「米国型鉄道模型とモダンジャズ」という看板を掲げているのに、ここのところずっと、日本型Nゲージの記事が続いています。米国型ファンの方にはとっくに見放されたかもしれませんが、久々に米国型ブラスモデルのことを書いてみましょう。

 

米国型ブラスモデルがお好きな方なら、一度はBrasstrains.comというサイトを覗いたことがあると思います。自らもブラスファンであるダン・グレーシャー氏がつくったブラス販売のウエブサイトで、数えきれないほどの米国型ブラスモデルが豊富な写真とともに掲載されています。データベースも充実しているので、もし貴兄の手元に正体不明の米国型ブラスモデルがあったとしても、このサイトを頑張って検索すれば、たいていの場合、ビルダーからインポーターまで判明してしまいます。

 

さらに氏は、Monday Morning Expressというビデオ番組を作って、YouTubeにアップしています。オフィスの中にスタジオを作ってゲストを呼び、ときには出張取材をする、という凝りようです。(今回の2枚の写真はYouTubeの静止画をお借りしました)

 

2017年から始まったこのシリーズは、残念ながら2019年のシーズン5を最後に更新されていないのですが、2018年に公開されたシーズン4に、われらが松本謙一氏が日本のブラスモデル・ビルダーについて語った回があります。

 

小生、まだYouTubeに字幕や自動翻訳機能がなかった2019年ころ、このインタビューを翻訳したのですが、松本氏にご了解を得る手段がなかったので、さすがにブログへの掲載は控えていました。ところが幸いにも、先日、池袋の鉄道模型芸術祭で松本氏とお話ができたので、思い切ってブログへの掲載をお願いしたところ、快諾を得ました。というわけで、5回にわたって、このインタビューの日本語訳を掲載させていただこうと思います。もちろん英語堪能な皆様はYouTubeを見れば済むので、自分自身のためのメモ、という意味合いが大きいです。

 

なお、恥ずかしながら、とりわけフレッド・ヒル氏の発言に小生の英語力では聞き取れない部分があります。誤訳もあるかもしれません。適宜修正しますので、コメント欄でアドバイスいただけると幸いです。

 

ちなみに、今のYouTubeには自動翻訳機能がついていますが、例えば「ブラス」を「金管楽器」と訳してしまうので、現時点では小生の訳のほうが少しマシだと思います。もっとも、このところのAIの進化を考えると、追い抜かれるのは時間の問題でしょうが・・・。

 

インタビューをしているのは、Brasstrains.comのダン・グレーシャー氏と、ロスアンジェスル郊外のパサデナにある有名模型店、オリジナルホイッスルホビーのフレッド・ヒル氏です。ヒル氏はブラスインポーターであるコーチ・ヤードのオーナーでもあって、松本氏の古くからの知己です。松本氏によると、ビデオの内容は米国NMRAのコンベンションで話した内容が元になっているんだそうです。

 

松本謙一氏インタビュー 第1回

マンデーモーニングエクスプレス セッション4 エピソード1 2018年9月3日公開より。14:25から)

 

ダン:私は長年ブラスモデルの歴史を学んできました。今日は私にたくさんのことを教えてくれた紳士、フレッド・ヒルさんをお招きしました。そして、松本さんのような人とご一緒できることは、いつだってこの上なく名誉なことです。松本さんは、これらの初期のブラスモデルの真の情報源として私がずっと尊敬してきた人です。今日は来ていただいてありがとう。(広げた東京の地図を示して)この地図をみせていただくと、あなたがどこで育ったか、視聴者にわかっていただけると思います。子供の頃、育ったのはこのあたりですね。

 

松本:ええ。ここです。

 

ダン:天賞堂から数マイルしか離れていない。

 

松本:ええ。地下鉄で2駅です。カワイにも2駅。隣は交通博物館だし、あちらには鉄道模型社。これが皇居で、ここがマッカーサー元帥のオフィス。天賞堂の隣がGIのPX。ここが東京駅。そして、ここに文具店があって、小さなケースにHOスケールのモデルを展示していました。熊田貿易の熊田氏は、そのHOセットをみて、HOビジネスをやろうと考えました。

 

フレッド:クマタはわれわれコーチ・ヤードの最初のビルダーだった。松本さんはほんの少し離れたところにいた。

 

ダン:熊田さんは鉄道模型を作るのが好きだった。

 

フレッド:ええ。実は彼は繊維ビジネスに従事していて、鉄道模型が趣味で、鉄道模型を作りたいと思った。

 

ダン:地図をみると、なぜ、松本さんが鉄道ファンで、鉄道模型ファンになったかがわかります。すべてに近いところで育った(笑)。

 

フレッド:皆、知りたいと思うのだが、ユナイテッドはどこにあった?

