現在の下灘駅前には2つの空き地があります。もともと「福井商店」があった左側の空き地は、現在は「下灘珈琲」というオープンカフェになっています。一方、その右側は今だに空き地のままです。
ここで「かめ」様からお借りした写真に再登場していただくと、ここには以前、青色の民家がありました。右側の建物です。「かめ」様による撮影は2004年7月です。
キハ58のJR四国色が走っていた時代を再現しようとすれば、この民家の再現は必須です。写真を求めてネット検索を延々とやったのですが、青い家の写真はなかなかみつかりません。2004年といえば下灘ブームのまだまだ前ですし、今のような旅ブログを書く人もわずかでした。何より、例え熱心な鉄道ファンであっても、駅前のモルタルづくりの住宅まで細かく記録する人はまずいないでしょう。かくして、かめ様の写真よりさらに詳しい様子がわかるものは、ついに見つかりませんでした。
こうなったら、もはや、恥を忍んで諸先輩にお願いするしかありません。これまで何の面識もないのですが、当時の下灘駅の様子をホームページに掲載しているShikoku様にずうすうしくもメールを書き、青い家が写っている写真がないかどうか、伺いました。氏の素晴らしいホームページがこちらです。このサイトの、JR四国に関する情報の濃さには、ただただ唖然とさせられます。
で、氏が「駅周辺に関してはあまり詳しく観察していないのだが」とコメントしつつ、快く貸与して下さった未公開写真がこちらです。撮影は2003年3月。今はなき福井商店の右隣りに、青い家がみえます。窓割りの大いなる参考になりますし、隣の福井商店の屋根の様子もよくわかります。Shikoku様、貴重なお写真を本当にありがとうございました。
あと、もう1つ参考になったのが、今年の5月9日にNHKで放映された、「ニッポンぶらり鉄道旅」です。この番組中に、1986年(昭和61年)に開催された下灘の夕焼けコンサート第1回の映像が流れました。誰かがホームビデオで撮影したような映像ですが、その1カットがこちら。何と、青い家の左半分の様子がわかります。
こうして徐々に明らかになってきた青い家ですが、最後まで悩みに悩んだのが、正面の右半分、とりわけ玄関部分の構造です。「かめ」様の写真を拡大すると、玄関の右半分に茶色の壁のようなものがあります。ここはいったいどういう構造になっているんだろう?
2組の引き戸があった商店が、廃業して引き戸の1組に板壁を貼り付けたものかしらん? それにしては家の前にはコンクリートの塀があって、商店らしくないし・・・。想像でつくってしまえばよいのですが、この民家のコア・アイデンティティの部分だけに、悩みに悩みました。ネットの画像はすでに探し尽くしてしまったし。
で、ふっと気が付いたのです。これは「すだれ」ではないか。そういえば、2軒隣の「オレンジの家」にもすだれがかかっていました。かくして疑問は小生自身の中では昇華され、やっと設計に取り掛かることができました。いやはや、模型1つ作るのも、難儀なことです。
この建物のチャームポイントは、正面2階の出窓のような構造ですが、そもそもこれは何のためのものなのでしょう。類似の建物もないため、結局どういう構造か全くわからないままに設計しました。あと、建物の右側妻面については、様子が全く分からないため、完全な想像です。かくして完成した設計図がこちらです。
次回は組み立ての様子をご覧いただきますね。