かぼちゃん、、
まだ
認知症がでる
15年くらい前
聖書の
詩篇をよく
読んでいた。
おおきな窓のある
表に面したお部屋で
いまウチにあるダイニングテーブルで。
ここだと
あかるくて
椅子に腰掛けるとしゃんとするの
と。![ハロウィン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/284.png)
![ハロウィン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/284.png)
きーちゃんが
小学生のとき両親から貰った
新約聖書詩篇つき(口語訳)。![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
字が大きいので
これをよく使っていたもよう〜![メガネ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/427.png)
![メガネ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/427.png)
赤いラインや小さなまるが付いてます。
詩篇23にもラインあり。
かえちゃんのくれた詩篇ガイドも参考に
なります〜
1 主はわたしの牧者(ぼくしゃ)であって、
わたしは乏しいことがない。
2 主はわたしを緑の牧場に伏(ふ)させ
いこいのみぎわに伴われる。
…
気持ちいい緑のまきばと
みぎわ(水辺)がうかびます![にっこり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/614.png)
![にっこり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/614.png)
新約聖書はギリシャ語で
書かれたものですから
日本では翻訳されたものです。
古い順に
文語訳〜口語訳〜新共同訳〜新改訳、、
かぼちゃんが最初にふれたのは
おそらく文語訳。
暗唱していてなじみがあり
日本語のリズムがきれいー
とか
言ってた。
かぼちゃんの聖書の集まりで
晩年は新共同訳を使ってました。
文語訳の詩篇もみてみたいな
と
おもったら
古い讃美歌の本の後ろに
交読文として
詩篇もいくつか載っていました!
主はわが牧者(ぼくしゃ)なり、
われ乏しきことあらじ。
主はわれをみどりの野(の)にふさせ、
いこいの汀(みぎわ)にともないたもう。![羊](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/180.png)
![羊](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/180.png)
…………
あらじ、たもう。。
すてきな日本語。
かぼちゃんは内村鑑三の求安録から
キリスト教をしるのですが
少女時代に読んだ外国文学からも
影響をうけています。
戦争時代のなか
思想家?の娘が明日には返してよっ
と
こっそり貸してくれた本を
読みあさりました。
そこには外国にある
キリスト教の考え方が自然とながれています。
かぼちゃんの死後
長崎の甥(かぼちゃんの姉の長男)からきた手紙。
清楚で理知的で
文学的センスをともった方という印象をもっておりますー
と。
かぼちゃんの
お祈りからもわかる
ことばをだいじにした
すてきなひと
だったな、、
と
あらためて
おもう。
また
かぼちゃんの祈りの
足あとをすこしずつ
たどっていきたいー
そんなことを
おもいました。