今年の新語・流行語対象は小池百合子東京都知事の「3密」だそうです。
やはりコロナ禍での象徴の言葉ですね…
本人は事務所を通じて…
「今日まで63年間頑張って参りましたが、本日を以って引退することに決めました。これからの漫画界、野球界の発展を心よりお祈り申し上げます」
と引退についてコメントしています。
水島新司氏は1939年4月10日新潟市生まれの81歳です。
1958年に漫画家デビュー。
当時は大阪で貸本漫画家だったそうです。
それから1969年に「エースの条件」で野球漫画に本格進出
翌年には小学舘で「男どアホウ甲子園」や秋田書店で「銭っ子」を連載
1972年に講談社で「野球狂の詩」、秋田書店で「ドカベン」
1973年には小学舘で「あぶさん」が連載開始となりました。
キャリアの開始が大阪だった為か…
セ・リーグは阪神タイガース、パ・リーグは南海ホークスのファンだった様ですが…
あぶさん連載の歳に当時の南海野村克也監督に「好きな球団は1つでええ」と言われ…
南海ホークスのファンとなったそうです。
チームが福岡に移転後の現在でもソフトバンクホークスを応援しており。(近年は広島も応援しているらしいです…)
孫正義オーナーや王貞治球団会長とも交流があります。
結局、あぶさんも2014年2月まで41年間連載されましたが…
クライマックスシリーズが出来てからはホークスが敗けると夢オチにしなければならない状況になったり…
なるべくリアルタイムに近く連載するので苦労されてたと思います。
あとはドカベン…
ドカベンは当初は柔道漫画でした。
最初はみんな柔道をしていました。
そして中学時代の途中から野球漫画になり…
1981年に高校3年の選抜高校野球で終了。
因みにアニメ版は1979年年末に高校2年の夏の甲子園で弁慶高校に敗れて終わっています。
舞台が神奈川でしたし…
保土ヶ谷球場とかが舞台でした。
大甲子園では横浜スタジアムも出てきますけどね。
また、第3アウト後のアピールプレーで…
第4アウトを怠りアピール権の消滅で1点が入ると言う…
「ルールブック盲点の1点」など意外に知られていないルールの描写などもありました。
それから1983年から1987年までは高校3年の夏を舞台にした「大甲子園」となり
1994年からは高校を卒業後プロ野球の各球団に入団した「プロ野球編」
全員FAとなり2004年からは「スーパースターズ編」と話しは進み
最後は2012年から2018年まで甲子園球場で全球団トーナメントを行う「ドリームトーナメント編」。
他作品等で休止期間を含めると46年に及ぶ長いシリーズとなりました。
配球とかルール等、本格的にリアルな野球漫画は水島さんが始めてだったと思いますが…
その前までは実際に魔球とか非現実的な野球漫画が多かったのですが…(特に梶原一騎氏の作品とか…)
自分にとって水島新司さんを知ったのがアニメのドカベンでした。
まだ、自分もかなり小さい時に良く見ていましたが…
当時、「新・巨人の星Ⅱ」か「ドカベン」がどっちにはまったかと言えば…
「ドカベン」の方にはまりました…
後にこれが数年後野球に興味を持ったきっかけにもなります。
坂田三吉の通天閣打法(物凄い高い内野フライ)なんてドーム球場の天井直撃のフライとかは通天閣打法と未だに言ってしまいますし…
不知火守の超スローボール(チェンジアップ)やら…
水原勇気のドリームボール(ナックルフォーク)やら…
里中智のサトルボール(シンカー)やら…
影丸隼人の背負い投げ投法なんて野茂英雄氏のトルネード投法の元祖みたいな感じでしたからね…
両投げの投手わびすけこと木下次郎もいました。
最初は彼も山田太郎と一緒に柔道をやっていましたしね。
影丸は最初からライバルでしたが…
色々と個性的なキャラも居ますし。
1番インパクトがあるのは…
南海権左でしょう。
南海権左です。検索してみてください(笑)
あぶさんは実在の選手とのエピソード等がありどちらかと言えば人間模様を描いた大人の漫画でした。
2005年に紫綬褒章、2014年に旭日小綬章を受賞しています。
因みに野球殿堂については候補者から辞退したそうです。
これはこれで残念…
それでも野球界に影響を与え、そして自分の野球観にも影響を与えてくれました。
水島新司さんには感謝しかありません。
これからも野球を見てもらいたいですね。
本当にありがとうございました!!