9.鬼の副長HIZIKATA feat.ぼく、獄門くん (打首獄門同好会)
新選組・鬼の副長こと土方歳三の曲。打首獄門同好会をフィーチャーしたロックナンバー。打首獄門同好会はちょっと守備範囲外だったのだけど面白い曲。
歴史上の人物の中でも一二を争うイケメン人気者もレキシの手にかかれば「土方」→「ヒジカタ」→「ヒジ・カタ・コシ・ヒザ♪」→「ピザ・ピザ・ピザ・ピザ・ピザ・ピザ♪」→「エルボー、ショルダー、ウェスト、ニー♪」ってどこまで飛んでいくんだー
それでも「君のことを守るために俺はいつでも鬼になる♪」おさえるところはおさえる。
レキシさんが曲の素案を作って、打首獄門同好会の大澤会長に送ったら、打首風パンク曲とレキシ風アレンジ曲の2案が帰ってきたらしい。それでとーぜんに打首風パンク曲を採用したのだとか。ちょっとレキシさんの素案やレキシ風アレンジ曲も聞いてみたい。この曲が他にどんな形になりうるのか、もう想像もつかない。
【歴史解説】
新選組は、江戸時代末期、尊王攘夷・倒幕運動が大きくなるなか、14代将軍徳川家茂が朝廷との協議の為、上洛する際、将軍警護のために結成された浪士組が母体。その後、京都守護職の会津藩主・松平容保のもと、京都の治安維持を目的に新選組として発足(1863)。この新撰組の局長が近藤勇、副長が土方歳三、一番隊隊長が沖田総司。白い山形の模様(ダンダラ模様)がついた水色の羽織、「誠」の文字の隊旗、内部粛清も厭わない厳格な隊規、長州藩、土佐藩などの尊王攘夷派の浪士を襲撃した「池田屋事件」で有名。土方歳三は冷徹な鬼の副長と呼ばれる。
その後、15代将軍徳川慶喜による「大政奉還(1867)」、朝廷による「王政復古の大号令」により江戸幕府は終焉を迎えることになるが、それから、約1年半の期間、旧幕府軍と新政府軍の戦争(戊辰戦争)が続く。新選組隊士も旧幕府軍として、鳥羽伏見、江戸、東北会津で戦い、新選組副長であった土方歳三は最後の戦場、函館五稜郭で狙撃され戦死(1869)。これで旧幕府、新選組も終わりを迎えた。
※明治ブルーと歌っている裏で、こんな数年の間(1863-69)に凝縮された生き様があるというのは、ちょっと感慨深いものがある。歴史の裏表というか、同じ時代でも一人ずつ歴史があり、それぞれの切り口で全く違う。歴史の面白いところ。
【ダジャレ・連想ワード】
・「土方」→「ヒジカタ」→「ヒジ・カタ・コシ・ヒザ」
→「ピザ・ピザ・ピザ・ピザ・ピザ・ピザ♪」
→「エルボー、ショルダー、ウェスト、ニー♪」
※10回言って問題なんて、懐かしすぎてどう落とすのが正しいのか、わからなくなってしまった。
「ピザって10回言って」
「ピザ・ピザ・ピザ・・・」
「じゃあここは?」(肘を指して)
「ひざ!」(ピザと間違えないように)
「ヒジ、でした~」(ってこんな問題、、、、逆に新しいかも)
・「相思相愛♪ お腰のものは 和泉守兼定♪」
→剣とは相思相愛で繋がるもの「和泉守兼定」土方の剣、会津藩の職人「兼定」の作(こっそりと沖田総司(そうし)も隠れてる)
・「ゲンコツインザマウス それなんざます♪」→「マウス」「ざます」近藤勇の拳を丸ごと口の中に入れる特技
・「けど そこんとこんどう? イサミ♪」→「そこんとこどう(なんだ)?」「(けどそこんと)コンドウイサミ」
10.フェリーチェ・ベアト
フェリーチェ・ベアト(1832-1909年)はイタリア生まれのイギリスの写真家。写真は見たことあったと思うけど、名前は知らなかった、、、マニアックすぎる。インド・中国などでの活動の後、1863年頃に来日(ちょうど新選組が設立された年!)、その後1884年(明治17年)まで約20年間近くにわたって日本に滞在。まさに、幕末から明治にかけての激変の時代、戦乱と文明開化を体験し、当時の文化風習生活の写真、風景写真(パノラマ写真)など、数多くの貴重な写真を残した。
たぶんMaybe明治~鬼の副長HIZIKATA~ときたこのレキシチ最後を飾るにふさわしい曲。
「君の隣のあの子/あいつは誰なんだろう フェリーチェベアトの写真の君は笑っていた♪」
と、フェリーチェベアトの写真にうつる「君」と「あの子/あいつ」をみて想う。
「誰も知らない 謎の向こう側 覗いてしまうよ♪」
と、カメラのファインダーを通して覗いた世界、写真として残した時代を我々に覗かせてくれている。
この時代の写真自体が貴重。歴史資料って考古学的なモノや文字、絵などももちろん有用だけど、写真の存在感は別格。それがその時そこに実際にあった、ということを直接的に感じることができる。風景の写真も人の写真も。フェリーチェ・ベアトの写真を通して、幕末、明治維新の時代を感じることができる。
【歴史解説】
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【ダジャレ・連想ワード】
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