あれ以来、ドクターイエローは私の前に現れてくれませんが、この連休に読んだ2冊の本は、偶然にもイエローの表紙でした。

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

 (ブレイディ みかこ/新潮社)

 

 『13歳からのアート思考』

 (末永 幸歩/ダイヤモンド社)

 

 『ぼくは、、、』は、イギリス ブライトン市に住む著者のエッセイ集。主に、息子の学校生活を通じて、イギリスの日常や現実に起きている、特に格差社会のことが書かれています。イギリスに住んだことがある人ならたぶん「そうそう」と、住んだことや行ったことがない私にとっては「そうなんだー」という発見がたくさんあるお話。

 

 書評的なことはさておき。私は、多様性に対して「sympathy」ではなく、「empathy」という、一歩踏み込んだ考えや態度、構えがないと、乗り越えられないことがたくさんある現実を学べたように思います。難しいし、大変ですけど。

 著者がタイトルにした言葉をノートの余白に書いた著者の息子さんは、とてもクールです。

 

 さて。もう一冊は、以前から気になっていた本。名古屋から東京に向かう新幹線に乗車する前に、ちょいと立ち寄った書店で見つけました。

 

 美術、アートに対する凡人(私)が抱く疑問や気後れを、冒頭で見事に喝破してくれます。例えば、美術館に訪れて、

 

 「それぞれの作品を見るのはせいぜい数秒。すかさず作品に添えられた題名や制作年、解説などを読んで、なんとなく納得したような気になっていた」

 

 とか。(他多数ゲッソリ

 

 遡ること13歳、つまり中学生のとき、「図工/美術」は小学生のときと比べて、格段に人気のない授業になっているそうです。その元凶は、絵を描いたりする「技術」と、過去の芸術作品についての「知識」に重点をおいた授業が大半を占めているから、というのが著者の見立てです。

 

 美術はいま、「大人が最優先で学び直すべき教科」

 

 著者は、「美術」の本来の目的は、「自分なりの答え」を”つくる”能力を育むことだと定義しています。

 

 アートの構成を「アートという植物」に例えています。作品として私たちが目にしているものを「表現の花」、それを生み出すための球根のようなところを「興味のタネ」、そこから無数に広がる根を「探求の根」というように。「興味のタネ」も「探求の根」も地中にあるため、作品(=表現の花)からは見えません。しかし、アートは、空間的にも時間的にも大部分を占めるのは、目に見える「表現の花」でななく、地表に顔を出さない「探求の根」の部分であり、本質的には、作品が生み出される過程が重要と説きます。

 

 「自分なりの切り口で考えるのが重要なわけで、、」

 「なんかこうあなたのエッジをたててさぁ、」

 

 これ、私がよく言ってる言葉です。(決して嫌な奴ではありません。たぶんびっくり

 

 「興味のタネ」や「探求の根」がないと、それはできないこと。

 この本を読んで、ストンと落ちました。

 

 すごく平易に(さすが学校の先生)、それでいて本質的なことがわかりやすく書いてある本です。

 (いやぁ、書籍を紹介するのは下手です。あらためて笑い泣き

 

 良い本に巡り合えた連休でした。

 

 あ、そうです。「今さら?」とか「今ごろ?」という声が聞こえてくるのですが、『SLAM DUNK』(井上 雅彦)を全巻大人買い!本の注文をしました(今、店頭やネットでは在庫なし)。夏休みのお楽しみです。

(「えー、お前読んだことなかったの?」「はい。真面目な受験生でしたので口笛」)

 

 明日も頑張りましょう。

 

 おやすみなさい。