風の電話 ;追記1&2 | 愛蘭土時事雑筆; アイルランド雑記

愛蘭土時事雑筆; アイルランド雑記

アイルランドはすでに馴染みのある国。
エメラルド・グリーンの国。妖精やレプラカーン、ダンスと音楽、詩と文学。
ここでは、上記のロマン的な面も踏まえつつ、日常生活から見聞した出来事、問題などを取り上げて、赤裸々なアイルランドを紹介していこうと思います。

ダブリン山の中で一番標高が高いと言われるトゥーロック=Two Rock (標高536メートル)で、Wind Phone= 風の電話があると聞いた。

https://www.rte.ie/news/dublin/2017/0810/896531-wind-phone-dublin-mountains/

 

電話ボックスが山の上にポツネンとあり、「人生と失ったものを思索する個人の空間」としての目的があり、誰でも中に入れて好きなだけその中にいれるとのこと。

 

「自身の思いを囁き、届いてほしい場所へと風が運んでくれる」と言霊的、詩的な思いが込められている、芸術的な趣向である。

 

 

 

 

実はこの電話ボックスは、日本からアイデアを得たようで、誰が取り付けたのかは公表されていない。

 

「風の電話」を検索すれば、すでにウィキペディアにも載っているほどで、テレビや絵本、歌まであるようで、知っている方も多いかもしれないが、自身が覚えるために敢えてここで紹介しておく。

 

が見える風景を気に入り移住した佐々木格(ささき いたる)さんが、2010に亡くなった従兄ともう一度話がしたいとの思いから、海辺の高台にある自宅の庭の隅に設置した白色の電話ボックスで、中にはどこにも電話線の繋がっていないダイヤル式の黒電話が置いてある。

2011311日の東日本大震災の際に、自宅から見える浪板海岸を襲った津波を目にした佐々木さんが、助かった被災者が亡くなって会えなくなった被災家族と想いをに乗せて伝えられるようにと敷地を整備し、祈りの像や海岸に向かうベンチを置き「メモリアルガーデン」を併設した上で開放した。」ウィキペディア『風の電話』より引用) 

 

と、ウィキさんから簡単にコピーとペイストをしただけであるが、なんとも美しい話しではないか。

 

 
 

 

 

あの東北震災から6年が過ぎたが、未だ避難用の仮設住宅に住まわれている方々がいると聞いたことがある。

 

その「悔しさ」「怒り」だけなら、吾人はほんのわずかながら理解できると僭越ながら申し上げておきたい。

 

実は吾人は2011年の夏から現在まで、モーバイルホーム=携帯住宅、キャラバンの類に住んでいる。

 

拙著『アイルランドのウサギたち』にも紹介しているが、家賃の高騰で普通の家には手が届かない現状で、娘が一人いるので、国の決まり事で住居は2部屋なければならず、一番安くつく他人と賃貸住宅をシェアする方法はボツ。

 

残された選択肢としては、職場から遠く離れた地方に物件を借りるか、地方自治体の管理する賃貸住宅スキームに登録し、空き家が出るまで2310年と待たされるかという厳しいものであったが、ラッキーにも2LDKのモーバイルホームをダブリンの隣、ウィックローに見つけることができた。

 

アイルランドでは今年になって、去年より27%増しの8千人近い人がホームレスとなり、うち3千人近い児童たちが含まれている。

 

中には仕事をしていながら、緊急住宅を余儀なくされている人もいて、その理由は言わずとも知れる「家賃が高すぎる」ことである。

 

毎年ホームレスの汚点は右上がりに増え続け、言っている内容も聞いて血圧がどんどん上がるようなものばかり。

 

それこそ政府の無能さと、財産所有者の無慈悲さ、がめつさをさらけ出している醜態であり、家を貸す側の大家=ランドロードたちの言い分もよく聞かれるが、奴らが失くすのは金だけであり、ホームレスはまともに住む場所を失くし、尊厳を傷つけられ、心身ともに不健康に至る。

 

金持ちは肥え太り貧乏庶民は痩せて野垂れ死にとは、有史時代からはじまった歴史の事象ではあるが、生活が豊かになり、動物でさえその尊厳が問われ始め、世界的に「一人の尊厳は宇宙大」が常識になりつつある21世紀に、平然とまかり通ってはならないことではないだろうか。

 

 

 

 

十中八九の人から、「モーバイルは冬は寒くない?」との質問を受ける。

 

一見当たり前のような質問ではあるが、これは結構バカ丸出しな質問だ。

 

吾人の決まりきった答えとして「冬はどこでも寒いもんだ。どの家も暖房をつけなきゃ寒いだろう?」と、これを聞いてほとんどの人は、それもそうだと納得するものだ。

 

そして吾人の癖で更に追撃の手を加え、「モーバイルの良いところは、暖房を入れてから15分でポカポカになる。普通の家なら30分から1時間はかかるでしょ。また光熱費も普通の家より安くつく」

 

「ただ大風が吹いた日には、ちょっと揺れることもあるけど、倒れはしない」

 

 

 

 

 
 

 

