誑しを受けそうろうこと昔より少なからず候間(少なくないので)、小人の(小賢しい)才ある者を用いそうろうは、我が手に覚えなくては、みだりには許しがたくそうろう。
<strong>【人を知りて委任】</strong>
<雲>徳義(過ぎた施し)の弊害は述情(情け)におちいり、英明の弊害は叢脞(煩わしい)に成り申しそうろう。人君は人を知り委任して、名実(評判と実際)を綜覈(総て吟味)して、督責(厳しく監督)して励ますよりほか、治世の治術はこれ有るまじくと存じそうろう。
<水>名実綜覈(評判と実際を総て吟味)し、人を知りて委任するの論、誠に余薀(余すところ)なく覚え珍重(妙案)に存じそうろう。
<strong>【国家の災い】</strong>
<雲>国家の災いは君主の私欲から、大臣たちの私心から、また下僚たちが私党・派閥を組むことから起こるものです。
その根本原因は、公の国家を忘れて、私に惹かれることにあります。そこで公儀を立てることを提唱します。部分でなく全体を、私でなく公をすべてにつけて優先する。
主君と家臣がこの点でぴったりと意思を一致させて政治に取り組めば、国家が治まらないことはないと思います。
<水>公儀についてのご意見、もっともです。しかし、今のエリートたちを見ていると、彼らが公としているところにまた大小、軽重の違いがあります。人物・品格の高い人と低い人では、考えている公の段階が違うのです。
今の時代にも公はありますが、その公とするところが、いざ自分のことになると、みんな器量が小さくて、問題が大きくなると、いつの間にか公が私に変化してしまうのです。
結局、人物の器量が小さくてケチであっては、何ごともうまくいかないのです。器量の大きな人物が、国がいかにあるべきかを明らかにすれば千年に渡る太平の時代でも見通すことができます。
せめて公私の区別をはっきり分けて考えることができる人材がほしい。それさえわきまえることができない人々が、天下国家を議論できるものではない。
しかし、そういう人間に限って、突き詰めると自分のことを考えているのに、自分は公の仕事をやっていると思い込んでいる人ばかりなのです。
<strong>【悪知恵にたけた者】</strong>
<雲>悪知恵にたけた者が悪事を働き、君子を騙すことがよくあります。
君子は騙されても、悪い奴らの策略は巧妙なので気づきません。それならば、君子が逆に、悪い奴らの悪知恵の上をいく策略をめぐらして、彼らを騙し、善行を行わせることができれば、その利益は非常に大きいと思います。
<水>その考えはいけません。元来、君子と小人は白と黒、よい香りと悪臭のように相反するもので、どんなに手を尽くしてもうまくいくものではありません。
君子が小人を逆に騙して、善事をなそうとするのは、君子でありながら小人の手練手管を使うことになり、その時点で物事に対処する心のありようが正しさを失っていることになります。
ですから、たとえ一時的には成功したとしても、いつまでも通用する正道ではありません。
<strong>【英雄豪傑】</strong>
<雲>英雄豪傑、一旦は事を済し申候えども、終に敗れ申候。
<水>その原は不学に出ず。
<雲>英雄豪傑は、一度は成功しますが、最後の段階で失敗することが多いのはなぜですか。
<水>その原因は学ばないからです。
<雲>治国の果は慰みにてはこれ無く。
<水>その語病あり。
<雲>一人の存念より万人の苦楽に相成申す間、右の処とくと相考え、事を済し申すも、仕損じ候時の跡の取りしまりを付置申候ことと存候。俗に申候、尻のつつまらぬと申様にては相成らざることに候。
漢武の事を済し申候ことなど、後来に至り取治め宜しく、社稷の為を仕候ゆえ、愛するところの鉤弋をも殺し申候。
跡のしまりなく大事を企て申候ては、却って国の害を生じ申すべく存候。
<水>天下の事は、始有りて終り無きもの多し。
結局を其の始に定むること最も要緊と為す。
<strong>【人の出会い】</strong>
<雲>人は今の出会いを空しく過ごしてはなりません。
一生は帰ることのない旅のようなもので、そのうちになどと思っていると、山水のすばらしい景色も、二度と訪ねることはむずかしいものです。
当面する苦労などは忘れて、いまのうちに手柄を立てて名声を残すべきです。そうしないと、再びあのすばらしい景色の地を訪ねないうちに、中途半端なままで一生を終えてしまいます。
<水>手柄を立てて名を残そうというのは、功利的な考え方で、真の道理ではありません。漢の武帝の名臣・董仲舒はこう言っています。
「利益を得たり、成功者になることが大事なのではない。人間として大事なのは、いかにすることが正しい法則か、正しい道かを明らかにすることである」と。
この言葉をよく考えてください。何ごともその場限りでやりっぱなしにしないで、じっくりと一つの問題を成し遂げなければなりません。
また、機会があればなどと思っているうちに、中途で生涯を終えてしまうという説はもっともで、今も昔も人々の犯しやすい誤りです。
チャンスを逃さぬように心がけていないと、それで終わってしまいます。そのうちになどと空しい期待を抱いてはいけないという戒めです。
<strong>【大丈夫の志】</strong>
<雲>古今を考え候に、凡そ功をなし得る迄は苦るしみ、功すでに成って楽に赴かんとするとき、諸事背違して 心に任せぬことのみ多きやに存候。
謝安の桓温が在あるとき全からざるを憂い、符秦の大兵を退く迄は其の心中深察すべし。
大難既にやみ、功成り名遂げて琅邪の讒始めて行わる。
裴度が淮西を平げて後、憲宗の眷衰えたるも同じ事に候。
故に大丈夫直に進む大好事を鋭くなし得べし。
とても前後始終を量って何事もでき申す間じく候。
一時の愉快を一世に残さんこと、これ予が志なり。
如何如何。
<水>男子と生まるる者誰か此願かるべき。
然れども其位と時を得ざれば、
袖手して空しく一生を過ごすのみに候。
閣下閥閲、時世至れば謝裴が業を成し得べし。
凡そ青年は志鋭にして、中年に至りて挫催
し易く候。
今より後此の条を念々忘れ給うべからず。
<strong>【勤むるに成りて、怠るに敗るる】</strong>
<雲>人生は勤むるに成りて、怠るに敗るるは申す
までも之れ無く候えども。
勤むるは善きと知りながら、怠り易き者に之有り候。
且つ識ればいつにてもできると怠り申す類毎に之有り。
天下一日万機に候まま、日新の徳ならでかなわざることに候。
小人の志を得申候も、多くは此処より出申候。
力むれば能く貧に勝つと申す古語、おもしろきやに存じ申候。 聊かの事ながら大事に存候。
<水>いつも出来るとて為さば、学人の通幣多きものに候。
小人栖々として勤め、それが為に苦しめられ候こと、昔も今も同様に候。
鶏鳴にして起き、じじとして善をなすは切近のことに候得ども、余り手近過ぎて知れたることよとて、空しく光陰を送リ候こと、我人共に警むべきの第一たるは勿論に候。
貴人尚更勤めぬ者に候。
此くの如き御工夫面白く存候。
<strong>【跡あるべからず】</strong>
<雲>大事をなし出すものは必ず跡あるべからず。
跡あるときは、禍必ず生ず。
跡なき工夫如何。
功名を喜ぶの心なくしてなし得べし。
<水>是も亦是なり。
功名を喜ぶの心なきは、学問の工夫を積まざれば出まじ。
周公の事業さえ男児分涯のこととする程の量にて始めて跡なきようにやるべし。
然らざれば跡なきの工夫、黄老清浄の道の如くなりて、真の道となるまじ。
細思商量。
<strong>【内冑を見せて懸れ】</strong>
<雲>凡そ人は余り疑い申候ては、ことをなし得申さず。
疑うべきものを疑い、あとは豁然たるべく候。
尤も疑いというものは、量の狭きから起り申候。
それに我が心中を人の存知候ことを厭い申候は俗人の情に候。それ故隔意ばかり出来、事を敗り申候。
それ事を了するものは、赤心を人の腹中に置き、内冑を見せて懸かり申すべきことと存候。
<水>人を疑いて容るること能わざること、我が心事を人の知らぬように掩い隠して、深遠なることのように心得るは、皆小人の小智より出ること云うに及ばず候。
大丈夫の心事、常々晴天白日の如くして、事に臨むに及んでは、赤心を人の腹中に置いて、人を使うことを我が手足を使う如くすることこそ豪傑の所為ならめ。
是を学ばん、是を学ばん。
<strong>【軽率の益、精細の害】</strong>
<雲>古今の人軽率に敗るることを知って、その軽率の益多きことを知ず。
精細の益多きことを知って、しかも精細の害甚だしきことを知らず。
大事をなし出さんとする者は、謀に精細にして、行に軽率なるべし。
独り大事のみに非ず。
凡ての事斯の如し。
<水>軽率の字病あり。
濶略に易うべし。
是は今人頂門のへん針語に候。
<strong>【仕損じの跡のしまり】</strong>
<雲>英雄は事を仕損じ申候、直に仕損じ中に人を服すること往々之れ有り。
唐の太宗高麗征討の節。
不利にして帰路戦死の屍を臨み、号哭仕候などの類に候。
<水>
英雄、英雄を知るの論。
太宗の品評適。
 
肥前平戸の名君松浦静山侯の江戸時代後期を代表する随筆集『甲子夜話』の巻三十九に輯録されている『水雲問答』。
これは、上州安中の殿様板倉伊予守勝尚侯(卓山)=白雲山人とその師の幕府大学頭・林述斎(=墨水漁翁)との間の往復文書・問答集でして、”治道心術”として国を治める方法を説いたものです。
※)甲子夜話自体も、機会があれば整理してみたいと考えています。
この林述斎は、かの『言志四録』を著した儒学者・佐藤一斎の学友でした。
林述斎が亡くなると佐藤一斎がそのあとを継いで幕府の大学頭になり、全国に多くの門弟子を養成した佐久間象山、山田方谷などは皆一斎の弟子。
佐久間象山の門弟には、吉田松陰をはじめ、小林虎三郎や勝海舟、河井継之助、橋本左内、岡見清煕、加藤弘之、坂本龍馬など、後の日本を担う人物が多数おり、幕末の動乱期に多大な影響を与えています。
つまり、元をただせば幕末維新の原動力は、この白雲山人と墨水漁翁の『水雲問答』にあるといっても過言ではないのです。
まずは、『水雲問答』に出てくる「五寒」という言葉です。
これは、前漢の劉向という学者が、国家が滅びる徴候には五つのこと「五寒」があるとしているものです。
・一に曰く、政外る(政治のピントが外れる。やっていること、議論のポイントが外れてくる)。
・二に曰く、女厲し。(女が荒々しい、出しゃばる)
・三に曰く、謀泄る(国家の機密が漏洩するようになる)。
・四に曰く、卿士を敬せずして政事敗る(識見・教養のある者を大事にしないで、無責任な政治をやるようになる)。
・五に曰く、内を治むる能わずして而して外に務む(国内をきちんと治めることができないので、国民の注意を外にばかり向けるようになる)。
こういう現象が現れるようになるとロクなことはない、何事にも初めにどう決着を付けるかを決めておくことが大切だ、ということなのです。
二を除いては、まさに今の日本そのもののように感じられます。
この問答については、非常に心術・識見が高いものですが、碩学・安岡氏は、ここで言うところの識見の「識」は三つあると説いています。
一つ目は「知識」:雑識と言って一番つまらんものであまり値打ちがない。
二つ目は「見識」:見識が無ければ語るに足らず、見識があってもその人が臆病あるいは狡猾で軽薄であるとその見識は何の役にもたたない。
三つ目は「胆識」:いかなる抵抗があってもいかなる困難に臨んでも確信・徹見するところを敢然とし断行し得るような実行力・度胸を伴った知識・見識のこと。
要は、人はこの「胆識」があって初めて本物の人間本当の知識人であるということです。
自己修養を行うことは、将来のあなた自身の人格向上と識見を磨くことになります。
こうした先哲が説いた言葉の数々を元に、精錬練磨を行って参りましょう。
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参考までに、そんな『水雲問答』の一部をご抜粋しておきます。
