岡崎守恭「遊王 徳川家斉」感想 | 狸穴の雑多ブログ

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今回は岡崎守恭著・「遊王 徳川家斉」の感想記事。

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江戸幕府第11代将軍・徳川家斉。

歴代徳川将軍の中では一般的にそこまで有名ではない家斉ですが、彼の治世は50年(!)近くに及び、歴代徳川将軍の中では最長!

(鎌倉・室町の将軍を含めても、2位の長さ)

そんな治世は、有名な"化政文化"が花開くなど、まさに「泰平の世」と呼ばれる社会だった。

 

その実績の割には知名度・注目度の低い家斉について、将軍即位の経緯から治世、家斉時代の文化・できごとについて紹介されている本。

 

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家斉治世のエピソードで紹介されている中で一番印象に残ったのは、深川祭での永代橋崩落事故ですね。

江戸三大祭の一つ「深川祭」にて、祭に参加しようと殺到した群衆が永代橋を渡ろうとした際、群衆の重みに耐えかねて橋が壊れ、1400名の死者・行方不明者を出したとのこと。

 

ここまでの事故が起きたのにはいきさつがあって、、、

 

長らく老中・松平定信の「寛政の改革」で庶民達は質素倹約を強いられ、祭などのイベントごとも縮小・中止されており、庶民達のフラストレーションは溜まりに溜まりまくっていました。

 

ですがそんな定信が失脚して"質素倹約"の風潮が終わり、久々に開催されたお祭で庶民達の抑圧されていたフラストレーションが爆発してしまい・・・

"熱狂しすぎた"庶民達が群衆となって橋に殺到した結果、事故は起こってしまったとのこと。。。

"長らく続いた我慢から解放された人々が熱狂しすぎる→大事故が起こる"

っていう流れ、

現在の令和時代でも、コロナ明けハロウィンパーティーでの群衆事故など、似たようなことが起こってるね。。。

 

家斉即位直前~家斉治世の頃って、実権を握る老中によって"解放的"⇔"質素倹約"の方針がコロコロ切り替わっていて。。

(田沼意次→松平定信→水野忠成→水野忠邦)

 

コロナの時も緊急事態宣言が出されたり、少し落ち着いて解除されたりを繰り返してましたが、

 

いつの時代も"我慢を強いられる時期"と"解放される次期"が目まぐるしくコロコロ変わるのは、民衆にとってはストレスになるのかね??

 

やっぱり祭りや大掛かりなイベント事などは、どうしても社会の影響を受けやすいけれど、、、

そういう影響を受けづらいようなモノを見つけて、良い感じにストレスを発散していくことが必要かもね。