 

松本:もともとユナイテッドの三成さんは、PFMへのエクスポーターでしたが、自身の工場(shop)は持っておらず、ディレクターでした。しかし1960年代に米国からのオーダーがどんどん増えたので、自身の工場を持ちました。クマタも同様です。

 

ダン:それらの工場は結局どこに?

 

松本:(地図を示して)クマタはこの先で、三成さんは東京の郊外です。トビーは隣の都市の横浜。横浜には海軍と空軍の基地があったので、たくさんのGIがいました。篠原も横浜にあった。横浜と東京のダウンタウンエリアが、ブラスモデル輸出の主な拠点でした。天賞堂ももともと自分達の工場を持っていませんでしたが、その後、自らの工場を持ち、ケムトロン、インターナショナルといった米国の初期のブラスモデルインポーター向けにFTディーゼルなどを作り始めました。

 

フレッド:中村精密は時計メーカーだった?

 

松本:ええ、ナカムラはもともとは鉄道模型社にパーツを供給していました。1960年代に米国からの注文が年々拡大したので、自らの工場を持った。また、水野さんは鉄道模型社の通訳だった。彼はロストワックス技術をケムトロンから学んだ。

 

フレッド:ミズノはわれわれのいうミズーノ(訳者注:下線はアクセントの位置)だ。カツミはどこにあった?

 

松本:カツミはここです。ちょっと離れています。カツミはもともとOゲージのトイトレインのサプライヤーでしたが、ユナイテッドの三成氏を通じて、彼らも輸出ビジネスを始めました。カツミの下請けとして、安達、祖父江がいました。

 

ダン:2、3社から始まって、彼らが成功したので、いくつかが追いかけて、自社工場をつくった、ということですね。

 

フレッド:枝分かれしていった。中村は鉄道模型社から、祖父江はカツミから独立した。実際、祖父江はカツミ向けのパイロットモデル作りからスタートした。

 

松本:それぞれのクラフトマンによって、技法が異なるから、これは安達がつくったもの、これは鉄道模型社、これは天賞堂というのがわかります。

 

フレッド:松本さんは、これらの全てのビルダーがさまざまなインポーター向けに何を作ったかをまとめた2冊の本をつくった。ご記憶ですよね。

 

松本:ええ。

 

フレッド:あなたの書棚にきっとあるはずです。2巻のアート・オブ・ブラスだ。あと、天賞堂は自分達自身の本をつくった(訳者注:ご存じの、プレズアイゼンバーンが編集したTenshodo Bookのことです)。だから3冊の日本のブラスに関する本がある。1冊は天賞堂、2冊は松本さんによるものだ。

 

ダン:松本さんはこれらのモデルに深い造詣を持っていて、ビルダーからそのオーナーまでご存じなので、お話が非常に面白い。モデルを見るだけで、誰がつくったかがわかる。アーティストの作品をみるように、クラフトマンのクオリティからクセまで皆わかる。好きなモデル製作者はいますか?

 

松本:ベストはトビー向けの竹野さんだと思う。あと、鉄道模型社の武(タケ)さん、PFMクラウン向けの中山さん。この3人のクラフトマンが日本のブラスではベスト・イン・ベストだと思う。

 

ダン:視聴者にわかっていただきたいのは、これらのアーリー・ハンドビルドは、粗雑ではないということだ。もしたくさんの数量を作ろうと思ったら、これらのクラフトマンにはこれだけのクオリティで作る時間がなかったのでは?

 

松本:ええ。

 

フレッド:インターナショナルは多くの場合、非常に安い価格で大きな数量が欲しかったので、ビルダーの側は面白くなかった。PFMやウエストサイドがでてきて、ビルダー達は彼らが作りたい、もっと精密なモデルをつくった。彼らはインターナショナルやIHC、バーニーの仕事を避けた。タカラやジェムがより精密な模型を作り始めた。そこからよりよいモデルをつくるという進化が始まった。クラフトマン、ビルダーはより良い模型を作りたがった。おもちゃのような模型は作りたくなかった。

 

ダン:彼らは自らの仕事に誇りを持っていた。

 

松本:そうです。

 

(第2回に続きます)