構成としては対話形式になっていることから、以下にある<雲>は白雲山人からの問いかけ、<水>は墨水漁翁からの答え、返答の形式となっています。
<strong>【人君の治術について】</strong>
<雲>治国の術は、人心を服しそうろうこと、急務と存じ候。人心服さねば、良法美意も行われ申さざらん。施しと寛容にあらざれば、人心は服し申さずなり。人心の服し申し候の肝要の御論、伺いたく候。英明(頭脳明晰)の主に、とかく人心の服さぬもの、いかがのことに候や伺いたく候。
<水>施しに過ぎたるときは濫賞の弊害あり。寛容に過ぎたるときは、また縦弛(規律がゆるむ)の弊害が有りそうろう。これなどをもって人心を得たるそうろうは、最も末なる者にそうろう。我が徳義は自ずから人を蒸化(心服させ)そうろう処が有りそうらえば、人心は服しそうろうものと存じそうろう。英明の主に人の服し申さぬは、権略に片寄りそうろうより、人はそのする所を詐欺かと思いそうろうゆえに候。蕩然たる徳が意内(気心)にみちて外に現れる時がある者に、誰か服せずして有るべきや。
施しもすまじきには非ず。人君(君主)の吝なるは至りての失徳にそうろう。寛容も捨てるべからず、苛酷納鎖の君は下々堪えがたきものに候。
<雲>一国を治めるには、人々の心を服させる、納得させることが非常に大事だと思います。
人々の心を心服させないと、どんなによい法律をつくっても、どんなに美しい気持で人民に臨んでも、現実には立派な政治は行われません。為政者には施(賞をやるなどして、人々を納得させ満足させること)と寛(寛容・寛大な気持)がなければ人々の心は満足し、納得しないものです。
そこで人々を心服させるにはどうすればよいか、肝腎のところをお聞きしたい。それから、名君といわれる人には、どうも人心が服さないと言われますが、これについてはどう思われますか。
<水>人々を満足させるために、むやみに賞などを濫発するのはよくありません。また寛大すぎると、規律がゆるんで万事だらしなくなるという弊害があります。このように人民や部下に褒美を与えてご機嫌をとったり、失敗を大目に見て人心を得ようとするのは、そもそも本筋から外れたことです。
上に立つ人は自らの徳と日頃の行いが大事であり、それによりご機嫌などとらなくても自然に人々を感化していくというやり方であれば、人々は自ずから心服するものです。
それから、いわゆる名君と言われる頭のいいトップに人々が心服しないのは、頭のいい人というのは、とかく計略、手練、手管に頼りがちなので、人々は一杯はめられるのではないかと警戒して信用しないからです。
スケールが大きくて、屈託がなくゆったりとして、身体の内部に何ともいえない温かい徳が満ちて、その人徳が外に現れているような人に、どうして心服しない人がありましょうか。
それはそれとして、賞を与えるのも程度と方法によってはけっこうですが、国を治める人がケチはのは困ったことです。寛大であるのはやはり大事なことです。
上の人が何かにつけて重箱の隅をほじくるように細かいところに立ち入るのは、下の人にとって堪えられないことです。
<strong>【白雲山人が問う条、以下これに倣う】</strong>
<雲>経国(国家の経営)の術は、権略(権謀)も時として無くば叶わざることに存じ候。あまり純粋に過ぎ候ては、人の心は服さぬこともこのように有ること存じ被り候。さりとて権略ばかりにても正しいことを失い申し候間、権略をもって正しいことに帰する工夫、今日の上(幕府)にては肝要かと存じ候。
<水>権(権力)は人事の欠くべからざる事にして、経(経営)と対言(対の言葉)し仕り候。天秤の分銅(重り)を、あちらこちらと、ちょうど軽重(バランス)にかない候所に据え候より字義を取り候事にて、もとより正しきことに候。仰せ聞き候所は謀り士の権変にして、道の権には非ず候。程子(ていし:中国の儒学者)権を説き候こと、『近思録』にも抄出(抜き書き)してあり、とくと御玩味(熟読)そうろうよう存じ候。
<strong>【命を知る】</strong>
<雲>時を知り、命を知るは君子帰宿の処。
万事ここに止り申候。
一部の易、此二ヶ条に止り魯論にも、これを知るを以て君子と之れ有り。
時を知るは、外のことにも之れ無く、為すべき時は、図をはずさず、為すまじき時にせぬのみに候。
命を知るは、その味広遠のことにて、説破に及びかね申候。
兎角古今身を危うくし、国を滅ぼし申候も、君子の禍に及び申すも、この二字に通ぜざる故と存候。
実は真の君子にあらぬ故に候。
英豪却って此の二条に通じ候故、一時に事を起し申候ことと存候。
<水>公論と存候。
英豪は道理を知らず、己の才気より存候。
君子は、義理には心得候えども、多く才気足らざるより見損じ申候。
因って彼の豪傑の資、聖賢の学と申す二つを兼ねざれば、大事業を成就仕らぬ事と存候。
<strong>【武の備えについて】</strong>
<雲>季世(末世)にいたりて武の備え怠らざる仕法はいかが仕るべきや。甚だ難しきやに存じ候。
<水>太平に武を備うるはいかにも難しきことに候。愚意には真理をしばらくおき、まず形より入りそうろう方が近道と存じ候。まず武具の用意をあつくして、いつにても間に合い候ように仕る。そのわけは火事羽織をもの好きにて製作し候時は、火事を待ちて出たき心に成り候が人情にそうろう。武具が備われば、ひと働き致したく思うも自然の情と存じ候。さて武伎(武術)も今様どうりにては参らず候。弓鉄は生き物の猟をもっぱらとし、馬は遠馬、打毬(ポロ)などよろしく、刀槍は五間七間(9m×13mの広さ)の稽古場にて息のきれそ候類い、何の用にも立ち申さぬ候。広い芝原などにて革刀の長試合、入り身など息合(気合)を丈夫に致し候こと専要(大切)と存じ候。これなどより漸々と実理に導き候外は、治世武備の実用は整い申すまじくと存じ候。
<strong>【治国の術は多事多忙】</strong>
<雲>およそ治国の術は多端(多事多忙)、その緊要(非常に重要)は人を知るの一件に帰し申しそうろうことと存じそうろう。人を知るの難しきは堯舜(ぎょうしゅん:二人の中国の帝王)の難しきとする所にして、常人の及ばざることながら、治国の秉政(政治を司る)の上にてはこの工夫専一(第一)と存じそうろう。
もっとも朱文(朱熹:朱子学の祖)公の、人に陰陽ありの論は感服仕りそうろう。なにぞ確かなるご工夫そうらわば伺いたくそうろう。いずれ活物(生きた論)は常理(道理)をもって推(推進)されまじくと存じそうろう。
<水>このことは実事(実際)中の最大事、最難事にそうろう。惟聖難諸と申すより、世々の賢者が皆手をとりそうろうこと別に才法あるべきとも申しきせず候。
 陰陽(朱子学)は先手近くそうらわば、これまで効験(効果)多くそうらえども、大姦(悪賢い)に至りそうろうては、陰を内とし陽を外にして人を欺き候ことと往々にこれ有り、陰陽も一図に関わりそうろうて手を突き申しそうろう。
 すべて古人の訓言は、大筋をば、よく申したるものにそうらえども、細密枝葉、変の極に至りそうろうては、説破(説き伏せる)もおよび難きの義(条理)多くそうろう。
つまりのところ見る人の高下(高低)により申すべきや。山水を見るも、その人の品格の高下に従いそうろうこと、羅鶴林(沙羅双樹の林:釈迦の入滅)風流三昧の論にそうらえども、人もその通り多かるべく候。
 この方の下の者は随分見通し申すべくそうろう。上段になりそうろうと、見損じ申しそうろう。見る人の見当尺に善し悪しの論も立ち申すべき、とても我が分量の外の事業は出来申さぬもの。人知りとても同一様事たるべくそうろう。
 しかれども謙譲しては大事は出来申さぬものゆえ、我より上段の人とても、平等に監破の心得はなくて叶わなきことかと存じそうろう。
 これは大難問にて何とも別(ほか)に申すべきようもこれ無くそうろう。
<strong>【『周易』を知る】</strong>
<雲>『周易』は熱読し仕りそうろう所、大いに処世の妙これに有りやに存じそうろう。『易』(儒教的な解釈)を知らざれば季世(末世)には処し難しと存じそうろう。
<水>『易』は季世の書とは申し難し。盛世季運(堯と舜の二帝と李孚の運)いずれの時とても、天人の道『易』に外れそうろうことはこれ無しにそうろう。まず「程伝」にて天と人との同一道理をとくと考え給うべし。
以上のご質問、あらかた答え申しそうろう。大分とおん尋ね方、力が相見え、はなはだ珍重仕りそうろう。読書が空言(空論)の為ならずして、実践の方に深く習いそうろうの徴が相見え申しそうろう。折角ご勉励の程、お祝いいたしそうろう。
<strong>【歴代の宰相】</strong>
<雲>歴代の宰相のうち、唐の李鄴(曹操に仕えた李孚)公の事業、誠実にして知略あり。進退の正を得たるところ甚だ欣慕(喜び慕う)仕りそうろう。
李世の宰相は鄴公の如くになくば禍いを得申しそうろうて、しかも国家の軍を敗り申しそうろうことと存じそうろう。『鄴公家伝』と申す書は今は有りそうろうや伺いそうろう。
<水>鄴公の論は同意にそうろう。この人は一つとして誹るべきなし。ただ陸宣公(中国の唐の宰相)と時を同じくして、ついに宣公を用いざること疑いの一つにそうろう。古人の論もこれに有りやに覚えそうろう。されば今も昔も同じことにて、そのときの模様、のちの評と遥かに違いたることも多かるべし。やむを得ざる次第もこれに有るや。『家伝』は亡き書と聞こえ申しそうろう。
<strong>【一才一能の人材】</strong>
<雲>人材の賢なるものは委任して宜しくそうらえども、その他の才ある者、あるいは進めてあるいは退けて、駕御鼓舞するの術ありて人を用いざれば、中興(復興)することは能わざることと存じそうろう。時によりて張湯(長安の役人)、桑弘羊(武帝に貢献した)も用いずして叶わぬことも有るべからずに存じそうろう。
<水>一才一能(一つの事に秀れた者)はもとより捨てるべからず。駕御その道をする時は、張桑(張湯も桑弘羊も)用いるべきは勿論にそうろう。しかれども我に駕馭仕おおせたり(私にお申し付け下さい)と存じそうろうにて、いつか欺誑しを受けそうろうこと昔より少なからず候間(少なくないので)、小人の(小賢しい)才ある者を用いそうろうは、我が手に覚えなくては、みだりには許しがたくそうろう。
<strong>【人を知りて委任】</strong>
<雲>徳義(過ぎた施し)の弊害は述情(情け)におちいり、英明の弊害は叢脞(煩わしい)に成り申しそうろう。人君は人を知り委任して、名実(評判と実際)を綜覈(総て吟味)して、督責(厳しく監督)して励ますよりほか、治世の治術はこれ有るまじくと存じそうろう。
<水>名実綜覈(評判と実際を総て吟味)し、人を知りて委任するの論、誠に余薀(余すところ)なく覚え珍重(妙案)に存じそうろう。
<strong>【国家の災い】</strong>
<雲>国家の災いは君主の私欲から、大臣たちの私心から、また下僚たちが私党・派閥を組むことから起こるものです。
その根本原因は、公の国家を忘れて、私に惹かれることにあります。そこで公儀を立てることを提唱します。部分でなく全体を、私でなく公をすべてにつけて優先する。
主君と家臣がこの点でぴったりと意思を一致させて政治に取り組めば、国家が治まらないことはないと思います。
<水>公儀についてのご意見、もっともです。しかし、今のエリートたちを見ていると、彼らが公としているところにまた大小、軽重の違いがあります。人物・品格の高い人と低い人では、考えている公の段階が違うのです。
今の時代にも公はありますが、その公とするところが、いざ自分のことになると、みんな器量が小さくて、問題が大きくなると、いつの間にか公が私に変化してしまうのです。
結局、人物の器量が小さくてケチであっては、何ごともうまくいかないのです。器量の大きな人物が、国がいかにあるべきかを明らかにすれば千年に渡る太平の時代でも見通すことができます。
