きよみずです。

 

この数年、わたしは

自分の「純度」を高めることを

意識しています。

 

「純度を高める」とは

 

自分の感覚を研ぎ澄まし

自分の感覚を信じて行動すること。

 

自分の内側から

湧き上がってくる「思い」や

直観で受け取った「ひらめき」を

 

この現実世界で

「形」にしていくこと。

 

 

物事にはタイミングもあるので

すぐには行動できないことも

ありますが

 

それでも

自分を信じて

 

必ずタイミングが来ると信じ

タイミングが来たら必ず乗る!

と決める。

 

そうして

今できることをやりながら

流れに身を委ねていると

 

タイミングがやってきて

 

勇氣を出して動くと

物事が、意外な方向へと

展開していく…。

 

このところ、わたしは

そんな経験をしています。

 

 

ただ、実際には

 

自分は「こうありたい!」

こんなこと「やってみたい!」

という思いが生まれても

 

「どうせ自分なんて…」とか

「人から変に思われるかも」

「家族から反対されるかも」

 

といった、否定的な思いが

同時にやってくることが

多いと思います。

 

わたし自身もそうですが

 

日本人はとりわけ

「人からどう思われるか」を

氣にするので

 

自分の「望みを叶えること」

のみならず

 

もしかしたら

「望みを持つこと」自体にも

 

「恐れ」や「罪悪感」を

抱きがちかもしれません。

 

 

それでも

 

大切な自分自身のために

 

変化を「覚悟」して

「勇氣」を振り絞り

葛藤を乗り越えること

ができたら

 

こんなに幸せなことはない!

のではないでしょうか。

 

。。。。。。。

 

日本人の素晴らしいところは

「和」の精神である

 

ということは

あまり異論がないところだと

思います。

 

日本人は

周囲に対して配慮ができ

思いやりを持って

人に接することができる。

 

それは

言うまでもなく

日本人の美徳!

 

 

でも、わたし達は

無意識のうちに

 

周囲への配慮や

思いやりの域を超えて

 

「和を乱さないように」と

必要以上に神経を使い

 

自分の意見を通すよりも

「みんなと同じ」であれば

「安心」と思いがち。

 

 

学校教育や

親の価値観・常識といった

周囲の影響を受けて

 

みんなと仲良くしなさい!

人様に迷惑をかけてはいけません!

自分勝手はいけません!

 

と、刷り込まれてきたので

 

「自分を抑えて周りに合わせる」

癖がついてしまっています。

 

さらには

 

最近は

変わりつつありますが

 

基本的には、苦手をなくし

すべての教科をまんべんなく

できるように求められる

受験制度と

 

受験を

主な「ゴール」として

カリキュラムが組まれている

学校教育。

 

 

そんな環境の中で

わたし達はいつでも

 

「完璧」を求められ

「優劣」でジャッジされ

「和」を乱さないよう諭されて

 

知らず知らずのうちに

 

凸凹のある

あるがままの自分の個性を

 

「否定」する方向へと

導かれてしまっています。

 

だから

 

自分を褒めるよりも

「ダメ出し」してしまい

 

自分の選択に

自信を持てない人が

多いのかもしれません。

 

。。。。。。。

 

日本の学校教育は

 

日本のあり方を歪めて伝える

「自虐史観」といわれる

歴史教育や

 

八方に広がる「氣」という漢字が

「氣」が広がらないよう

「気」に書き換えられていたり

 

どの民族も必ず教わるような

「神話」を教えなかったり…

 

成長するうえで

「精神的な核」となる

自分たちのルーツが

教育上、隠されているので

 

そういった側面でも

 

日本人として

自信を持ちにくい状況が

あると思います。

 

 

ただ、古い価値観が

どんどん崩壊している今

 

これまでの「あたり前」が

あたり前じゃないかも?

と氣づき始めている人も

多いはず。

 

 

今、ようやく

 

わたし達が囚われてきた世界

から、抜け出すチャンスが

やってきたのです。

 

つづく