「どんな姿であろうが自分で食べられる」

 

ハンセン病の重症の方の言葉です。

 

手が不自由でも、

お茶碗に口をつけて食べることになっても、

自分のチカラで出来ることは

自分でする…

 

中には、

人には食べる姿は見せられないと

個室で食べる方もいたそうです。

 

それでも、どんな姿でも、

自分で食べたい、

その方がおいしい、

そういう思いがありました。

 

 

皆さん、想像できますか?

 

 

ハンセン病では、

味覚と嗅覚をおかされることがほとんどなかったそうです。

 

そして、

一生この場所で生きていかなくてはいけない…

そういう思いからも、

隔離された療養所での食事に対する期待や悦びは、

とても大きなものだったそうです。

 

 

 

また、

 

「入園した時の献立は忘れない」

 

と言葉を残した方もいます。

 

療養所に連れて来られ、

親や友達とも離れ離れになり、

一生この場所で生きていかなくてはいけない、

隔離された生活が始まる…

まさにその日。

 

その日に食べた献立。

 

におい、味、雰囲気、感情…

 

様々なものが頭の中に残るのでしょう。

 

その時の献立が食べられなくなった方もいたそうです。

 

 

人それぞれの生活の中に、

必ず「食」があります。

生活の一部です。

別ではありません。

繋がっています。

 

おいしい心、

おいしい身体、

「食」だけにとらわれないように、

「食」を大切にしていきたいですね。                          

 

 

 

そして、

 

世の中にある様々な病気の解明が進むことを

心から祈ります。

 

また、改めて、

世の中にある様々な常識やイメージに

とらわれない生き方を選びたいと思います。

 

 

ニコニコお読みいただきありがとうございますニコニコ

ニコニコみなさまの笑顔がふえますようにニコニコ