せめて公私の区別をはっきり分けて考えることができる人材がほしい。それさえわきまえることができない人々が、天下国家を議論できるものではない。
しかし、そういう人間に限って、突き詰めると自分のことを考えているのに、自分は公の仕事をやっていると思い込んでいる人ばかりなのです。
<strong>【悪知恵にたけた者】</strong>
<雲>悪知恵にたけた者が悪事を働き、君子を騙すことがよくあります。
君子は騙されても、悪い奴らの策略は巧妙なので気づきません。それならば、君子が逆に、悪い奴らの悪知恵の上をいく策略をめぐらして、彼らを騙し、善行を行わせることができれば、その利益は非常に大きいと思います。
<水>その考えはいけません。元来、君子と小人は白と黒、よい香りと悪臭のように相反するもので、どんなに手を尽くしてもうまくいくものではありません。
君子が小人を逆に騙して、善事をなそうとするのは、君子でありながら小人の手練手管を使うことになり、その時点で物事に対処する心のありようが正しさを失っていることになります。
ですから、たとえ一時的には成功したとしても、いつまでも通用する正道ではありません。
<strong>【英雄豪傑】</strong>
<雲>英雄豪傑、一旦は事を済し申候えども、終に敗れ申候。
<水>その原は不学に出ず。
<雲>英雄豪傑は、一度は成功しますが、最後の段階で失敗することが多いのはなぜですか。
<水>その原因は学ばないからです。
<雲>治国の果は慰みにてはこれ無く。
<水>その語病あり。
<雲>一人の存念より万人の苦楽に相成申す間、右の処とくと相考え、事を済し申すも、仕損じ候時の跡の取りしまりを付置申候ことと存候。俗に申候、尻のつつまらぬと申様にては相成らざることに候。
漢武の事を済し申候ことなど、後来に至り取治め宜しく、社稷の為を仕候ゆえ、愛するところの鉤弋をも殺し申候。
跡のしまりなく大事を企て申候ては、却って国の害を生じ申すべく存候。
<水>天下の事は、始有りて終り無きもの多し。
結局を其の始に定むること最も要緊と為す。
<strong>【人の出会い】</strong>
<雲>人は今の出会いを空しく過ごしてはなりません。
一生は帰ることのない旅のようなもので、そのうちになどと思っていると、山水のすばらしい景色も、二度と訪ねることはむずかしいものです。
当面する苦労などは忘れて、いまのうちに手柄を立てて名声を残すべきです。そうしないと、再びあのすばらしい景色の地を訪ねないうちに、中途半端なままで一生を終えてしまいます。
<水>手柄を立てて名を残そうというのは、功利的な考え方で、真の道理ではありません。漢の武帝の名臣・董仲舒はこう言っています。
「利益を得たり、成功者になることが大事なのではない。人間として大事なのは、いかにすることが正しい法則か、正しい道かを明らかにすることである」と。
この言葉をよく考えてください。何ごともその場限りでやりっぱなしにしないで、じっくりと一つの問題を成し遂げなければなりません。
また、機会があればなどと思っているうちに、中途で生涯を終えてしまうという説はもっともで、今も昔も人々の犯しやすい誤りです。
チャンスを逃さぬように心がけていないと、それで終わってしまいます。そのうちになどと空しい期待を抱いてはいけないという戒めです。
<strong>【大丈夫の志】</strong>
<雲>古今を考え候に、凡そ功をなし得る迄は苦るしみ、功すでに成って楽に赴かんとするとき、諸事背違して 心に任せぬことのみ多きやに存候。
謝安の桓温が在あるとき全からざるを憂い、符秦の大兵を退く迄は其の心中深察すべし。
大難既にやみ、功成り名遂げて琅邪の讒始めて行わる。
裴度が淮西を平げて後、憲宗の眷衰えたるも同じ事に候。
故に大丈夫直に進む大好事を鋭くなし得べし。
とても前後始終を量って何事もでき申す間じく候。
一時の愉快を一世に残さんこと、これ予が志なり。
如何如何。
<水>男子と生まるる者誰か此願かるべき。
然れども其位と時を得ざれば、
袖手して空しく一生を過ごすのみに候。
閣下閥閲、時世至れば謝裴が業を成し得べし。
凡そ青年は志鋭にして、中年に至りて挫催
し易く候。
今より後此の条を念々忘れ給うべからず。
<strong>【勤むるに成りて、怠るに敗るる】</strong>
<雲>人生は勤むるに成りて、怠るに敗るるは申す
までも之れ無く候えども。
勤むるは善きと知りながら、怠り易き者に之有り候。
且つ識ればいつにてもできると怠り申す類毎に之有り。
天下一日万機に候まま、日新の徳ならでかなわざることに候。
小人の志を得申候も、多くは此処より出申候。
力むれば能く貧に勝つと申す古語、おもしろきやに存じ申候。 聊かの事ながら大事に存候。
<水>いつも出来るとて為さば、学人の通幣多きものに候。
小人栖々として勤め、それが為に苦しめられ候こと、昔も今も同様に候。
鶏鳴にして起き、じじとして善をなすは切近のことに候得ども、余り手近過ぎて知れたることよとて、空しく光陰を送リ候こと、我人共に警むべきの第一たるは勿論に候。
貴人尚更勤めぬ者に候。
此くの如き御工夫面白く存候。
<strong>【跡あるべからず】</strong>
<雲>大事をなし出すものは必ず跡あるべからず。
跡あるときは、禍必ず生ず。
跡なき工夫如何。
功名を喜ぶの心なくしてなし得べし。
<水>是も亦是なり。
功名を喜ぶの心なきは、学問の工夫を積まざれば出まじ。
周公の事業さえ男児分涯のこととする程の量にて始めて跡なきようにやるべし。
然らざれば跡なきの工夫、黄老清浄の道の如くなりて、真の道となるまじ。
細思商量。
<strong>【内冑を見せて懸れ】</strong>
<雲>凡そ人は余り疑い申候ては、ことをなし得申さず。
疑うべきものを疑い、あとは豁然たるべく候。
尤も疑いというものは、量の狭きから起り申候。
それに我が心中を人の存知候ことを厭い申候は俗人の情に候。それ故隔意ばかり出来、事を敗り申候。
それ事を了するものは、赤心を人の腹中に置き、内冑を見せて懸かり申すべきことと存候。
<水>人を疑いて容るること能わざること、我が心事を人の知らぬように掩い隠して、深遠なることのように心得るは、皆小人の小智より出ること云うに及ばず候。
大丈夫の心事、常々晴天白日の如くして、事に臨むに及んでは、赤心を人の腹中に置いて、人を使うことを我が手足を使う如くすることこそ豪傑の所為ならめ。
是を学ばん、是を学ばん。
<strong>【軽率の益、精細の害】</strong>
<雲>古今の人軽率に敗るることを知って、その軽率の益多きことを知ず。
精細の益多きことを知って、しかも精細の害甚だしきことを知らず。
大事をなし出さんとする者は、謀に精細にして、行に軽率なるべし。
独り大事のみに非ず。
凡ての事斯の如し。
<水>軽率の字病あり。
濶略に易うべし。
是は今人頂門のへん針語に候。
<strong>【仕損じの跡のしまり】</strong>
<雲>英雄は事を仕損じ申候、直に仕損じ中に人を服すること往々之れ有り。
唐の太宗高麗征討の節。
不利にして帰路戦死の屍を臨み、号哭仕候などの類に候。
<水>
英雄、英雄を知るの論。
太宗の品評適。
 
『墨子』の著者は中国春秋末期戦国時代の思想家墨翟とされ、一切の差別が無い博愛主義(兼愛)を説いて全国を遊説した人物で、墨子として知られています。
いわゆる墨子十大主張を主に説いたことで世に知られており、その思想活動の目的は、天下の飢餓や凍死から人民を救済し、諸侯の憂いを救うことにありました。
その後も墨家は「天下の顕学」として巨大な勢力を誇り続けましたが、それというのも墨家が他の学派と異なり、専守という防衛専門の形ながらも戦闘集団であったということです。
当時は儒教と並ぶほどの勢力となっていたそうですが、国の統一が進むにつれてその存在自体が不要となり、秦の時代に焚書に端を発する撲滅などで墨家は歴史上から姿を消し、その学統を継ぐ者も現れず廃れたといわれています。
一説には、墨家の特性から思想を捨てるよりも生命を捨てることを選択したのではないかと考えられているそうです。
そんな『墨子』ですが、墨家の始祖である墨翟と門人の言行録として当初は61篇でしたが、やがて8篇が亡失し、15巻53篇76,516字が現存するものとなっております。
墨子の理想主義的な思想は、兼愛、非攻、節用・節葬、尚賢・尚同、天志・明鬼、非楽・非命など、所謂「十論」で知られています。
この思想は一言で言えば博愛主義であり、「兼愛交利」とも呼ばれています。
天下の利益は平等より生まれ、不利益は差別より生じる、というものであり、孔子の説く「仁」は長子のみを特別扱いする差別であると批難し、互いの利益を尊重し平等に愛するべきであるとしました。
階級や血縁を超えて有能な人材を登用すべしという主張も、兼愛の平等主義につながるものです。
さらに形式的で豪華な礼楽や葬式についても、戦争と同様、支配階級のエゴにもとづくものであるとして、それらを廃する「非楽」や「節葬」を唱えました。
そしてもう一点、重要な思想として「非攻」があります。
兼愛にもとづき非戦を唱えた上で、口だけではなく実際に侵略を企てる国を説得したり、侵略を受ける国の防御に参加することまで行い、結果防御のための戦いはやむを得ないとした解釈です。
絶対に守り抜くという意味を表す「墨守」という言葉からもわかるように、墨家は防御戦に関する豊富な経験や知識を保持しており、その戦いぶりも優れたものであったようです。
つまり墨家集団の経済的基盤は、この能力を生かした弱小国の防衛戦請負業であったといわれています。
【墨子「十論」の骨子】
・「兼愛」自他ともに愛せと教える。相手を愛するときは自分を愛するのと同じようにせよ、ということ。
・「非攻」侵略戦争を否定する超積極的平和主義。すべての攻撃を否定し、攻撃を受けた街は墨子教団が防衛するということ。
・「節用」「節葬」節約を唱える。支配層の華美を廃し、資源の浪費を避け、実用品の生産を増やし、民に行きわたらせること。
・「節葬」支配者層が富を地中に埋め、資源を浪費することを戒める。苦労して生産した富は生きているものに使うべきということ。
・「尚賢」能力主義を唱える 執政者は賢者を尊び、有能なものを任用すること。
・「尚同」主義主張が異なっているから、互いに争うため、統治者に従えと教えること。
・「天志」「明鬼」天帝や鬼神への信仰を勧める。天の意思に逆らう(支配)者には天譴があるということ。
・「明鬼」天志が支配者層への天譴を説くものであるのに対し、明鬼は個人的犯罪には必ず罰が下るという因果応報説を説くこと。
・「非楽」贅沢としての音楽を否定する。支配者層は贅沢な音楽を楽しむのを止め、生産的なことに労働力を割り振れということ。
・「非命」宿命を否定する。天から与えられる使命はあっても天に定められた運命はない。勤勉により状況は常に変えられるということ。
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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
<strong>【尚賢上第八】</strong>
墨子曰く「諸侯や卿・大夫は誰もが国家が富裕となり、人口が増加し、治安が保たれるように願っているのに、実際はそうなっていない。その原因はなんであろうか。
この原因は、諸侯・卿・大夫が賢者を尊び、有能な者を登用することを政治方針としないからである。賢良の士が多ければ、国家の安定度は増すのである」と。
弟子曰く「賢者を増やす方法は、どのようにすればいいのでしょうか」と。
墨子曰く「統治者が弓射や戦車操縦に巧みな戦士を増やそうと願うことと全く同じである。そのような戦士に多額の俸禄を与え、地位を高くし、鄭重に尊敬し、名誉を与えようとするであろう。賢良の士も同じである。
