東日本大震災及び福島第一原発の事故が起きてから、既に四ヶ月以上経過しました。


私の住む宮城県について言えば、おかげさまで仙台などは大分落ち着いてきましたが、まだまだ震災の傷から癒えてない地域がたくさんあります。


また、福島第一原発では、まだまだ予断を許さない状況が続いています。


我が国の政府は、四ヶ月も経つのに、仮設住宅の建設もいまだ終わらせられず、原発事故の収束に向けた道筋もしっかりとたてられずにいます。


このままでは、民主党によって、東北が滅ぼされかねません。


一日も早く、日本を愛し、日本を守りたいと思っている人達に政権を奪還して貰いたいと、願わずにはいられません。





さて、福島第一原発の事故からこのかた、原発について実に多くの方が意見を述べられております。


「原発を今すぐなくせ!」

「いや、原発は必要だ」

「再生可能な自然エネルギーを!」

「地下原発を造れ!」

「放射能で莫大な数の人が癌になる」

「健康被害はそれほど出ない」etc.



多種多様な意見を、テレビで、新聞で、ネットで、毎日目にしていると、どの意見が本当に正しい意見なのか、正直わからなくなります。


一つだけ言えるのは、いままで考え・思いを一にしてきた人達の間に埋めがたい亀裂を生じさせるほどの威力を、原発は・原発事故は、持っているのだということです。



先程、「何が正しい意見なのか正直わからない」と書きましたが、それでも「現時点での自分なりの考え・思い」というものはあります。


その考え・思いというものを、なかなかうまく表現する自信がなくて、いままでブログには書かずにいたのですが、「なう」等において他の人の主張に対し質問や批判を重ねるばかりでは、あまりに不誠実でありますので、拙いながらも「現時点における原発についての私の考え・思い」を述べたいと思います。





我が国において原子力関連の予算が初めてついたのは、西暦1954年のことです。1954年といえば、戦争の傷跡・記憶がいまだ色濃く残っていたことでしょう。

ほんの少し前まで、GHQによって占領されていた時代でもあります。


思えば、我が国が大東亜戦争を戦うに至ったのも、また、敗戦の憂き目を見る羽目に陥ったのも、つまるところは、資源を持たないことに起因します。


我々の祖父・曽祖父たちは、まさに「刀折れ、矢尽きるまで」、勇敢に戦い、最後は「力尽き」、敗れてしまいました。しかし、「刀」や「矢」を充分に補充して貰っていれば、「力尽きる」ことも、敗れることも、なかったかもしれません。


戦争に負けさえしなければ、資源さえあれば、アメリカに国土を蹂躙されずに済みました。天皇陛下を人質にとられアメリカ人の作った憲法を押し付けられることもありませんでした。多くの大和撫子の純潔がヤンキーどもに汚されることもありませんでした。祖国の「歴史を奪われる」こともありませんでした。



当然、「もう戦争は、戦争に負けるのは、こりごりだ」と、当時の人達は強く思ったことでしょう。


我が国における原発推進の先駆者とでもいうべき人物と言えば、中曽根元総理が思い浮かびますが、私は、中曽根さんもこうした「思い」から、「国益」のために原発を推進したのだと、強く信じています。




また、1970年代になると、今度は我が国を二度にわたってオイルショックが襲います。

これにより、我が国の立場は明確に、原発推進となりました。


これはもう、致し方のないことだと思います。エネルギーの安定供給がなされなければ、再びあの悪夢を味わわねばならなくなるのですから・・・



そういうわけで、私は、我が国が原発を推進してきたという過去に対して、とやかく言

うつもりはありません。




しかし、「これからも原発を推進すべきか」と問われれば、答えはNOです。





周知の通り、今回の原発事故によって多くの福島県民が避難を強いられています。


今後いつ我が家へ帰れるのか、全くわからない状況が続いています。


将来を悲観し自ら命を絶つ人もいます。

多くの人は「念のための避難」と言われ、着の身着のままで故郷を追われました。


すぐに帰れると思い、家の中に飼い猫、飼い犬をおいてきてしまった人も数え切れないほどいることでしょう。


地震で倒壊した家屋が、四ヶ月経った今もそのまま残り、津波で行方不明になった家族の捜索も満足にしてもらえないのです。




ときたまテレビなどに映し出される「警戒区域」のなかは今も、三月十一日のままのように見えます。

でも、実際には四ヶ月以上経っていて、その証拠に(これは警戒区域の動物を救助してくださっている方々のブログ等で知ったことですが)、無人の民家の中をのぞけば、鎖につながれ、飼い主の帰りを最後まで待ち続けた犬の亡骸を、何度も目にしなければなりません。。


