大阪・尼崎のカウンセリングサロン・anneのきよです。

 

 

 

今回のブログはわたし事なのですが、

休憩・休息・お休みが取れないってお話を聞いてほしいと思ってます。

 

 

 

気付いた時には休憩中でも、

次の工程作業のことを考えていたり、

お休みの日は家のことのやることをずっと考えてます。

 

 

 

お仕事の休憩時間、

家事の合間の休憩時間、

お休みの日は一日中、

 

わたしはボーっとすることができないのです。

 

 

常に何かを考えている。

 

それがわたしです。

 

 

 

元夫と暮らしているときは

常に分間隔でスケジュールを組み、

休憩時間は体を休めているけど、

頭はずっと稼働しているのが当たり前でした。

 

 

今も休憩・お休みが取れないのは、

昔の名残かもしれません。

 

 

 

 

しかし40歳も回り、休憩しないと正直しんどい・・・

 

 

今の夫と一緒になって12年が過ぎましたが、

今だにこの状態だと困るし、夫と共に休憩できるようにあらゆる手を尽くしましたが

休憩・お休みが取れた試しがありません。

 

 

休憩・お休みを取ろうとすると、

気持ちがざわざわ、そわそわして落ち着きが無くなります。

 

 

それでも、休もうとするとイライラしてきます。

 

 

今までは休もうとすると母親や元夫から

暴言を吐かれる幻聴や幻覚の症状が現れていましたが、

 

母親や元夫にずっと支配されることが馬鹿らしくなってからは

2人の幻覚や幻聴の症状が現れることはなくなりました。

 

 

 

代わりに現れたのが『わたし自身』です。

 

 

 

休憩や休もうとすると『わたしの声』が頭に響き渡ります。

 

 

 

25歳前後の一番無理をしていた時の『わたし』が現れるのです。

 

 

 

睡眠時間が1日」2,3時間しかなく、

仕事を掛け持ちしながら家事育児・無職の元夫を養いながら、

元夫が人様に迷惑掛けた時に後始末をして回っていたあの時代・・・

 

 

 

 

その頃の『わたし』が休むことを責める。

 

 

 

 

もう正直、勘弁してほしい。

今、幸せになっていることを許してほしい。

 

 

あの頃の『わたし』は間違いなく不幸だったと思う。

唯一の幸せは子供たちだけだったと思う。

 

 

 

 

でも子供たちはわたしの中では、

幸せや愛をくれる存在ではなく、

 

愛し、守り、幸せにする存在だった。

 

 

 

 

わたしを愛し、守り、幸せにしてくれる存在はいなかった。

 

 

 

 

 

その頃の『わたし』は今の『わたし』を認め、許すことはできないのも当然だとも思う。

 

 

 

客観的にみて、

今のわたしはわたしを愛してくれる人がいて、

わたしを守ってくれる人がいて、

わたしを幸せにしてくれる存在がいる。

 

 

25歳前後の『わたし』が求めていた全てを持っているわけだから、

『わたし』はわたしを認められないし、許せないのだと思う。

 

 

 

一番助けてほしいときに、

誰も『わたし』を助けてはくれなかったのだから。

 

 

 

別段、助けが必要ではない今のわたしが

色んな方から助けてもらっているのだから。

 

 

 

『休むな!休むな!休むな!』

 

『苦労しろ!もっと苦労しろ!』

 

『不幸になれ!不幸になれ!幸せになんかなるな!!』

 

 

 

そんな言葉を吐き続けている。

 

 

25歳前後の『わたし』は 『助け』 を求めているのだろう・・・

 

 

 

そんな『わたし』を助け出せるまで、

休憩もお休みも取れないのかもしれない・・・。