古代の聖王は、不義の者は富まさない、地位を高くしない、親愛しない、側近にしないと宣言した。これを聞いた富貴の人々は、家に帰って相談し、義を実行しないわけにはいかないと語り合い、親族たちも国都の住民も同様に語り合ったのである。そのため王の宣言を聞くや、皆が競争して義を実行するようになったのである。その原因は何であろうか。それは為政者の人民を用いる方策が、義の一点に限定されているからである」と。
・尚賢論は「王公・大人・政を国家に為す者」のみ説得対象にしぼっています。
・賢者はつねにその国家内部の人間に限定しています。
・尚賢論でいう「賢者」とは、天賦の才能に恵まれた人材でなく、統治者の決定した価値基準に従って努力する者すべてを指します。よって墨子の論は、国家の方針に従順な良民を作るという点においては、法家思想とつながるものがあります。
古代の聖人は能力ある人物を臣下の列に加えて、賢者を尊びました。たとえ農耕や工業・商業に従事する人々であっても抜擢しました。登用すると、高い爵位を与え、多額の俸給を与えました。
爵位・俸禄・官職発布の三者を賢者に授けるのは、個人に贈与しようとするためではなく、あくまで彼が委任された事業が成功するよう願うからなのです。だから賢者の任用に際しては、能力の程度に応じて選び、いつまでも高い地位に居座りつづけることはなく、また終生低い身分に留まり続けることがないようにしました。
古代にあっては、堯は服沢の北に埋もれていた舜を見つけ出し、禹は陰方の地にくすぶっていた益を抜擢し、湯は伊尹を料理番の身分から拾い上げ、文王は猟師や漁師の閎夭と泰顚を登用しました。したがって古代聖人の時代には、高位高官の臣下であっても、任務の遂行に心血を注ぎ、失敗して解任される事態をおそれて、義に移らない者はいませんでした。
・価値基準が統一され、日常生活の末端まで統制した社会が実現すれば、国家は富み、人口が増え、治安が保たれると論を発展させます。
・儒家は賢者みずからが直接労働に従事しないとしていますが、墨子は末端の庶民からの積み上げを必要とします。そのため墨子は卑近に過ぎる一方、儒家のややもすれば賢者が治めさえすれば万事うまく運ぶという抽象的な理論に陥る危険性から逃れています。
<strong>【尚同上 第十一】</strong>
墨子曰く「太古の時代、人民は各人それぞれの義を正しい道として考えていたので、天下は乱れ、まるで野獣の世界のようであった。そこで世界中から賢者を選び出し、その人物を天子に立てたのである。天子を立てたが自分ひとりの力だけでは不足と考え、三公を選び出し、また諸侯を封建し、郷長や里長に任命した。
天子は人民に政令を布告して、統治者が是とすることは全員それを是とし、統治者が非とすることは全員それを非とせよ。統治者に過失があればそれを諌め、人民の間に善行の人物がいれば推薦するように、と。
ただし、天下の人民が天子の価値観に同調しても、さらに天の価値基準に対して同化しなければ、天の災害は消え去らない。烈風や大雨があるのは、天が自己の価値基準に同化しない人民を窮しようとしているのである」と。
・各統治者(天子・三公・諸侯・郷長・里長)はそれぞれ設定した義に従うよう配下に命じており、天子の一元的専制国家を説いたのではありません。
・天子の専制を防ぐために墨子は、天子は天(上帝)に対する尚同をしなければならないと説いています。
・墨子は太古の時代は野獣の世界であったとし、他の諸子の下降史観(太古は素朴、平安な理想社会であったが、時代が降るにつれ険悪になったとする説)とは大きくことなります。
・野獣の世界に尚同を導入しなければならないとする考え方は、人の本性を悪として後天的教化を説く荀子や法家と近似した性格を持ちます。
・社会秩序の根底を「個人的賢智によって選ばれた者」に帰化している点で、徳治主義を根本としているので、法家とは一線を画しています。
<strong>【兼愛上 第十四】</strong>
混乱の原因を考えてみると、それは相互に愛し合わないことから発生しています。臣下や息子が君主や父親に孝でないのが、混乱のひとつです。また父親が息子を慈まず、君主が臣下を慈しまないという場合も、混乱のひとつです。
世間で盗賊を働く者も、我が家だけを愛して、他人の家を愛そうとしないから、他人の家から盗んで、それを我が家に利益をもたらそうとします。賊人も我が身だけを愛して他人を愛さないので、他人から奪って我が身に利益をもたらそうとします。大夫が互いに相手の家を混乱させ、諸侯が互いに相手の国を攻撃するのも、これと同様です。
世界中のあらゆる種類の混乱は、いずれも互いに愛し合わないことが原因です。
・天下の混乱を①父子の反目②兄弟の不和③君臣の対立④窃盗⑤追剥⑥貴族間の勢力争い⑦国家間の戦争の7種類が原因であるとし、それは互いに愛し合わないからだとしています。
もし世界中の人々に自己と他者とを区別せずに愛し、他人を愛することまるで我が身を愛するかのようにしたなら、それでもなお孝でない者がいるであろうか。そうなれば国家と国家は互いに攻伐せず、家門と家門は互いにかき乱さず、盗賊もいなくなり、君主と臣下や父と子の間も、すべて孝慈の関係で結ばれるであろう。このようであれば、間違いなく世界中が安定します。
・天下の混乱をなくす方法は「自己と他者とを区別せずに兼ね愛させる」(兼愛)です。
・他者と犠牲にして自利を獲得することを禁じています、(拒利)
<strong>【非攻上 第十七】</strong>
今ここに1人の男がいて、他人の果樹園に忍び込み、桃や李を盗んだとしましょう。民衆がそれを知ったならば、それを悪だと非難するでしょうし、統治者がその男を逮捕したなら、処罰するでしょう。それはどうしてでしょうか。他人に損害を与えて自己の利益を得たからです。
他人の犬や鶏や豚を盗む者は、桃や李を盗む者よりも、その不義は一層甚だしい。これはなぜでしょうか。他人に損害を与える程度が、さらに大きいからです。
他人の馬や牛を奪い取る者は、犬や鶏や豚を盗む者よりも、その不義・不仁はさらに甚だしい。これはなぜでしょうか。他人に損害を与える程度が、ますます大きいからです。およそ他者に損害を及ぼす程度が多くなるにつれ、その行為が不仁である度合もますます増大し、その罪もいよいよ重くなるのです。
何の罪もない人間を殺害して、着ていた衣服を剥ぎ取り、所持していた戈や剣を奪い去る者に至っては、馬や牛を奪い取る者より、その不義・不仁はさらに甚だしい。これはなぜでしょうか。他人に損害を与える程度が、ますます大きいからです。
ところが今、大規模な不義を働いて、他国を攻撃するに至っては、だれもその行為を非難することを知りません。攻伐を称賛し、その行為を正義の戦いなどと評価しています。
1人の人間を殺害すれば、社会はその行為を不義と判定し、必ず死刑に処します。こうした殺人罪に関しては天下の君子たちの誰もがこれを非難すべきことと認識し、これを不正義だと判断しています。ところが今、大掛かりな不義を働いて他国を侵略するに至っては、一向に非難すべきことを知りません。侵略を褒め称えては、義戦などと美化しています。つまり彼らは、実際に侵略戦争が不義であることを認識していないのです。
今ここに人がいるとしましょう。その人間が少量の黒色を見たとき黒だといい、多量の黒色を見たときには白だと言えば、人々はその人間を白と黒の識別すらつかぬ者だと判定するでしょう。あるいは、苦いものを少し嘗めては苦いといい、苦いものを大量に嘗めては甘かったなどといえば、だれもがこの人間を甘い苦いの弁別さえできぬ者だと判定するでしょう。
今の君子たちは、小規模な悪事は犯罪だと認識して非難しておきながら、大規模な悪事を働いて他国に侵攻すれば、それを褒め上げ、これぞ正義だと吹聴しています。これでは、はたして正義と不義との区別を知覚しているなどと言い張れるでしょうか。
・非攻論は他国への攻撃、侵略を非難する主張です。
・戦争によってその勢力を拡大できる諸侯・卿・大夫・士の身分からすれば、墨子の論は、明快に本質をついているとはいえ、現実的説得力を持つことができませんでした。
・墨子の文章は、実用を尊んで、質素倹約を旨とするため、噛んで含めるように徹底的に説明しているので、いかにも頭の悪い読者扱いをされた気がして、読む側はあまりのくどさに、つい興ざめしてしまいます。それが近代以前には読者を惹きつけることができなかったひとつの原因とされています。
 
熊沢蕃山は、江戸前期の儒学者・陽明学者です。
元禄・享保期の思想家・儒学者の荻生徂徠にして「この百年来の大儒者は、人材では熊澤(蕃山)、学問では(伊藤)仁斎」とまで言わしめています。
また、明治末の教育本・修身の教科書では以下のように語られていた、二宮金次郎と並ぶ偉人でした。
「近江聖人と呼ばれて徳の高さが世の手本となる中江藤樹は近江国高島郡の人で、有名な学者である。
 人となりは温厚篤実、学問といい、品行といい、心がけといい、全てが万人に卓越していたばかりでなく、貧しいものがあれば救ってやり、言行に不心得のものがあればていねいにいさめてやるということに努めたので、付近の民百姓はこれに感化されて、一人も悪者がいなかったと伝えられている」
しかも熊沢蕃山は、当時日本一の財政・経済コンサルタントであったそうで、治水、林政、租税改革、風教に目覚しい政績を挙げた経世済民の偉人であり、諸侯は争って蕃山に教えを請うていたそうです。
更には、日本古典に通じ、歌道に秀で、音楽通で幾つかの楽器を奏した、まさに文武両道の典型の士でした。
そんな蕃山の著書の幾つかから、その神髄を整理してみます。

<strong>【集義和書】</strong>
初版全11巻は1672年(寛文12)に、2版全16巻は76年(延宝4)頃に刊行、3版全16巻が1710年(宝永7)頃に刊行された儒学「時・処・位」論を展開している書物です。
16巻の構成は、書巻5巻、心法図解1巻、始物解1巻、義論9巻からなり、問答体を駆使してわかりやすく書かれていて、話題は、経書の根本問題から、「心法」の涵養、時処位論、宋明儒学や老荘・仏教への評価、統治論など広範に渡っています。
ここで除かれた分は「集義外書」に収録されているようです。
そもそも蕃山は、自身の利益に拘泥するのではなく、無私によって考えるべきことを基本としています。
そのため乱世の原因について考察し、商人の力の増大、贅沢への諌め、礼式の欠如を中心として纏め上げられています。
<strong>・倹約と吝嗇</strong>
”倹約は、我身に無欲にして、人にほどこし、
 吝嗇は、我身に欲ふかくして、人にほどこさず”
という言葉からも分かるように、欲が自身に及ぶか否かによって、倹約と吝嗇の差異を見出していることが特徴です。
<strong>・貧と富</strong>
”世の中の人残らず富候はゞ、天地も其まゝつき候なん。
 貧賤なればこそ五穀・諸菜を作り、衣服を織出し、材木・薪をきり、塩をやき魚をとり、諸物をあきなひ仕候へ”
という言葉からも分かるように、人は貧しいからこそ働くのだという事実が指摘されています。
そのため、生まれながらに栄耀なる者は、国家の役には立たないと弁じています。
<strong>・君子と小人</strong>
己の利益を優先していては、繁栄は続かないということから、君子の特色八箇条と小人の特質十一箇条が並べられており、興味深い内容となっています。
<strong>【君子の特色八箇条】</strong>
一、仁者の心動きなきこと大山の如し。無欲なるが故に能く静なり。
二、仁者は太虚を心とす。天地、万物、山川、河海みな吾が有也。春夏秋冬、幽明昼夜、風雷、雨露、霜雪、皆我が行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は昼夜の道なり。何をか好み、何をか悪まん。義と倶に従ひて安し。
三、知者の心、留滞なきこと流水の如し。穴に導き器につきて終に四海に達す。意を起し、才覚を好まず。万事已むを得ずして応ず。無事を行ひて無為なり。