部屋の中に閉じ込められた猫は、飢えに耐えられず共食いをはじめ、残った一匹もついには飢え死にしてしまう、そんな悲しい光景にも出くわすそうです。


鎖から解き放たれ何とか自分たちの力で生き続けている野生化した犬たちも、夜になるとかつての我が家に帰っていくそうです。「もしかしたらご主人様が帰ってきているかもしれない」そんな期待を胸に帰るのでしょうか?わたしは、彼らの境遇やけなげさに、涙があふれ出るのを禁じ得ません。




どうしてこのような辛く悲しいことが起きてしまったのでしょうか。


東京電力の怠慢が原因なのでしょうか?


菅総理による人災だと言う人もいます。


想定外の巨大地震だからしかたないですか?


これらは確かにその通りなのかもしれません。



では、再び事故を起こさないために、悲劇を繰り返さないために、これらの原因を完璧に取り除くことは可能でしょうか?


いいえ、それは、「不可能」です。


電力会社に勤める人も、総理大臣も、人間です。気の緩みや判断ミスはすべての人に起こりうることです。


どれだけ厳しく電力会社を管理・監督したとしても、菅直人を総理の座から引き摺り下ろしたとしても、それは変わらないと思います。


また、どんなに大きな地震を想定したとしても、それ以上のものが襲ってこないと誰

が言えるのでしょうか?それに、天災は地震だけとはかぎりません。




原発事故と、それに伴い起きてしまったあまりに惨く悲しい現実。


これらが今後一切100%起きないと証明されない限り、わたしは、原発の推進には賛成することができません。


我らの同胞をここまで苦しめた原発を、許すことはできないのです。







とは言え、残念ながら、今すぐ全ての原発を止めるなど、やはり無理なことでしょう。


我が国の電力の30%を賄っている発電施設を急に全て.失くしてしまったら、日本中が大混乱に陥るのは間違いありません。


「原発がなくても電力不足にはならない」と言う人もいます。

確かに、他の発電施設をフル稼働すれば何とか現在の電力需要に応えることは可能なのかもしれません。

しかし、余裕のない状態で火力発電所などを動かし続ければ、あっという間にガタがきてしまうのではないでしょうか?

それにより大惨事が引き起こされないともかぎりません。それでは本末転倒というものです。


私は、福島の人たちを苦しめ続けることも、福島の人たちが経験した苦しみを他の原発立地県の人たちに味わわせてしまうことも、そして日本経済に大打撃を与えることも、「国益」に反する行為だと、考えます。


ではいったいどうすれば良いのか?



私は、今存在する原発に関しては、寿命が来るまで使い続けることを、許容せざるを得ないと考えます。別の言い方をすれば、「原発の漸次廃止」です。

もちろん、今まで通りというわけにはいきません。

原子力発電所が民間の電力会社の手に負える代物ではないということは、今回の事故で誰の目にも明らかになりました。


従って、「原発の国有化」は、原子力発電を続ける上での必要最低条件だと、私は考えます。

さらに付け加えると、国有化した上で、安全性のチェックは外国に委ねるべきだと考えます。実際、ヨーロッパの原発はそうしているそうです。*もちろん、外国と言っても中国や韓国などの反日国家は除外します。

・・・ここまでやっても、事故は起きてしまうかもしれません。そうなってしまったとき、その責任は全ての日本国民が負わねばなりません。我が国に原発を造ってきたのは、我々日本国民なのですから。




ところで、「原発の寿命」と言っても、何時が「寿命」なのかは、なかなか判断しづらいところでしょうが、概ねあと二、三十年と私は考えています(世界平均で言うと原発の寿命は二十一年なのだそうですが、我が国の基準では六十年まで大丈夫とのことです)。 


これは、二、三十年の間に代替エネルギーを確立しなければならないということをも意味します。



二、三十年で代替エネルギーを確立することは、可能なのでしょうか?そもそも、原子力に代わるエネルギーなどあるのでしょうか?


