結論から言えば、野生動物が自殺しないという根拠は存在しない。


人が生きていく中で野生動物から学べることは数知れず。

自然と共に生き、自然と共に死んでいく。

それが野生動物の在り方。

病気になっても薬を使わない。使えない。
死が近づいても延命治療はしない。できない。

しかし、仲間の死は経験する。

彼らは死について、どのような概念を持っているのでしょうか。

たくさんの事例から、仲間の死を経験する彼らには、死という概念そのものはありそう。

チンパンジーに至っては、人間そっくりな儀式まで行う。

生きるという本能とは真逆な自殺という行為。

それは、いささか高度な行為。

そんな高度な行為を野生動物がすることを人間が認めることは、人間としての高尚なプライドを傷つけることにもなる。

だからこそ、「野生動物も自殺する」と聞くと、「だよね」ではなく、「そうなの?」という反応になる。

無意識レベルで、そんなこと、人間にしかできないと判断する。

人間は人間を高尚な生き物だと勘違いしすぎている。

人間こそ有能という考え方に甚だ疑問。

多くの野生動物が人間の管理下に置かれている。

しかし、現実問題、人間でさえ人間に管理され、支配され、コントロールされている。

多くは、家族、会社、つまりは日常レベルで。

そして、自由を失い、自殺する。

しかし、自殺は隠されるべきこととして扱われるこの世の中。

自死遺族は、身内の自殺と偏見による孤独という壮絶な状況に耐えて耐えて耐えまくりながら、表では明るく振る舞う。

そして、その過酷な状況に押し潰されそうになり、自らも自殺という選択を取らざるを得ないと考えてしまうことも少なくないのが現状。

しかし、そんな状況からなんとか這いつくばって生きている人が世の中には本当にたくさんいる。

こんなこと、同じ立場になるまで本当に知らなかった。

自殺なんて自分とは無縁だと思っていた。

自死遺族という立場になり、私はあえて、周りにそのことを話すようにしてみた。

もちろん、相手にショックを与えるということは分かっていたので、言う相手は選びつつ。

すると、身近の自殺を経験したことがある人が多いこと多いこと。

学生時代から仲の良かった友達にまで、「実は、うちの親も…誰にも言えないし、言ってはいけないことだと思って…」と打ち明けてくれたり。

ほんと、やるせない。

我が家は、迷ったら野生動物に習うことをまずは考えてみるようにしています。

自殺と野生動物の関係について、更に掘り下げて調べていこうと思います。

何か新しい発見があるかもしれないし、ないかもしれない。