四、知者は物を以て物を見る己に等しからん事を欲せず。故に周して比せず。小人は我を以て物を見る。己に等しからんことを欲す。故に比して周せず。
五、君子の意思は内に向ふ。己独り知る所を慎んで人に知られんを求めず。天地神明と交はる。其の人柄光風霽月の如し。
六、心地虚中なれば有することなし。故に問ふことを好めり。優れるを愛し、劣れるを恵む。富貴を羨まず、貧賤を侮らず。富貴は人の役なり上に居るのみ。貧賤は易簡なり、下に居るのみ。富貴にして役せざれば乱れ、貧賤にして易簡ならざればやぶる。貴富なるときは貴富を行ひ、貧賤なる時は貧賤を行ひ、總て天命を楽みて吾れ関らず。
七、志を持する所は伯夷を師とすべし。衣を千仭の岡に振ひ、足を万里の流に濯ふが如くなるべし。衆を懐くことは柳下恵を学ぶべし。天空うして鳥の飛ぶに任せ海濶くして魚の踊るに従ふが如くなるべし。
八、人見て善しとすれども神のみること善からざる事をばせず。人見て悪しゝとすれども天のみること善き事をば之をなすべし。一僕の罪軽きを殺して郡国を得ることもせず。何ぞ不義に与し、乱に従はんや。
<strong>【小人の特質十一箇条】</strong>
一、心、利害に落ち入りて暗昧なり。世事に出入して何となく忙はし
二、心思、外に向つて人前を慎むのみ。或は頑空、或は妄慮。
三、順を好み逆を厭ひ、生を愛し死を悪みて願ひのみ多し。註、順は富貴悦楽の類なり。逆は貧賤患難の類也。
四、愛しては生きなんことを欲し、悪むでは死せんことを欲す。總て命を知らず。
五、名聞深ければ誠少し。利欲厚ければ義を知らず。
六、己より富貴なるを羨み、或は娼み、己より貧賤なるを侮り或は凌ぎ、才智芸能の己に勝れる者ありても益を取る事なく、己に従ふ者を親む。人に問ふことを恥ぢて一生無知なり。
七、物毎に実義には叶はざれども当世の褒むる事なれば之れをなし、実義に叶ひぬる事も人之れを毀れば之れを已む。眼前の名を求むる者は利也。名利の人之れを小人と云ふ。形の欲に従ひて道を知らざれば也。
八、人の己を褒むるを聞いては実に過ぎたる事にても悦びほこり、己を毀るを聞いては有ることなれば驚き、無きことなれば怒る。過ちを飾り非を遂げて改むることを知らず。人皆其の人柄を知り其の心根の邪を知りてとなふれども己独り善く、斯くして知られずと思へり。欲する所を必として諫をふせぎていれず。
九、人の非を見るを以て己が知ありと思へり。人々自満せざる者なし。
十、道に違ひて誉れを求め、義に背きて利を求め、士は媚と手だてを以て禄を得んことを思ひ、庶人は人の目を昧まして利を得るなり。之れを不義にして富み且つ貴きは浮かべる雲の如しと云へり。終に子孫を亡ぼすに至れども察せず。
十一、小人は己あることを知りて人あることを知らず。己に利あれば人を損ふことをも顧みず。近きは身を亡ぼし、遠きは家を亡ぼす。自満して才覚なりと思へる所のもの是れなり。愚之れより甚だしきはなし。
<strong>【集義外書】</strong>
「集義和書」の改訂版作成で除かれた分が収録されています。
ここでは、時間と場所と立場に応じて、適切な政策は異なるということが示されています。
そのため、民が余力ある生活を送れるように配慮することや、農と兵の融合という政策が語られています。
国の大本は民であり、民の困窮が国全体の困窮になる恐れがあるため、物価の適正価格の重要性や、金銭や穀物の均衡のとれた流通についても論じられています。
・困窮と奢り
”世人のまどひは異端の渡世よりをこり、民の困窮は世の奢より生ずるとにて候”
”しかれども数十年奢によりて、渡世するもの餘多あれば、急に奢をやめむとすれば、うゑに及もの多き者にて候。
異端の渡世はなを以て数十万人あるべければ、是も急には制しがたかるべし”
”人の迷惑せぬを仁政と申候。大道行はれ候はゞ、一人も迷惑するものなく、人のまどひも困窮もやみ申す可き候”
という言葉からも分かるように、贅沢と驕りを戒めた上で、誰も迷惑することのない仁政を弁じています。
・困窮と余力
”夫國の国たる処は、民あるを以也。
 民の民たる所は、五穀あるを以て也。
 五穀のゆたかに多き事は、民力餘りありて功の成によつて也。
 故に有徳の君、有道の臣ある代の日は、舒にして長し。
 其民しづかにいとま多く、力餘あればなり。
 道なき世の日は、いそがはしく短し”
という言葉からも分かるように、民に余力があればこそ、農作物も多く収穫でき国力も増すと論じています。
・農兵制
”日本も今とむかしは大にかはりあり。
 むかしは農と兵と一にしてわかれず、軍役みな民間より出たり。
 武士皆、今の地士といふものゝごとくなり”
”恭倹質素にして、驕奢なければついえなし”
”今は士と民とわかれて、士を上より扶持するゆへに、知行と言ひ、扶持切米と言ひ、多いるなり”
”農に兵なきゆへに、民奴僕と成てとる事つよく、いやしく成たり。
 故に農兵の風たえて後は、一旦収と言へども、君も士も民もはなればなれに成て、はてはては惣づまりになりて、乱世となる事早し”
”日本の今の時所位あり、より所ありと言へども、跡によるにあらず、時に当てはなすべし、かねて言ひ難し”
という言葉からも分かるように、武士階級が土から離れたため、農民側も卑屈になり、兵側と農側で気持ちが分かれるので世の中が乱れる、従って制度も時と場所と立場に合ったものを当てるべきだと論じているのです。
・富と穀物
”宝は民のためのたからなり。
 民のためのたからは五穀なり。
 金銀銭などは、五穀を助たるものなり。
 五穀に次たり。
 しかるに金銀を重くして、五穀をかろくする時は、あしき事多し”
”士民ともにゆたかにして、工商常の産あり。
 たからを賤するとて、なげすつる様にするにはあらず。
 五穀を第一とし、金銀これを助け、五穀下にみちみちて、上の用達するを、貨を賤すといふなり”
”商の心は、やすき時に買、高時に売。
 有所の物をなき処へ通ずるばかり也。
 工はたゞ其身の職分に心を入れ、才力を盡すのみなり。
 大廻しの事は、武士のみ知て、彼等は手足の心にしたがふがごとくなる道理にて候。
 いまは手足の為に心をつかはるゝに成申候”
という言葉からも分かるように、穀物の重要性とお金の利便性、流通効果を評した上で、お金に使われている現状に苦言を呈しています。

<strong>【大学或問】</strong>
『大学或問』では、参勤交代や兵農分離策などを批判したため、幕府の命によって古河藩にお預けとなり古河城東南隅の竜崎頼政廓に幽閉され数年後の1961(元禄4)年8月17日、73歳で没してしまいます。
ここでは、皆が豊かになる経済が目指し、政治の裕福さの必要性を説いています。
・仁政と富有
”問、政とは何ぞや。云、富有也”
”仁政を天下に行はん事は、富有ならざれは叶はず”
という言葉からも分かるように、善き政治は、裕福でなければ不可能と断じています。
・困窮の連鎖
”諸侯不勝手にて、武士困窮すれば、民に取事つよくて、百姓も困窮す。
 士民困窮すれば、工商も困窮す。
 しかのみならず浪人餘多出来て飢寒に及びぬ。
 是天下の困窮也。
 天下困窮すれば、上の天命の冥加おとろへぬ。
 天命おとろへては、いかんともする事なし”
という言葉からも分かるように、一つの階級の困窮が他の階級にも連鎖し、一定限度を超えることで打つ対策がなくなることを警戒しています。
・富有と天下
”富有は天下の為の富有なり”
”仁君の貨を好むは大なり。富有大業をなす天下、君の貨を好む事をたのしめり。
 これ貨を以て身をおこすなり”
”聖賢なれざれば、天下を平治する事あたはざるには非ず。
 貨色を好むの凡心ありといへども、人民に父母たる仁心ありて、仁政を行ひ、其人を得て造化を助る時は仁君也。
 天職を務めて天禄を得る事久し”
という言葉からも分かるように、天下のための裕福さを目指し、財貨によって経済を回し、天職を務めて、名声を得ることを奨励しています。

「憂き事の尚この上に積もれかし限りある身の力試さん」
熊沢蕃山の名言です。
どんな問題や難題にも不条理だと憤るのではなく、必然に起きた成長のためのターニングポイントだと捉えて、力を尽くすこと。
何を為すか何をしたかという成果や報酬ばかりに蒙昧するのではなく、人としてどう生きるのか、如何にあるべきなのかを明らかにすること、そしてそれを追及すること。
そんな蕃山の生涯を糧にしていくことが、残された私達への大きな命題なのかもしれません。

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以下参考までに、一部抜粋です。
<strong>【集義和書】</strong>
<strong>卷第一 書簡之一</strong>
一 來書畧。博學にして、人にさへ孝弟忠信の道を敎へられ候人の中に、不孝不忠なるも候は、いかなる事にて候や。
返書略。武士の武藝に達したるは、人に勝つことを知るにて候へども、武功なき者あり。無藝にても武功ある人多し。兵法者ひやうはふしや〔武藝巧妙の者―頭注〕の無手むての者に切られたるあり。學問の道も同前に候。夫それ智仁勇は文武の德なり。禮樂弓馬書數は文武の藝なり。
生付うまれつき仁厚なる人は、文學せざれども孝行忠節なるものなり。生付勇強なる人は、武藝をしらでも勝負の利よきものなり。しかればとて、文武の藝廢すたるべき道理なければ、古いにしへの人は、其身に道を行ふ事全まつたからぬ人にても、文才もんさいに器用なる者には學問をさせ、ひろく文道を敎へて、人民のまどひをとき、風俗をうるはしくし、その身に勇氣少き人にても、武藝に器用なる者には、弓馬をならはし、あまねく兵法へいはふを敎へて、人民の筋骨すぢほねをすこやかにし、能を遂げしむ。
國の武威を強くせんとなり。これ主將の人を捨てず、ひろく益を取給ふ道なり。學力無くして孝行忠節なるは、氣質の美なり。道を知らざる勇者をば、血氣の勇ともいへり。人の德を達し才を長ずることは、文武にしくはなし。今宣へる人は、文の末のみを知て本に達せず。武も又かくの如し。且かつ天の物を生ずること、二つながら全きことなし。四足しそくのものには羽なく、角あるものには牙なし。
形あるものは必ずかくる所あり。大かた文才もんさいに器用なる者は德行とくかうにうすく、德行によき人は文才拙きことあり。智聰明なる生付の者は行かけやすし。行篤實なる者は智に足らざる所あり。君子は其善を取りて備らん事を求めず。小人は人のみじかき所をあらはして、其美をおほへり。すべて世に才もなく德もなき人多し。才あらば稱すべし。德あらば好よみすべし。
一 來書略。今の世に學問する人は、天下國家こくかの政道にあづかり度たく思ふ者多く候。學者に仕置しおきをさせ候はゞ、國やすく世靜なるべく候や。
返書略。いづれの學問にても、利欲を本としてつとむる者は、各別の事なり。實まことに道を求めて學ぶ人は、貴殿きでん我等をはじめて、今の世の愚ぐなる人と可く被る二思し召さ一候。此世に生れて、神の智を開くにしたがひて、世間に入る人は、利發なる故なり。世間の利害に染りぬれば、道德には遠きものに候。しかる所に、貴殿我等ごとき、此世に生れながら、世間に入るべき智識もさとからず、しかも流俗には習ならひながら、中流にたゞよひ居り候處に、幸に道を聞きゝてよろこび候。
其愚なる下地故に難き事をば知らずして、古の法を以て今を治めんと思へるなり。我せんと思ふ學者に仕置をさせ候はゞ、亂に及び候べし。たとひ古の人の如き賢才ありとも、人力を以てなさば不可なり。况いはんや古人におよばざる事はるかなるをや。堯舜の御代みよには、屋をくをならべて善人多かりしだに、政まつりごとの才ある人は五人〔禹、皐陶、稷、契、伯益〕ならでは無かりしとなり。周の盛なりしにも、九人ありといへり。學問して其まゝ仕置のなる事ならば、古の聖代には、五人九人などといふ事はあるまじき事なり。古の才と云たるは、德智と才學と兼ねたる人の事と聞え候。博學有德いうとくにても、人情時變に達する才なき人は、政はなりがたく、世間智ありても心ねぢけたる人は害おほく候。
