(神社)宇美八幡宮【動画】 | とひよ記

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寺社仏閣を中心に参拝、訪問した日記です。

全国の「八幡宮」という神社の神様がお生まれになった地が、福岡にございます。
 
それがこちら「宇美八幡宮」です。

 
時は3世紀初め、九州熊襲征伐に訪れた第14代天皇:仲哀天皇は、その志半ばで福岡県香椎の地で崩御されます。
その意思を引き継ぎ、皇后であられた神功皇后が子供を宿したまま熊襲を制圧し、筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めました。
新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したそうです(三韓征伐ですね!)。

 
 
そして帰国後に、元気なお子様をご出産され、その地を「宇瀰(うみ)」と名付けました。
その地こそがここ「宇美」町であり、そのお子様こそがその後に日本文化の基礎を築いたとされる第15代天皇の應神(応神:おうじん)天皇だったのです。
 

 
 
 
應神天皇は生まれつき弓の名手であり、ご両親の血を受け継いで多くの勝負に勝ち、いつしか「八幡神」と呼ばれます。
八幡の称号は應神天皇が誕生される際、御産舎の四辺に八つの幡を立て兵士に守らせた故事が、「後世八幡大神と称するは此故なり」とも伝えられています。
 
八幡信仰は後世で源氏の氏神・戦神として全国広まり、全国の八幡宮という神社として親しまれています。
 
その八幡神こと應神天皇をお母さまである神功皇后が身ごもられて渡海されている際、お腹に「月延石」や「鎮懐石」と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたと言われます。
その後、元気な應神天皇を安産されたことに起因して、宇美八幡宮には「子安の石」という風習がございます。
 
子安の石は、お子様を身ごもった方が宇美八幡宮にあるこぶし大の丸い石を持ち帰って神棚に置き、無事にお子様を出産された際には、その石を宇美八幡宮へお返しすると共に、新たに同様の石をご自身で用意し、その新たな石に生まれたお子様の名前を書き入れて、借りた石と共に宇美八幡宮へ納めます。
その石は、また次の方へと引き継がれ同様に新たな石と共に返される。。。
それが長きに渡り続き、現在ではとても多くの石が宇美八幡宮にはご用意されています。
 
境内には神功皇后がご出産の際に産湯に使われたと言われる「産湯の水」や、樹齢二千年以上と推定される、国指定天然記念物「湯蓋の森」「衣掛の森」という二本の老大樟(くす)など御神威の「生命の息吹」を今日に伝えており、安産・育児の守護神、全国一の子安パワースポットとさ言われています。
 
本宮周辺には縁ある場所もございます。
 
本殿・拝殿から正面の鳥居を経て真っ直ぐに伸びる道の果て、歩いて10分ほどの距離に井野山という山があり、この地も縁があるとされています。

 
 
宇美八幡宮には「子安大祭」というお祭りがあり、隔年に行われる神幸の儀式の際にお神輿が井野山へ向かいます。その際に井野山で休憩する「八幡産宮」という頓宮(とんぐう :仮の宮、一時的な宮のこと)があり、訪れることが出来ます。
 
また本殿・拝殿の真裏から真っ直ぐ向かった直ぐの場所に、宇美八幡宮奥宮がございます。
こちらは應神天皇の胞衣(えな)を納めた場所とされています。
御胞衣とは、へその緒、胎盤などの事でです。

 
 
 
現在でも「へその緒」などは筥(はこ)に入れ保管するなど大切に考えられていますが、当時もとても神聖なものとされていたようです。
 
縁の地も合わせて訪れて、古の歴史を感じてみてはいかがでしょうか?
 
1750年目の聖母宮式年大祭
(聖母宮神像25年に一度のご開帳)
平成30年(2018年)5月
 
動画もご覧ください!

 

 

【宇美八幡宮】

福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1

(公式WEB)