大阪・尼崎のカウンセリングサロン・anneのきよです。

 

 

 

 

今年の冬の大半は寝込んでいましたので、

夫が甲斐甲斐しくお世話を焼いてくれていました。

 

 

春の天候変動も落ち着き、

ようやくわたしの体調も快方に向かっております。

 

 

 

 

わたしが元気になると同時に夫は無理をしてきた分、

「何物にも縛られない自由の身になりたいビックリマークビックリマークビックリマーク

と、申しておりまして生活リズムって何はてなマークって生活をしております爆  笑

 

 

 

 

で、問題が起こりました。

 

 

自由を手にした夫は気の向くままに寝て、起きたいタイミングで起き、

食べたいときにわたしの用意したご飯を食べたり、食べなかったり

一人でゲームをしてるかと思えば、亡くなった息子の友達たちと夜中過ぎまでゲームする。

 

 

 

 

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・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

わたしとの時間ははてなマーク

 

 

 

 

なのですよ!!

 

 

 

 

好きな時間に寝起きするのはいいし、

好きなタイミングでご飯を食べるのもいい。

好きなだけゲームをするのもいいと思うし、

ゲーム仲間と何時間も通信しながらゲームをするのも大いに結構。

 

 

 

 

でもさ、会話がないのは寂しい。

 

 

 

少しずつ確実に、わたしイライラし始めている・・・

 

 

 

 

 

夫との関わりが欲しいから、コーヒーを入れたり、

ご飯の用意をして、できるだけ一緒に食べようとしたり、

少しでも早く起きてくれることを期待して、寝ている横に寄り添ったり、

夫がゲームをしている横で、ブログを書いたり、室内バイクを漕いだりしてます。

 

 

夫、その横でゲーミングヘッドフォンしながらゲームをしたり、

ゲーム仲間と会話してる・・・。

 

 

 

 

 

無自覚なイライラが溜まっていく。

そして、とうとう自覚するレベルまでイライラしていることに気づいてしまいました。

 

 

 

 

構えよ。

わたしを・・・・。

 

 

 

 

静かなる怒りでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたし、一人遊びができないんですよ。

 

 

 

好きなこと、やりたいことが、今は一人でできない有様でして

夫がいなければ何もできないのです。

 

 

 

 

楽しめない。ってレベルじゃなくて、

 

例えば本を読もうとすると頭の中の『わたし』が

『楽しむな!苦労しろ!人に尽くして、犠牲になれ!』

 

って耳が痛くなる音量で喚くんですよ。

 

 

 

 

わたしが好きなことをしようものならそれはそれは大変なことになります。

 

 

 

なので、わたしは今好きなことも、楽しいことも、やりたいことも、幸せを感じることも、癒しを感じるようなこともできません。

 

 

お風呂好きなわたしが、お風呂タイムが苦痛を感じるくらいなんですよ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

今のわたしができることや許されることは、

夫のお世話を焼くことと、夫と話をすることだけなんです。

 

 

 

夫がいれば子供たちとも普通にお話できるし、人さまともお話や何かをしたりできます。

 

 

 

 

『自分を愛する方法』をたくさんやってきたので、

自己犠牲が絡む物事は、身体が拒否をするようになりました。

 

 

 

今のわたしは『自己犠牲』で動くこともできません。

同時に『自己犠牲』を払おうとしたら、夫が止めに入ります。

 

夫の着替えを出そうとしただけで、止められます!(笑)

 

 

 

 

そんなわたしは、毎日が不安と頭の中の暴言と夫に何もさせてもらえないのが現状。

ただ自分がコーヒーを飲むついでに、夫のコーヒーを入れるのはOKなのです。

 

自分が何かをするときに、夫のことをついでにするのは認められている・・・。

 

 

 

わたし、どうしたらいいの・・・。

 

 

 

自己犠牲を払うことでしか存在を認めてもらえなかったのに、

自己犠牲を払おうとすると止められる毎日・・・。

 

 

 

 

 

どうしたら『存在』を認めてもらえるのか不安でしかない。

 

 

『存在意義』がない毎日にイライラしている。

 

 

何もしなくても『存在』しているだけで、夫から『愛されている』毎日が不安。

 

 

 

 

何も『求められていない』

わたしが笑って生きているだけで幸せといわれる度に、恐怖を感じる。

 

 

 

 

何も差し出していない『現実』

いつ捨てられてもおかしくない状況がここにある。

 

 

 

 

夫にとって、わたしの『存在意義』はどこにあるのか。

何を差し出せば、夫の傍に『存在』していい理由になるのか。

 

 

 

全てはわたしの中の『わたし』が、わたしの『存在』を許さないから。

 

 

 

 

わたしは夫に『存在意義』を証明するのではなく、

『わたし』に『存在意義』を証明しなければいけないのかもしれない。