是は昔の人のえらびなり。今の政に從ふといふはしからず。其位に備りたる人か、衆の指ゆびさすところか、いかさまに人情のゆるす所ある人の中にて、凶德なきをえらぶとみえたり。これなほ無學なりとも、我われ政をせんといふ學者の國政にはまさり候はんか。
一 來書略。昨日さくじつ下拙げせつ不善ありき。遂げてかくし可くレ申す〔隱しおほすべしとはの義〕とは存ぜずながら、申しは出いでざる内に、先生すでに肺肝を御覽ぜらるゝと覺え候ひき。
返書略。愚拙ぐせついかで人の不善をさぐり申すべき。何事の候へるやらん不レ存ぜ候。貴殿の心に明德あるによりて、肺肝を見らるゝ樣に覺え給ひ候なり。貴殿と我等とにかぎらず。惣じて不善ある人の氣遣、かくの如くに候。大學の旨〔大學に小人間居して不善を爲す。至らざる所なし。(中略)人の己を視ること其肺肝を見るが如く然りと〕も、君子より人の肺肝を見るにはあらず。小人みづから肺肝を見らるゝ如く苦しきにて候。性善の理り明白なる事に候。
一 來書略。楠正成は智仁勇ありし大將といへり。德もなき天子にたのまれ奉りたるは、智とは申しがたくや候はん。武家の世と成りて此かた、よき人誰たれか候つるや。
返書略。不ずレ知らして天よりあるを氣質と云ひ、知しつて我物とするを德といへり。正成は氣質に智仁勇の備りたる人と聞え候。聖學をきかせ候はゞ、たぐひすくなき文武ある君子たるべく候。今の時ならば、天子にもたのまれ申すまじく候。正成の時分は、北條の代よと後世よりは稱すれども、京都より將軍を申し下くだし奉り、北條は諸大名と傍輩の禮儀にて交り、たゞ天下の權を握りたるばかりに候。賴朝の子孫九州にもおはしまし候事なれば、主君と成なつて諸士にのぞむ事は、人情のしたがはぬ所ありたると見え候。
この故に、正成も北條と君臣の禮はなく候。其上相摸入道〔北條高時―頭注〕無道にして亡ぶべき天命あらはれ、又將軍は京より申し下して假かりなる事なれば、天子より外に主君なく候。主君よりの仰なれば、賴まれ申したるといふ事にては無く候。臣下の權つよくて、一旦君をなやまし奉りし事は、平の淸盛も同じ事なり。後白河院賴朝に天下をあづけ給ひてより、武家の世といへり。しかれども王威過半殘りて、全く武家の天下ともいひがたし。されば後醍醐天皇てんわうまでは、いにしへの王德をしたふ者も多かりき。しかる處に、北條の高時奢おごりきはまり、天道にそむき、人民うとみたる時節、天下をとりかへし給ひしかば、公家に歸したり。
しかれども、天皇道をしろしめさず、賢良を用ひ給はず、昔と時勢のかはりたる事を知り給はざりし故に、うらみいきどほる者おほく出來て、武家の權を慕はしく思ふをりふし、高氏おこりて天下をとりてよりこのかた、一向武家の世とはなれり。是より天下の諸大名、大樹たいじゆ〔後漢の馮異(*原文「鳴異」)が故事に基づく〕を主君とし奉りて、天子には仕ふまつらず、陪臣の國の君を主とすると同理おなじりなり。是これを以て今ならばたのまれ申すまじきと申す事に候。扨さて士にては辨慶、氣質に智仁勇ある人に候。隱れたる處ありて、世人知る事稀なり。勇にかさのある事類たぐひすくなく、智謀は泉のわき出るがごとし。仁は士にて時にあはざるゆゑに、見えがたく候。勇智にならぶべき仁愛見え申し候。
義經の好色なるをば、度々いさめ候ひき。然るに、奧州落おちの時、北の方をば、辨慶すゝめて供ともいたし候。人の同心すまじき所をはかりて、先まづ辨慶大に氣色きしよくをつくり、倶し奉る事はなるまじきよしをいひて後、又氣色をやはらげ、さは云ひつれども、まさしき北の方なり、身もたゞにましまさず〔懷姙せるをいふ〕、鎌倉殿はたのもしげなし、都に殘し奉るべき義にあらず、行ゆかるゝ所まで行きて、叶はざる時は、先まづ北の方をさし殺し奉り、各おの/\自害し給ふべきより外はあらじとて、稚兒ちごの形につくりて相倶あひぐし、北陸道ほくろくだうをへて落ちられしに、關所々々にて、義經とは見知りたれども、うちとゞめて軍功にもならじ、實は兄弟にてましませば、恩賞を得ても心よからぬ事なり、其上罪なき人の、大功たいこうありながら讒ざんに遭ひ給へるもいたはしくて、進まざる心の氣色きしよくを、辨慶やがて見しりければ、關の人々の理ことわりのたつべき樣言成いひなして通りしを、平泉寺へいせんじ〔陸中國―頭注〕にては、鎌倉殿よりの討手にてもなきに、法師の身ながら、邪欲のあまりに、義經をうちとゞめて恩賞にあづからんとて、取籠めたれば、遁のがれざる所の第一なりき。然る所に、うつくしき兒ちごを倶しける故に、坊主ども目をうつして時刻をふる間に、老僧など出て管絃のもよほしあり。
義經は笛の上手なり、供奉ぐぶの中に笙ひちりきの得たるあり、ちごは箏ことを彈じ給へば、老若らうにやくともに邪心やはらぎ、難をのがれたり。此時北の方ましまさずはあやふかるべし。かくあしかるべき催しだに、道にしたがへば吉きちなり。此一事を以ても、辨慶仁厚の心は見侍り。平生義理に感じやすく、涙もろなる者と見えたり。戲言たはぶれごとをなどいひたるは、患難に素そしては患難を行ふの氣象也。〔中庸に、富貴に素しては富貴に行ひ、貧賤に素しては貧賤に行ひ、夷狄に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行ふとあり〕義經一代難儀の堺にしたがひしかば、諸人しよにんの氣屈する節なり。辨慶は仁にして勇なる故に、敵におそれざるのみならず、難に遇あひてもこゝろ屈せず、人をいさめ助くる所ある故に、戲言など云ひたるなり。君子を其地に置おきたらば、斯くあるべきと思はれ候なり。
吉野河にて、跡にまぢかく大敵を受けながら、竹を切きりて雪中にさし、竹に向ひてもの云ひたる振舞などは、苟且かりそめ(*原文「苛且」)なる事の樣なれども、心の智仁勇あらはれ候。東鑑〔鎌倉幕府の日記―頭注〕のみ確たしかなるやうに世以て申し候へ共、鎌倉中ぢうの事は委しくして、遠國をんごくの事はおろそかなり。平家物語・義經記も、大かた實事と見えたり。文法にても虚實は見ゆるものにて候。正しく記したる書の中に、定めてよき生付の人あるべく候。重て暇いとまの日に考へ可くレ申す候。源の賴光らいくわう、小松の内府だいふ重盛、畠山の重忠、文武を兼て士君子の風ある人なり。
かゝる人々に聖學の心法を聞かせば、唐からまでも聞ゆる程の人に成り給ふべく候。時節あしく出られし事不幸なる儀なり。宋明の書、周子、程子、朱子、王子〔周は周敦頤、程は程顥・程頤、朱は朱熹、王は王陽明〕などの註解發明の日本に渡り人の見候事は、わづかに五六十年ばかりなり。しかれども、市井の中にとゞまりて、士の學とならず。十年このかた、武士の中にも志のある人、はし/〃\見え候間、後世には好人よきひと餘多あまた出來候べし。
一 來書略。萬物一躰といひ、草木國土悉皆成佛と云ふときは、同じ道理の樣に聞え候。
返書略。萬物一躰とは、天地萬物みな太虚〔太虚は畢竟大空也。陽明學派に太虚説を立つる者多し〕の一氣より生じたるものなるゆゑに、仁者は一草一木をも其時なくてはきらず候。况や飛潛動走のものをや。草木にても、強き日でりなどにしぼむを見ては、我心もしほるゝがごとし。雨露うろの惠を得て、靑やかにさかえぬるを見ては、我心もよろこばし。是一躰のしるしなり。しかれども、人は天地の德・萬物の靈といひて、すぐれたる所あり。
たとへば庭前の梅の根の土中にかくれたるは太虚のごとく、一本の木は天地のごとく、枝は國々のごとく、葉は萬物のごとく、花實はなみは人のごとし。葉も花實も一本の木より生ずといへども、葉には全體の木の用なし、數すう有て朽くちぬるばかりなり。花實はすこしきなりといへども、一本の木の全體を備へし故、地に植うゑぬれば又大木となりぬ。かくのごとく、萬物も同じく太虚の一氣より生ずといへども、太虚天地の全體を備ふる事なし。人は其形すこしきなれども、太虚の全體あるゆゑに、人の性にのみ明德の尊號あり。故に人は小體せうたいの天にして、天は大體の人といへり。
人の一身を天地に合せて、少しも違ふ事なし。呼吸の息は運行に合す。暦數醫術もこゝに取る事あり。天地造化の神理主帥しゆすゐを元亨利貞げんかうりていと云ひ、人に有りては仁義禮智と云ふ。故に木神ぼくしんは仁なり、金神きんしんは義なり、火神は禮なり、水神すゐしんは智なり。天地人を三極といふ。形は異なれども、其神は一貫周流へだてなし。理に大小なきが故に、方寸太虚本より同じ。是大舜たいしゆんの君、五尺の身にしてよく其德を明かにし給ひしかば、天地位くらゐし萬物育いくするに至れる所なり。〔中庸に中和を致して天地位し萬物育す(*原文「章す」)とあり〕萬物一躰とはいふべし。
一性とは云ふべからず。萬物は人のために生じたるものなり。我心則ち太虚なり。天地四海も我心中にあり。人鬼幽明うたがひなし。堯舜の道は人倫を明かにするにあり。故に他の道を學びんことをねがはず。佛法の事は我不レ識ら。
一 來書略。聖人の書を説くことは、朱子にしくはなし。是を以て朱學は則ち聖學なりと云へり。小學、近思録等の諸書を學びて、かたの如くつとめ行ひ候へども、心の微〔書經の道心惟微に出づ〕は本の凡情に候。又心學とて、内よりつとむると云ふもおもしろく候。陽明は文武かね備へたる名將なりといへり。されども近年心學を受用するといふ人を見侍るに、さとりの極きよくにて、氣質變化の學とも覺えず候。
返書略。拙者をも世間には心學者と申すと承り候。初學の時心得そこなひて、自ら招きたることに候へども、心學の名目みやうもくしかるべからず存じ候。道ならば道、學ならば學にてこそ有るべく候へ。いづれと名を付け、かたよるはよからず候。漢儒の訓詁きんこありたればこそ、宋朝に理學もおこり候へ。宋朝の發明によりてこそ、明朝に心法をも説き候へ。明朝の論あればこそ、數ならぬ我等ごときも、入德の受用を心がけ候へ。論議は次第にくはしくなりても、德は古人に及びがたし。
後世の者、心は本の凡情ながら、文學の力にてたま/\先賢未發の解を得ては、古人の凡情なき有德いうとくをそしり申す事勿體もつたいなき義なり。一の不義を行ひ一の不辜ふこをころして天下を得る事もせざる所は〔孟子に一不義を行ひ、一不辜を殺して天下を得るも、皆爲ざるなりと〕、朱子・王子かはりなく候。拙者世俗の習いまだ免かれずといへども、此一事は天地神明にたゞしても古人に恥はづべからず。其外の事は、我ながら我身の拙さを存じ候。如くレ仰せの貴殿かたのごとく道を行ふと思召おぼしめし候へども、心中の微は同前に候。又學志ありてなりがたき事をつとむる所は候へども、無學の平人へいにんにおとりたる事も有レ之候。學は程朱の道にたがひもあるまじく候へども、立處たつところの心志しんしかはりある故と存じ候。學術の外に向ふによりて、自から知ることの不るレ明かなら故にてもあるべく候。
陽明の流の學者とて、心よりくはしく用ふとは申し候へども、其理を窮きはむることは見解けんげ〔本書すべて意見の義に用ひたり〕多く、自反愼獨じはんしんどくの功こうも眞ならざる處相見え候。尤もつともよきもあるべく候。大方は、其愚を知ること明かならず、其位をぬけ候事を知らざれば、名根みやうこん利根の伏藏は本の凡情たるべし。飯上はんじやうの蠅はいを追ふが如くなれ共、心上の受用あるによりて、自からもゆるすにて有るべく候。しかれども、大なる事にあひては亂れ候はんか。氣質變化の學は明白なる道理ながら、大なる志なければ到りがたく候。生付よき人の、世間の習によりて、うはべばかり惡しく成りたる等などは、道を聞候へば、一旦の惑ひはすみやかに解けて、本のよき所あらはれ候。
かゝる人を氣質變化と申す者あるべく候へども、これも變化にはあらず候。大かたは先覺〔孟子に、予は天民の先覺者なりと〕後覺共に、本の人がらありと相見え候。いざなふ人の人がらよければ、其國所のよき人、類るいにふれてあつまり、いざなふ人の人がら平人へいにんなれば、平人あつまり候。王朱の學の異同にはよらで、先覺の德と不德によれり。悉く然るにはあらず候へども、これ大略にて候。むかふ人を以て我身の鑑かゞみと致し候へば、自みづからの人がらこそ恥かしく候へ。古の人は、門前に人の往來多きを以てあるじの才ある事をしり、來きたる人の善不善を見て主あるじの德を知ると承り候。
