涙を拭い、ミカは立ち上がった。幾つかのハーブを選び、ティポットに入れていく。ローズペタル、レモンバーム、カモミール、それからすこし考え、パッションフラワーを。フラワーエッセンスからは彼女たちの世界で言うところのレスキューレメディーを用意した。それから、バーナーのスイッチを切り、蝋燭式のものに水を張った。そして、フランキンセンスと(よっぽどのことがない限り使わない)ローズオットーを垂らした。揺らめく炎は普段お客様に「幻想的ですよ」と言ってるのに、このときばかりはいやに現実的に思えた。それを見つめながらハーブティを注ぎ、レスキューレメディーを加えた。そして、一つを姉の前に、もう一つを自分の前に置いた。
「飲んで。今のお姉ちゃんに必要なものよ。それに、たぶんこれまでのお姉ちゃんにもね。ほら、飲むの。――ね、お姉ちゃん、もう一度やり直してみなよ。ちゃんと謝って、今度のことは気の迷いだったって言ってあげて、もう一度おつきあいしてみなさいよ。私はあの人のこと嫌いじゃないわよ。ああいう人なら義兄さんになってもいいわ」
「でも、」
「でも、じゃない。いつまでそんなこと言ってるつもり? ほら、飲みなさいよ。まだ沢山あるんだからね」
「だって、私あんなこと言っちゃったし。藤田さん、もう好きだなんて思ってくれないかもしれないわ」
「あのね、お姉ちゃん、さっきも言ったでしょ? あの人はお姉ちゃんのこと愛してるの。そう言ってたし、言わなくてもわかるくらいだったのよ。それにね、私、思うんだけど、こういうのってよくあることよ」
そう、こういうのってよくあること。ほんの一瞬、自分を振りやがった馬鹿男が浮かんだけど、ミカは心の内で睨みつけてやった。ユキは首を傾げてる。ハーブティのおかげか表情もいつもの少しぼうっとしたものに戻りつつあった。――繋がってるものね。どんなに馬鹿げたことでも、こうやってなにかに繋がってる。嫌な忘れたいことだって必要になることもある。繋がっているんだ。私のこの人にたいする思いも、この人の私にたいする思いも繋がって、影響をあたえあいながら存在してる。
「私は嫌なことがあったり、失敗しちゃったときにはこう思うようにしてんの。ま、それも嫌な奴から実地で教わったようなもんだけどね。それは、こういうのってよくあること。そして、よくあることは忘れられることでもある――っていうのよ。お姉ちゃんにとっても、キチノスケ様にとっても、こんなのは結婚前にはよくあることだわ。忘れられることだし、憶えていたくてもどうせ忘れちゃうようなことよ」
ユキはカップを抱えてる。――もう、変な顔して。せっかくの美人が台無しになってるじゃない。ほんと、この人は駄目なんだから。
「私ね、お姉ちゃんのことがよくわかってなかったみたい。お姉ちゃんって男友達が沢山いたじゃない。そういう人たちにちやほやされてたのに、キチノスケ様みたいな人があらわれたら全部すぱっと切り捨ててとか思ってたの。だけど、あの人を見てて、そういうことなのかってわかった気がする。生まれとか、育ちとか、お金を持ってるとかじゃなく、キチノスケ様って本当にいい人だもんね。それに、お姉ちゃんも真面目に好きになれてきたんだろうなって思ったの。ま、じゃあどうしてお断りなんてしたのよって思ったわよ。だけど、それも今わかった。大丈夫よ、お姉ちゃん。あの人なら、きっと、ううん、絶対にお姉ちゃんを一人ぼっちになんてしないわ。私にはわかるの。これでもいろんな人を見てきたからね。これは接客のプロである私の勘よ。外れることのない予言でもあるわ。――というわけで、お姉ちゃん、こういうときによく言うの聞かせてみて」
「え? なぁに? 私、なんて言ってるの?」
「私もそう思ってた。ほら、言ってみて」
カップに残っていたのを飲み干すとユキは一度目をつむり、口許だけで笑ってみせた。
「うん。私もそう思ってたわ、ミカちゃん」
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