毎度おおきに!


ようこそ我が終わってるブログに、お立ち寄りくださり誠にありがとうございます!



ゴミ記事を読んでるって楽な気持ちでいてください♥


m(_ _)m


さて、前のブログを書き終えてネタ探しにYahoo!を見たら?


三遊亭円楽が肺がんのため72歳で死去 。



6代目三遊亭円楽が本日9月30日に肺がんのため72歳で死去した。 これは所属事務所の株式会社オフィスまめかなが発表したもの。円楽は1950年生まれ、東京都出身。青山学院大学在学中、5代目三遊亭圓楽に入門した。三遊亭楽太郎の名で活動を続けて1981年に真打ち昇進し、2010年に円楽を襲名。1977年には「笑点」(日本テレビ系)の大喜利レギュラーメンバーに27歳の若さで抜擢され、長きにわたって親しまれた。 葬儀は近親者のみで行われ、後日お別れの会が催される予定。




やっぱり?
かもしれないのかな····

円楽師匠は我が記憶の中で、初の笑点加入メンバーかもしれないです。

う〜ん、記憶に残るを入れるべきかな?


モノクロ画像の先代の圓楽師匠が笑点を卒業した後任かな?

とにかく僕が子どもの頃の大人の師匠達の中に入れた、僕の干支1回り上の落語家さんでした。



不思議なんだけど、先代は同じ「えんらく」って発音だけど、圓楽って文字が出てくるんです。

けど当代?
亡くなられた「えんらく」師匠は、円楽か出てくるんですよね。


なんだろう、シッカリした記憶を持って僕が笑点を見出して約半世紀くらい。

その間に多くの落語家さんも亡くなられてしまいました。

そして意外と大喜利メンバー在任中は?

少ないかもしれないです。

桂歌丸師匠とか司会の籍は抜いて無かったんじゃないかな?

そのライバル、三遊亭小円遊師匠とか司会の三波伸介さんくらい?

後はメンバーとしては卒業しているんじゃないかな?


確か三波伸介さんが急死だった時は、フォローで伊東四朗さんが数回は司会してたよなぁ。
なんて満60歳手前のジジイ寄りのオッサンらしいことを書いてみました。


ありゃま、その三波伸介さんに右端の青いきものは、三遊亭小円遊師匠!

貴重な画像じゃないっすか!

んでもって、存命なのは確定が林家 木久扇師匠で、Wikipediaでコピーしたくて存命確認した三笑亭 夢之助師匠くらい。


こう番組史的に画像検索をしながら思ったのは、ハロプロ&48グループな基礎となる卒業&加入を取り入れたのは、笑点が元祖なんじゃない!

そう考えるとハロプロ型かな?

グループ加入→卒業→タレント性からハロプロ全体のコンサートMC。

三波伸介さん以降はその流れに近いですよね。


改めて亡くなられた円楽師匠は、僕の1回り上の今年が年男です。

微妙且つ複雑な心境になりますね。

笑点の大喜利って時間を共有できたことを、心を込めて感謝します。

ホントにありがとうございました!
m(_ _)m


でも皮肉だよね。

我がブログの1つ前は、日常の中で感じる些細な幸せ。

だったんですからね♥


んまぁこんなことを書いても、ここまで読んでくれるブロガーさんはほとんどいないでしょうけどね!



ねっ、僕って終わってるでしょう?


とかあれやこれや書いたけど、今回はこれでおしまい!


最後に謹んで三遊亭円楽師匠の御冥福をお祈りいたします。
m(_ _)m