数年前に、シリアかどこからか難民がアイルランドに来て、政府が設置したモーバイルホームに滞在していたが、どうも水道か下水道の設置が悪かったこともあってか、遠隔地に設置されたこともあってか、難民に対してあまり良い待遇をしていないとのニュースを見たことがあり、難民の一人が「風が吹けば揺れるし、家が小さいし、店まで遠すぎる」などと不満を述べていたことを今でも覚えている。

 

その時に思ったことは、「難民の人たち可哀そうだな」ではなく、その逆で「俺の住んでいるモーバイルは1970年代の古いもので、その上に家賃や光熱費を払っているのに比べ、

難民のモーバイルは比較的新型で、家賃や光熱費もなく、かえって国から生活費が支給されているのに、あんな不満を垂れるとは何様のつもりだ。

風が吹けば揺れるのは当たり前だ。

小さくても雨風をしのげる屋根がついていれば充分だ。

命の保証を得られたにも関わらず、感謝の念など微塵も表さず不平を垂れるなら、元来た国に帰りやがれ」などと同僚にほざけば、うんともすんとも言わずただ笑っているだけで、かえってお前のような気違いが日本に帰れと思っていたのかもしれない。

 

実は以前には、吾人も上の難民たちのように不満をもらしていたこともあった。

 

しかし、明日は我が身とも思えるホームレスの現状を聞くに及んで、「俺はつくづくラッキーだった」と冷や汗をかき、我が身の現状と良心的な大家さんに巡り合えたことに感謝をすることの大切さを覚えた。

 

 

 

 

何はともあれ、今生きていること自体が幸運なことであり、幸せなことではないだろうか。

 

世の中には、考えの及ぶ範囲以上に戦争や災害、事故や病気などの不慮なことで、生きたくても生きられず、無常に命を落とされる方たちがいるものだ。

 

その方たちの無念の思いを風から受け止め、生き残っていること、または生かしてもらっていることの感謝の念を日々噛みしめつつ生き続ける。

 

病気があれば、自堕落にならずになんとか完治しようと全力を尽くし、自身のできる範囲で他者にも尽くすことを吾人は心掛けている。

 

その基盤には、命とは自分自身の命ではあるが、実は自分一人だけの専有物ではなく、実は他者にも繋がっていて、実際には共有しているものなのではないだろうかと信じていることにある。

 

 

 

 

さて、住めば都で、正直言って現在はモーバイル生活に満足している。

 

夏休みに半アウトドア的な体験をしようとモーバイルホーム・キャンプ場に滞在する人もいるが、そのことからすれば、吾人の生活などは毎日が夏休み気分になれるし、わざわざお金を貯め、予約や準備をして自然の懐に飛び込む手間が省けている。

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創意工夫をして、家の中はカーペットを敷き詰め日本座敷調にし、ペンキを塗って内装を明るくした。

 

 

家の周囲は空間が有り余っているので、岩や土を盛り上げ小山を造り、花壇や池などをこしらえ、子供が遊べるように、ぶら下がり棒にロープを垂らし、ブランコも設置したりしたし、ウサギも面倒ができる分だけ飼うことができる。

そして、9月には目の前の牧場に60頭ものアルパカが棲むと聞いている。

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「幸せ」とは生かしてもらっていること、生きていること自体であり、決してお金では買えるものではないと思う。

 

「風の電話」の話しを知って、このように思索が広がった。

 

これも多分、風からの便りだったのかもしれない。

 

 

 
 
【追記】
この記事を掲載して翌日、日曜日に早速ダブリン山のトゥーロックまで足を運び、アイルランド版「風の電話」を見学し、画像を最初の掲載時よりも増やした。
 
 

 
思った以上に登山を楽しむ人たちがいて、30分ぐらいで登れる距離だろうと思いきや、片道1時間ちょっとの道のりで下山した時にはくたびれた。
 
 

 
頂上には紀元前2000~2500年のものとされるフェアリーキャッスルがあり、頂上手前から紫紅色のヘザー=Heatherが地面を覆い尽くし、その目的物の名称も手伝って、一種メルヘン的な風景で胸が躍った。
 
 

 
 
フェアリーキャッスルから南に目を注げば、左側に何か魅了される岩の塊が見れるので、あれがトゥーロック=2つの岩であろうと直感が働き、明るく伸びる道を辿って行ってみれば、あの「風の電話」が姿を現した。
 
 

 
面白いのが、先に「風の電話」を見学していたアイルランド人が、去り際に幾人かの登山者へ向かって、「これは典型的なアイルランドの電話ボックスだ。
こんな長い距離を登ってきて電話線が繋がっていないどころか、小銭をいれる場所もない。
使い物にならない」と、聞いて思わず吹き出してしまった。
 
 

 
 
【追記②】
やはり風の便りで、憑かれたように「風の電話」を訪れたのだろうか。
一種巡礼とも言えた。
 
アイルランド在住の相互読者の方からコメントを頂き、アイルランド版「風の電話」が無残にも巡礼翌日、月曜日に破壊されたとのこと。
 
とても残念で悲しい。
 
 
 

 

 

 

 

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