スーツの人を見送ると高槻さんは腕をだらりと下げた。昌子さんもドアを睨むように見つめてる。
「まったく。いや、これほどとは思ってなかった。こりゃ困ったな。真剣に困った」
「そんなに酷いの?」
「うん、酷い」
「だけど、言うことは言ったんでしょ?」
「まあね。――ま、母さんが戻ったら話し合う必要があるな。今までみたいにはやってけない。値上げするか、他の業者を探すかして原価を下げるしかないよ」
「でも、順子ちゃんは嫌がるでしょうね、そういうの」
「だろうね。それもわかってる。とはいっても、このままじゃ無理だ」
「まあ、とにかくご飯食べちゃいなさい。かわいい教え子ちゃんが食べきれないってあんたのこと待ってたのよ。それ食べてあげちゃいなさい」
「は? っていうか、どんだけ盛ったの? こんなに食べられるわけないだろ。落合さん、大丈夫?」
「はい、大丈夫ですけど、もう」
「だよね。これじゃ相撲部のランチだ」
お皿を引き寄せ、高槻さんはスプーンを取った。昌子さんは目を細めてる。そのままで顔を向けてきた。
「うん、やっぱり美味いね。こりゃ美味い」
「美味しくてあたりまえよ。あんたのお祖母ちゃんがつくって、それを順子ちゃんや義行さんが引き継いできたんだもの。それを今度はあんたが受け継がなきゃならないのよ。わかってる?」
「わかってるよ。肝に銘じてる」
「ならいいでしょう。じゃ、私は順子ちゃんとこに行ってくるわ。雨になりそうだから、その前に着けるようにしないとね。ほら、美味しいもの食べてるんだから、そんな顔しないの。いい? ここはほんとにいいお店なのよ。昔っからの常連さんだって来てくれてるでしょ。あんたはここを盛り立てていかなきゃならないんだからね」
「わかったって。なんとか頑張るよ」
「そう。ま、だったら、あんたも早いとこ結婚して、子供つくって、このお店をずっと残せるようにしなさい。もし、そのお相手がまだまだ若すぎるようだったら、そこの部分はゆっくり考えてもいいけど。ね、結月ちゃん、そうでしょ?」
唇をすぼめて私はうつむいた。その背中を叩いて、昌子さんは出ていった。
「面白いおばさんだろ? うちの母親にとっちゃ姉さんみたいな人なんだ」
「はい、いろいろ聴かせてもらいました」
「どんな話してたの?」
「子供がいないから、高槻さんを本当の子供みたいに思ってるって言ってました」
「ふうん、そうか。でも、いたんだよ、昌子さんにも。二歳くらいのときに事故で亡くなっちゃったみたいだけどね」
「そうなんですか?」
「まあ、そんな感じのことを聞いたことがある。細かく聴けるような話じゃないから詳しくは知らないけどね」
「そんなふうには見えなかったです」
「だろうね。でも、それはそう見せないようにしてるだけだ。だいたいの人はなにか抱えてる。問題のない人間なんていないんだ」
高槻さんは立ち上がった。くぐもった音が聞こえてる。足早に歩く人影も見えた。
「ああ、ほんとに降り出しそうだな。まさに急激な変化ってやつだ。こういうのを小説であらわすのは難しいんだよ。下手に書くと読み手がついていけないんだ。だから、だいたいのものには変化の兆しに思える描写が散りばめられてる。ただ、それが多いと今度は急激さが失われてしまう。予定調和に思えちゃうんだな。変化の兆しというのは人物に内包されてないといけない。その上で見えるか見えないかのすれすれに描写を止めるんだ。この人間にはなにかある。だけど、それがよくわからないって具合にね」
「また小説の話ですか?」
「いや、それだけじゃない。これは僕についても言ってるんだ」
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