前回に引き続き、Monday Morning Expressの松本謙一氏インタビューです。今回は最終回です。

 

 

松本謙一氏インタビュー 第5回

マンデーモーニングエクスプレス セッション4 エピソード9 2018年10月29日公開より 2.58から)

 

フレッド:祖父江さんと最初に会ったときのことを覚えています。彼の仕事場はたぶん3メートル四方くらい。驚きばかりだった。祖父江さんが働いているビデオテープをお持ちではない? 誰かが彼が働いている正面にビデオをセットして、彼は働いて、居眠りして、起きてまた働いて、という内容でした。彼はいつも働いていた。誰かが食事を持って来て、それでも彼は働いていました(笑)。

 

松本:祖父江さんが愛したのは・・・。

 

フレッド:酒(笑)。

 

 

松本:ええ、それとハンドワーク。たぶん最後のクラフトマンでしょう。

 

フレッド:彼のミルはシンガーのミシンからできていて、ハンダ付けは、古いブロートーチでやっていた。そうやってすべてを組み立てたんだ。フレームを手で切り出していた。驚きのクラフトマンだった。

 

松本:それらのクラフトマン達の作業場は非常に小さなものでした。私は中山さんの作業場を訪れましたが、それは彼の経営する小さな模型店の裏手にありました。鉄道模型ではなく、たくさんの船や飛行機のプラモデルを扱っている模型店です。店の裏手に非常に小さな作業場があって、普段は玩具のようなマスプロ商品をカツミやエンドウ向けに作っていました。PFMから注文があったときは、彼はそのハンドメイドのためだけに働きましたが、奥さんや近所の主婦はいつもカツミの入門用セットを組み立てていました。驚くべきことに彼は30や40の部品を自分だけで切り出して、やすりをかけていた。彼のスキルは素晴らしかった。たぶん私はそれを見た最後の人かもしれません。そのとき私は30歳くらいでした。

 

ダン:それらのハンドビルドモデルを1つ作るのには、どのくらいの日数を要したのですか?

 

松本:中山さんは1つのPFMの注文におよそ半年かけると言ってました。驚くべき速さです。

 

ダン:1台モデルに6か月?

 

フレッド:いや、12台とかだ。

 

ダン:彼は1日中働いていた?

 

松本:ええ。彼は動輪、車輪、ハンドパンチされたテンダー台車を他のビルダーから入手していましたが、主台枠、シリンダー、ボイラー、キャブ、テンダーは自分一人で作っていました。トビー向けの竹野さんも、同じです。

 

ダン:竹野さんも小さなワークショップを持っていた?

 

松本:ええ。ほとんど普通の家の普通の部屋でした。

 

フレッド:ギヤボックスのサプライヤーは1社だけで、車輪も2社だけ。他の全員がそのプールを共有していた。

 

松本:もちろんわれわれにとって全てのブラスモデルは宝物ですが、近い将来、それらはもっと貴重な宝物になります。2度と作れないのですから。私の写真に、トビーの竹野さんによるノーフォークウエスタンのクラスJストリームラインがありますが、ハンドメイドのストリームライン・ケーシングと手打ちの整然と並ぶリベット、ボイラーのグラマーな感じ、カーブの美しさにいつだって驚愕せざるをえません。こういった技術は、もう2度と出ないでしょう。

 

カワイモデルは日本最古で、たぶん1920年代に創業しました。彼らは交通博物館への大型ディスプレイモデルの仕事をしていて、彼らのハンドビルドのスキルは素晴らしかった。「アートオブブラス」にはカワイによるハンドビルドモデルがいくつか掲載されています。

 

ダン:美しい模型ですね。

 

松本:鉄道模型社にも非常に熟練したクラフトマンがいました。武(たけ)さんです。彼も素晴らしい技術を持っていました。彼の代表作はMBオースティンとPFM向けのグレートノーザンL-2、2-6-6-2です。フレームからテンダーに至るまで、武さんのワンマンワークで、1人だけでやりました。ニートで、スティーフです。日本のブラスの歴史における典型的な完全ハンドメイドの模型です。

 

(こちらは松本謙一さんにご提供いただいた、L-2の写真です。60年以上前に作られた、珠玉のハンドビルドです)

 

ダン:松本さん、貴重なお話を聞かせていただいて本当にありがとう。あなたとお話できて光栄でした。フレッドさんも、ありがとう。これらの情報をシェアして下さったことに感謝します。話に出たように、われわれは残念ながら、これらの非常に熟練したクラフトマンの多くを亡くしました。彼らの物語を聞き、歴史の一部として残すことは大切です。そういった歴史と模型とプロトタイプを組み合わせて楽しむ、情熱を注ぎ込んだクラフトマンたちのことを考える。このことによって、幸運にもそれらの模型のいくつかを持つわれわれは、さらにモデルへの愛着を深めることができます。

 

フレッド:付け加えたいのだが、これらのジェントルマン達は本当に、ブラスモデル産業のイノベーターだった。彼らがいなければ、今日のようなたくさんの製品はなかっただろう。

 

ダン:感謝したい。これらのイノベーター達がいなかったら、この趣味は今日のようにならなかった。沢山の人という訳ではないが、一握り以上の多くの人々が、この趣味の進路を変えた。このことをしっかり心に刻みたい。視聴者を代表してお礼申し上げたい。なぜなら、われわれの多くは、あなた達がいなかったら今のようになっていなかった製品を楽しんでいるのだから。

 

松本:私はこれは単なるホビーでなく、カルチャーだと思います。われわれ日本人、韓国人、そして米国の人々、さらにヨーロッパの人々が、いっしょに1つのカルチャーを作ったんです。

 

 

(松本謙一氏インタビュー、おわり)