一 再書略。宋朝の理學、明朝の心術と承り候へば、程子・朱子は道統〔流派と云ふに同じ〕にあづからざるが如し。いかが。
返書略。周子の通書つうしよ〔周敦頤の著書。凡そ四十篇あり〕などを見侍れば、聖人のはだへあり、明道めいだうには顔子がんしの氣象あり。後の賢者のよく及ぶべきにあらず。伊川の器量、朱子の志、みな聖人の一體あり。凡心ぼんしんなき處は同じ。聖門傳受の心法にあらずして何ぞや。我はたゞ其學術を論ずる事の多少をいふのみ。惑を解くことのおほきを理學といひ、心ををさむることの多きを心術といふ。秦火しんくわ〔秦始皇三十四年制して天下の書を燒かしむ〕に經けいそこねたり。故に漢儒の功は訓詁きんこにあり。其後異端おこりて、世に惑ひおほし。故に宋儒の學は理學にあり。惑ひとけては心にかへる。故に明朝の論は心法にあり。
一 來書略。太公望を微賤よりあげて三公となし給ひし事、不審多く候。周公、召公のごとき中行ちうかう〔中道を守りて過不及なき事〕の君子とも見えがたく候。軍旅の事に長じたる人故にて候や。
返書略。古人いへることあり。老人なり、かつ微賤に居て下しもの情を知れり。知識ありて時變に達せり。生れながらの上臈は、下の情を知り給ふ事くはしからず、人の云ふにしたがひ、道理のまゝに下知し給ひては、下に至りて可かにあたらざる事あり。是を以て帝堯は諫鼓謗木かんこはうぼく〔淮南子に堯敢諫の鼓を置き、舜誹謗の木を立つとあり〕を置き給へり。又賢才の人も、下に居て上臈の風俗を見ず、かつ政道の務を知らざれば、下にて謀りたる事には違ふこと多し。
太公も君子に交りて上臈の事をしり、本よりの大臣も、太公によつて下の情に通じ給へば、上下じやうか共に人情にたがふことなしとなり。軍旅に達せる事は、初めはしろしめさざれども、天然と大將軍の器量ある人なる故、用ひ給ひしなり。六韜りくたう〔文武龍虎(*原文「處」)犬豹の六韜、太公望の兵書と傳ふ〕に記す處の文武太公の論は、皆大なる僞いつはりなり。後世事をこのむもの是を作れり。かつ聖賢をかりて、軍者功利の術をかざりたるものなり。若し彼に云へる如きの心あらば、何を以てか聖人とは申すべきや。
 
荀子は、姓は荀、名は況といい、孟子の晩年の頃、戦国末期に趙に生まれ、秦の始皇帝の即位直前にこの世を去った儒学者で、しばしば荀卿と称されます。
彼は道家や墨家の思想も取り入れ、儒家ではあるが多くの点で孔子を修正し、孟子の性善説に対して性悪説という現実的な考え方を唱えた思想家です。
門下生の韓非子や李斯などからは、法家思想が生まれています。
荀子の著作はすでに荀子生前から天下に行き渡っており、前漢末には『孫卿』322篇、劉向がそれを整理して32篇に編定( 『漢書』芸文志に『孫卿子』と記されている)、唐の楊倞が注を付けて篇を並べ替え20巻32篇384章 約90,800字に改編したものが現在に至っています。
『荀子』は、荀子の自著と荀子の後継者によって著された部分に二分されると考えられます。
その内容は儒家 墨家 道家の行動や興廃を推し量り、 順序づけて書き著したものとなっています。
孟子の性善説に対して唱えた性悪説ですが、これは人の自然の性は「悪」であり、自然のままの人は無限の欲望を持ち、放っておけば衝突を招くことになるが、その欲を抑えているのは人の矯正の結果だと考えたものえす。
このような考え方から、荀子は人間の内面の仁よりも、人々を規制する社会のルールである礼を重視し、人が欲や悪いことを抑えることができるよう、政治でも法律をしっかりすることが大切だとしたのです。
一見、孟子の性善説を否定しているかのように受け取られがちですが、実際には荀子は孟子を意識的に攻撃した訳でもなく、重要なのは性悪説をふまえた上での礼論、つまり人の礼、社会的なしきたりによって拘束 矯正することを重要視したのです。
このような考え方を礼治主義といいますが、孔子が道徳による政治を強調して徳治主義を主張したが、道徳だけで政治を行うのは非現実的だというので、その補強のために礼論を用いた、ということです。
勿論、孔子や孟子も礼については触れており、「徳」と「礼」とを両立して説いていましたが、荀子は同じ儒家でも「礼」を特に強調し、重要視したという訳です。
結局は孟子も荀子も目指すところは大きく異なっていた訳ではなく、目指す目的のための手段が異なっていたということです。
孟子は、人の潜在的な善性を助長する立場を「徳治」と呼び、善性を助長し、育てるという自然主義の教育を主張していました。
反面荀子は、人間に善性を植え込むという立場を「礼治」と呼び、人は善へと(人為的に)形成されねばならないと主張していたのです。
これは教育と政治という切り口で見ると異なった結末を迎えることになり、孟子はどちらかというと民主主義的な立場、法治に近いのに対して、荀子は上からの統治の立場、法の原理が儒教的な徳目であるということを打ち出さざるを得ませんでした。
こうした考え方も時代背景を考慮すれば致し方ないことで、孔子や孟子と比べて荀子が生きたのは戦国時代。
戦乱が激しくなっていた佳境にあり、そういった乱世では道徳に頼るなど無意味に近いものだったと想像されます。
こうした中、荀子は儒家という立場を取りながらも、あえて拘束力 矯正力を持つ「礼」が必要だとしたのだと思われます。
更に彼の弟子である韓非子や李斯といった法家は、人民を拘束するものとして「法」を主張しています。
「法」は罰則を伴うことから「礼」に比べてもはるかに拘束力が高いのですが、こうした法治主義は孔子が最も嫌ったものということもあり、その思想の原点ともなった荀子は、儒家の中でも異端とされ傍流に置き捨てられてきた存在だったことは残念なことです。
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以下参考までに、現代語訳にて要点を一部抜粋です。
<strong>【01 勧学篇 - 学問の勧め】</strong>
 学問の重要性、学問の内容 方法
 人は学問によって変化、進化しうる。
 01 青は藍より取れども藍よりも青く、氷は水これを為せども水よりも寒たし。 →青藍氷水 →出藍之誉
 02 蓬も麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し。 君子よ其の立つ所を慎まんか。 →麻中之蓬 麻の中の蓬
 03 積土の山を成さば風雨興り、積水の淵を成さば蛟竜生じ、積善の徳を成さば而ち神明自得し聖心備わる。 →積水成淵
 ― 麒驥(きき)も一躍にしては十歩なること能わず、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦たこれに及ぶべし。 →駑馬十駕
 04 声は小なるも聞こえざることなく、行は隠れたるものも形われざることなし。
 05 学は没するに至りて而る後に止むべきなり。礼は法の大分、類の綱紀なり。
 06 君子の学は耳より入れば心に著き四体に布(し)きて動静に形わる。 小人の学は耳より入れば口より出ず。
 07 学は其の人に近づくより便なるは莫し。
 08 問の楛(悪)しき者には告ぐること勿れ。告ぐるの楛しき者には問うこと勿れ。
 09 百発に一のみを失するも善射と謂すに足らず。
<strong>【02 修身篇 - 身を修む 心身の修養】</strong>
 心身をおさめることの必要性とその方法
 礼とはそれによって身を正すものである。
 人は礼がなければ生きてゆけず、事は礼がなければ成り立たず、国家は礼がなければ安らかでない。 
 01 我れを非として当たる者は吾が師なり。我れを是として当たる者は吾が友なり。我れを諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり。
 02 人に礼なければ則ち生きられず、事に礼なければ則ち成らず、国に礼なければ則ち寧からず。
 03 善を以て人を先(みちび)く、これを教と謂う。
 ― 是を是として非を非とするはこれを知と謂い、非を是として是を非とするはこれを愚と謂う。 →是是非非
 04 気を治め心を養う術
 05 君子は物を役(えき)し、小人は物に役される。 士君子は貧窮の為めにとて道に怠らざるなり。
 06 体は恭敬にして心も忠信、術は礼義にして情も愛人(仁)。
 07 独り其の身を脩めて以て罪を比俗の人に得ざらんと欲す。
 08 驥(き)は一日にして千里なるも、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦たこれに及ぶ。 →駑馬十駕
 ― 蹞歩(きほ)して休まざれば跛鼈(はべつ)も千里、累土して輟(や)まざれば丘山も崇(たか)く成る。 →跛鼈千里
 09 法を好んで行なうは士なり。志を篤(あつ)くして体するは君子なり。斉明にして竭きざるは聖人なり。
 10 礼とは身を正す所以なり。師とは礼を正す所以なり。
 11 端愨(たんかく)順弟なるは則ち善の少なき者と謂うべし。加うるに学を好みて遜り敏(つと)むならば、以て君子と為すべし。
 12 冥冥に行いて報いなきものにも施せば、賢も不肖も焉に一(あつ)まらん。
 13 君子の利を求むるは略なるも、其の害に遠ざかるは早し。
 14 君子は貧窮なりとも志広く、富貴なりとも体恭しく、怒るとも過奪せず、喜ぶとも過予せざるなり。
<strong>【03 不苟篇(ふこう) - いやしくもせず】</strong>
 君子の生き方、徳性、修養
 01 君子は唯だ其の当るを貴しと為す。
 02 君子は知り易きも狎れ難く、懼(おそ)れしめ易きも脅(おど)し難し。
 03 君子は能あるも亦た好く、不能なるも亦た好し。
 04 温温たる恭人は惟れ徳の基(『詩経』大雅 抑)
 05 君子は人の徳を崇(尊)び、人の美を揚ぐるも諂諛(てんゆ)に非ざるなり。正義を直指して人の過ちを挙ぐるも、毀疵(きし)に非ざるなり。
 06 君子は小人の反なり。
 07 君子は治を治む。乱を治むるには非ず。
 08 馬鳴きて馬これに応ずるは知に非ず、其の勢然らしめしなり。
 09 君子、心を養うには、誠より善きは莫し。誠を致むるには則ち它(他)事無し。惟仁のみを守と為し、惟義のみを行と為す。
 10 百王の道も後王こそ是れなり。 →後王思想
 11 通士、公士、直士、愨士(こくし)、小人
 12 公は明を生じ偏は闇を生ず、端愨は通を生じ詐偽は塞を生ず、誠信は神を生じ夸誕は惑を生ず。
 13 欲悪取舍の権(はかりごと)
 14 人の悪む所の者は、吾れも亦たこれを悪む。 名を盗むことは貨を盗むに如かず。
<strong>【04 栄辱篇 - 栄誉と恥辱】</strong>
 驕慢、憤怒、利己、闘争等が恥辱、危険を招くこと、欲望と礼儀によるその調節
 人の生まれつきは、もともと小人である。
 仁君が上にあり、農民 商人 工人は仕事に励み、士大夫以上は官職に励むことが「至平」であり、差等があることこそ適正である。
 01 憍泄(きょうせつ)は人の殃(わざわい)なり。恭儉は五兵を偋(しりぞ)く。 人を傷つくるに言を以てすれば、矛戟(ぼうげき)よりも深し。
 02 快快にして亡ぶは怒ればなり。察察にして殘うは忮(さから 逆)えばなり。
 03 鬭(あらそ)う者は其の身を忘るる者なり、其の親を忘るる者なり、其の君を忘るる者なり。
 04 狗彘(くてい)の勇、賈盜(くとう)の勇、小人の勇、士君子の勇
 05 自らを知る者は人を怨みず、命を知る者は天を怨みず。 これを己に失しながら、これを人に反(求)するは、豈(そ)れ迂(遠)ならんや。
 06 義を先にして利を後にする者には栄あり、利を先にして義を後にする者には辱あり。
 07 夫(そ)れ天の蒸(衆)民を生ずるや、これを取る所以を有らしむ。
 08 君子は注錯(挙錯)の当れるものにして、小人は注錯の過ちたる者なり。
 09 君子は其の常に道るも、小人は其の怪に道る。
 10 人の生まれつきは固より小人なり。師なく法なければ則ち唯利を見るのみ。
