若宮八幡社(蚕養宮)は、旧八尾町市街地の上に鎮座する城ヶ山(古名は龍蟠(りゅうばん)山。標高200mの山裾にある。

社の両側を小さな谷筋(城ヶ谷)とする小高い山麓の林の中にあり、保食神(うけもちのかみ)を神霊とし、毎年春季八十八夜(現在は5月3日)を例祭日としている。

(富山県で唯一の)養蚕家である貴代美は、毎年、献酒を持参し、蚕の神様に今年の豊作を祈願する。

貴代美の日記


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社殿の「蚕養宮(さんようぐう) 」は富山市民俗文化財に指定されており、由緒を見ると天明元(1781)年の建立、陸奥の国から御神霊を勧請し、蚕・養蚕業を祀ったとのこと、明治十一年下新町八幡神社から御神体を分けてもらい若宮八幡社を合祀、昭和二年に改築して現在に至る。

八尾町は養蚕業、特に蚕種(蚕の卵)を生産出荷することで発展し、戦前に至るまで町の基幹産業だったとのこと、 若宮八幡社(蚕養宮)はその守護神として厚く崇敬されてきたのであろう。

老杉の巨樹に囲まれた立派な社殿である。

貴代美の日記


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八尾町は昔、「蚕都」と呼ばれていた。

養蚕が盛んであっただけでなく、特に「蚕種」(蚕の卵を和紙に貼り付けさせたもの)の供給では、その品質の良さから全国のトップシェアを占めていた



この地は旧八尾町より野積(のづみ)谷へ越す桐山峠の麓にあり、かつては飛騨地域への物資を運ぶ古道の要所でもあった。


一方、八尾町における養蚕業の始まりは、八尾町建て(1636)以前の戦国時代末期の永禄年間(15581569)、時の城生(じょうのう)城主・斉藤信利が領内に養蚕と桑業を奨励したことにあり、その後、城下にとどまらず付近の村落にまで及び、次第に八尾町が蚕業の中心地となっていった。

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手洗い鉢は繭の形をしており、お蚕様の口から水が出るようになっている。


貴代美の日記

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本殿内につるされた灯りには、蚕蛾と桑と糸巻きが形作られており、養蚕が大切にされていた様子がうかがえる。




貴代美の日記


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