巷では、太陽光発電や風力発電、地熱発電などがもてはやされています。

私もこれらの発電方法には大いに期待を寄せています。


「太陽光や風力は我が国の地形や気候にあわない」という意見も当然あろうかと思いますが、地震多発国には到底向いてないと思われる原子力発電所を、54基も造り上げた日本の科学力・技術力をもってすれば、これらの「実用化」はそれほど難しくないのではないでしょうか?


自然エネルギーの発電量が全体のわずか数%に過ぎないのは確かですが、1兆円使っていまだに1kwの発電にも寄与できていない高速増殖炉よりは幾分マシかと思われます。


ただ、そうは言っても、「再生可能な自然エネルギー」だけでは、多くの方が抱く電力不足に対する不安は解消されないと思います。先日ついに北朝鮮の手先である証拠が白日の下に曝された菅総理が、好んでこの言葉を使っていれば、なおさらです。




これらの他に私が考える原子力に代わるエネルギーは、別段目新しいものではありません。それは、いままでも発電のために沢山利用されてきています。即ち、天然ガスです。

天然ガスの埋蔵量は大体60年分ほどあると言われていますし、新たなガス田の発見にも期待が寄せられています。因みに、ウランの埋蔵量は約80年分ほどだそうです。*どちらも、掘ったとき経済的に「割に合う」埋蔵量だそうです。


天然ガスの最大の産出国はロシアです。また、中東も莫大な埋蔵量を誇っています。

これだけだと「エネルギーの勢力図」が石油とさほど変わらないので、なにかあったときの不安は解消されないでしょう。


天然ガスと石油との違い、それは天然ガスが我が国の領土領海内に大量に眠っているということです。

日本近海の東部南海トラフだけで、日本の天然ガス年間消費量の13,5年分に相当するメタンハイトレートが埋蔵されているそうです。


確かに、これを実際に利用しようとしたとき、問題は山積みのようです。

しかし、自前のエネルギーを確保するためならば、多少の困難は乗り越えていくべきだと思います。


石油や天然ガス、石炭の埋蔵量ををあわせれば、ウランの何倍にもなるそうですから(エネルギーに換算した場合)、これらを大いに活用すべきだと私は考えます。

二酸化炭素で故郷を追われた人はいまだかつて一人もいません。


太陽光にしろ天然ガス油田からの採掘にせよ、コストがかかりすぎるという意見も当然出てくるでしょう。

確かにそうかもしれませんが、賠償金などを原発にかかるコストとして考えたとき、どちらが高コストなのかは一目瞭然だと思います。

経済評論家の三橋貴明さんも、その点は認めていらっしゃいます。


ただし、三橋さんは「核の保有」即ち「安全保障」の観点から、原発は続けるべきだとおっしゃっています。


私も「核の保有」には賛成であります。覇権国家・反日国家に核を使わせないために、報復用の核は絶対に必要だと思います。


しかし、我が国にはすでに長崎型原爆4000~5000発分のプルトニウムが存在します。報復用の核としては十分すぎる量です。原発を造る金があったら、その金で弾道ミサイル原子力潜水艦を建造すべきです。




長々と書いてしまいましたが、私の言いたいことは結局、以下のようになります。


「新しく原発を造るなどもってのほかだが、今ある原発を国有化した上で寿命まで利用するのはやむなし。原発でつないでいる間にとっとと太陽光発電の効率を上げるなり、天然ガス田からの採掘を軌道に乗せるなりするべきだし、日本ならそれができる」




・・・そのうち、放射線の被曝による健康への影響や、反・脱原発派の人たちについての考えも書きたいと思います。