 11 短綆(たんこう)は深井(しんせん)の泉を汲むべからず、知の幾(き 微)ならざる者は聖人の言に及ぶべからず。
 12 斬(たが)いながら斉(ひと)しく、枉(曲)りながら順に、不同にして一なる。夫れ是れを人倫と謂う。
<strong>【05 非相篇 - 相(うらない)を非とする 人相術批判】</strong>
 容貌 体形により人を占うことへの批判、後王論 遊説術
 吉凶について重要なのは人相ではなく、その人の「心」と「術(生き方)」である。
 01 人を相(占)うこと、古の人は有りとすること無く、学者は道(い)わざるなり。
 02 三不詳と三必窮
 03 後王を舍(す)てて上古を道(い)うは、譬(たと)えれば是れ猶お、己れの君を舍てて人の君に事うるがごときなり。 →後王思想
 ― 伝わること久しければ則ち兪々(いよいよ)略し、近ければ則ち兪々詳し。
 04 君子の言に於けるや、志はこれを好み、行はこれに安んずればこれを言わんことを楽(ねが)うなり。故に君子は必ず辯(弁)ず。
 05 説の難きは、至高を以て至卑に遇い、至治を以て至乱に接するにあり。
 06 君子は賢にして能く罷(弱)を容(い)れ、知にして能く愚を容れ、博にして能く浅を容れ、粋にして能く雑を容る。
 07 唯君子のみ能く其の貴ぶ所(可)きを貴ぶことを為す。
 08 君子は必ず辯(弁)ず。凡そ人は其の善(よみ)する所を言うことを好まざるは莫きも、而も君子を甚だしきと為す。
 09 小辯は端を見わすに如かず、端を見わすは分に本づくに如かず。
 10 小人の辯、士君子の辯、聖人の辯
<strong>【06 非十二子篇 - 12人の思想家への批判】</strong>
 12人の思想家の学説が天下を乱すことへの批判、君子の態度、儒家三派への批判
 史シュウ、陳仲は性情を無理に抑え、人とちがうことを高尚と心得ている。
 恵施と鄧析の説は明晰だが不急不用、 政治の基準とは成し得ず、愚かな大衆を欺き惑わすものである。
 慎到 田駢の過った「法」思想
 子思、孟軻は雑駁でかたより、難解でもったいぶっている。
 它囂、魏牟は、性情の放任、奔放な行動をしている。
 墨翟、宋銒は、 功利 倹約主義と「礼」的差等を無視している。
十二子の説を終息させ、「舜 禹の制」「仲尼  子弓の義」を行うことが必要である。
 01 仮今の世に、邪説を飾り、姦言を文(かざ)りて以て天下を梟乱し、天下をして混然と是非治乱の存する所を知らざらしむる者に人有り。
 ― 它囂と魏牟 - 情性を縦(ほしいまま)にして恣雎(放恣)に安んじ、禽獣のごとく行い、文に合い治に通ずるに足らず。
 ― 陳仲と史鰌 - 情性を忍び、綦谿利跂(きけいりき)し、苟くも人に分異するを以て高しと為し、大衆に合し大分を明かにするに足らず。
 ― 墨翟と宋鈃 - 天下を一にし国家を建つるの権称を知らず、功用を上(尊)び、倹約を大(尊)んで差等を僈り、君臣を県(別)つに足らず。
 ― 慎到と田駢 - 法を尚(とうと)びながら法なく、脩を下(あなど)りながら作を好み、上は則ち聴を上に取(もと)め、下は則ち従を俗に取む。
 ― 恵施と鄧析 - 好んで怪説を治め、琦辞を玩び、辯ずれども用なく事多けれども功寡なく、以て治の綱紀と為すべからず。
 ― 子思と孟軻 - 略(ほぼ)先王に法とるも其の統を知らず、甚だ僻違(へきい)にして類なく、幽隠にして説なく、閉約にして解なし。
 ― 聖王の文章具わり、佛然として平世の俗起こらば、六説者は入ること能わず、十二子者も親(ちか)づくこと能わず。
 ― 今夫れ仁人は将何をか務めんや。上は則ち舜 禹の制に法とり、下は則ち仲尼 子弓の義に法とり、以て十二子の説を息めんことを務むべし。
 02 信なるを信ずるは信なり。疑わしきを疑うも亦た信なり。
 03 多言にして類あるは聖人なり。少言にして法あるは君子なり。多にも少にも法なく流湎すれば辯ずと雖(いえ)ども小人なり。
 04 姦事 姦心 姦説、此の三姦は聖王の禁ずる所なり。
 05 知にして倹、賊にして神、為詐にして巧、無用にして辯、不急にして察なるは、治の大殃なり。
 06 上帝の時からざるに匪ず殷旧を用いざればなり。老成人なしと雖も尚お典刑ありしに、曾ち是れ聴うこと莫ければ大命以て傾けり(『詩経』蕩)
 07 古のいわゆる仕士なる者は、厚敦なる者なり。古のいわゆる処士なる者は、徳の盛んなる者なり。
 08 君子は能く貴ぶべきことを為すも、人をして必ず己れを貴ばしむること能わず。
 09 士君子の容、父兄の容、子弟の容、学者の嵬 - 他学派の批判
 ― 子張氏の賤儒 - 其の冠を弟陀(たいだ)にして、其の辞を衶禫(むなし)くし、禹のごとく行き舜のごとく趨(はし)る。 →禹行舜趨
 ― 子夏氏の賤儒 - 其の衣冠を正し、其の顏色を斉(ととの)え、嗛然(けんぜん)として終日言わざる。
 ― 子游氏の賤儒 - 偷(なま)け儒(おこたり)て事を憚かり、廉恥なくして飲食を耆(この)み、必ず君子は固より力を用いずと曰う。
 ― 佚なるも惰らず、労なるも僈(ゆるがせ)ならず、原を宗として変に応じ曲(つぶさ)に宜しきを得たり。是(か)くの如くにして然る後に聖人なり。
<strong>【07 仲尼篇 - 孔子の字(篇首の二字)】</strong>
 王者と覇者の区別、臣下の守るべき道
 斉桓公は小人の傑である。
 01 仲尼の門にては、五尺の豎子(じゅし)も言うに五伯(五覇)を称することを羞じたり。
 02 寵を持し位に処りて終身厭(いと)われざるの術
 03 これを同(とも)にすることを好むに若(し)くは莫し。
 04 天下の行術 - 以て君に事うれば則ち必ず通じ、以て仁の為にすれば則ち必ず聖なり。
 05 君子は時の詘(屈)すべきときには則ち詘し、時の伸ぶべきときには則ち伸ぶるなり。
<strong>【08 儒効篇 - 儒者の功績・効用】</strong>
 功績、君子論、聖人論、儒者論
 儒者が下の位にいると目上を尊敬し、上の位にいると礼節がおさまり、誠実で愛し合う風潮が生まれる。
 人は耕作を積み重ねれば農民となり、材木を切ることを積み重ねれば工匠となり、品物の販売を積み重ねれば商人となり、礼儀を積み重ねれば君子となる=「横の分業論」
 01 周公旦の摂政 - 天子なる者は、少(わか)くしては当るべからず。 能あれば則ち天下これに帰し、能あらざれば則ち天下これを去る。
 02 秦昭王問う「儒は国に益なきか?」 - 儒者は本朝に在りては則ち政を美にし、下位に在りては則ち俗を美にす。
 03 先王の道は仁の隆なり。中に比(従)いてこれを行う。 道とは天の道に非ず地の道に非ず、人の道う所以にして君子の道う所なり。
 04 凡そ事行は、理(治)に益ある者はこれを立て、理に益なき者はこれを廃す。夫れ是れを中事と謂う。
 05 其れ唯学か。彼の学なる者は、これを行えば曰ち士なり、焉れを敦慕(つと・勉)むれば君子なり、これを知れば聖人なり。
 06 君子は隠るるも顕れ、微(賤)なるも明らかに、辞譲すれども勝つ。
 07 分の上に乱れず、能の下に窮せざるは治辯の極なり。
 08 聖人なる者は道の管(枢要)なり。天下の道も是に管(あつま)り、百王の道も是に一なり。
 09 周公、必ずしも恭ならず、倹ならず、戒しめず。
 10 俗人、俗儒、雅儒、大儒
 11 学は行うに至りて止む。これを行えば明なり。 性なる者は吾れの為すこと能わざる所、然れども化す可きものなり。
 12 人の論(ともがら・倫) - 礼なる者は人主の群臣の寸尺・尋丈の検式(法度)と為す所以なり。
 13 君子は言に壇宇(だんう・界域)あり、行に防表(標準)あり、道に一隆あり。
<strong>【09 王制篇 - 王者の法制】</strong>
 王者の制度 政策、官制 考課 財政等についてのサブ項目を含む
 人は天下で最も尊い。人の力は牛にかなわず、走ることも馬にかなわないのに、牛や馬が人に使われるのはなぜか。それは人は集団をつくり、さらに自然への働きかけをなすからである。
 礼儀は政治の根源である。
 善い事を進言する者は礼によって待遇し、不善を進言する者は刑によって処分する。 
 01 賢能は次を待たずして挙げ、罷不能は頃を待たずして廃し、元悪は教えを待たずして誅し、中庸は政を待たずして化す。
 02 善を以て至る者にはこれを待つに礼を以てし、不善を以て至る者にはこれを待つに刑を以てす。
 03 分の均しければ則ち偏まらず、埶(勢)斉(ひと)しければ則ち壱ならず、衆の斉しければ則ち使われず、天あり地ありて上下に差あり。
 04 君なる者は舟なり、庶人なる者は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆えす。
 05 聚斂(しゅうれん)は寇(あだ)を召き、敵を肥やし、国を亡ぼし、身を危くするの道なり。
 06 王はこれが人〔心〕を奪(と)り、霸はこれが与〔国〕を奪り、彊(強)はこれが地を奪る。
 07 王者の人 - 動を飾(かざ)るに礼義を以てし、断聴するに類を以てし、明は毫末をも振(あ)げ、挙措は変に応じて窮まらず。
 08 王者の制 - 道は三代(夏・殷・周)に過ぎず、法は後王に弐(たが)わず。 是れを復古と謂う。
 09 王者の論 - 百姓は曉然として皆な夫の善を家に為せば而ち賞を朝に取り、不善を幽に為せば而ち刑を顕に蒙(こうむ)るを知る。
 10 王者の法 - 賦を等(差)して事を政(正)すは、万物を財(成)して万民を養う所以なり。
 11 上は以て賢良を飾り、下は以て百姓を養いて安楽ならしむ。夫れ是れを大神と謂う。
 12 君子なる者は天地の参なり、万物の総なり、民の父母なり。
 13 人には気あり生あり知ありて亦た且お義あり、故に最も天下の貴たるなり。
 14 一与一奪して人を為むる者、これを聖人と謂う。
 15 天下の一ならず、諸侯の倍(背)反するは、則ち天王の其の人に非ざるなり。
 16 具、具(そな)わりて王たり。具、具わりて霸たり。具、具わりて存し、具、具わりて亡ぶるなり。
<strong>【10 富国篇 - 国家を豊かにする】</strong>
 国家を豊かにする方法、分について、墨家批判、民に対する政策
 礼とは貴賎に等級があり、長幼に差別があり、貧富や尊卑にそれぞれふさわしさがあることである。
 国家の秩序を「分」という概念によって捉え、この「分」を規定する機能を持つ「礼」こそが政治の内容をなすものでなければならない。
 君主は民の利益のために、その巨大な権力をもつ。
 人間が生産の営みを続ける限り、自然の資源は幾らでも増産される=「積極的生産論」
 人間が自然のなかから生産する物資は、人間の需要を完全に充足してもあまりあるものである。
 君子は徳をもって治め、小人は労力をもって働く。 
 01 皆な可とすること有るは知も愚も同じきも、可とする所のもの異なりて知と愚と分かるるなり。
 02 礼なる者は貴賤に等〔級〕あり、長幼に差〔別〕あり、貧富・軽重に皆な称ある者なり。
 03 分〔界〕なき者は人の大害なり。分ある者は天下の本利なり。
 04 天下を兼ね足らしむるの道は、分を明かにするに在り。
 05 墨術誠に行わるれば則ち天下は倹を尚びながら弥々貧しく、鬭を非としながら日々に争い、楽を非として而して日々に和せざらん。
 06 二つの姦道と三徳による政治
 07 上の一なれば則ち下も一なり、上の二なれば則ち下も二なり。これを辟(たと)うるに屮(草)木の枝葉は必ず本に類す。
 08 利せずしてこれを利するは、利して而る後に利することの利あるには如かざるなり。
 09 国の治乱臧否を観るに、疆易(くにざかい)に至らば而ち端は已に見わる。
 10 国の強弱・貧富を観るに徵(験)あり。
 11 人を攻むる者は以て名の為めにするに非ざれば、則案ち以て利の為めにするなり。
 12 強暴の国に事うるは難く、強暴の国をして我れに事えしむるは易し。