「じゃ、シャワー浴びてきちゃって。私は先に使わしてもらったから」

 

 

 この台詞も毎日聴いたものだ。僕たちは初めて顔を合わせた日(合コンで知り合った)に寝てから一度もセックスをしてなかった。それどころか裸を見たことすらないのだ。彼女は「恥ずかしいから」などと言って着替えるところも見せなかったし、ベッドで求めても「ちょっと今日は駄目なの。ごめんなさい」と言ってきた。それだって毎晩同じ台詞だった。

 

 

 

 あとから思えばだいぶおかしなところがあったのだ。それでも僕は「明日こそ」と言い聞かせて眠りにつき、足早に帰ってはカレーかハンバーグを食べた。そういうのを毎日繰り返していたのだ。それは、「私って子供の頃から結婚願望が強かったの」という言葉を信じたからだ。僕だって(子供の頃からではないにせよ)結婚したく思っていた。三十七歳にもなればそうなって当然だ。

 

 

 

 きっとそういう願いが目を曇らせていたのだろう。まるで天使――などと思いながら彼女を見つめていた。十歳くらい年の離れた子と結婚できる可能性はちょっとした違和感なんて吹き飛ばしてしまったわけだ。だって、僕たちは一緒に暮らしていたのだ。結婚は確定したも同然だった。そうならない理由が見当たらないくらいだ。

 

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 

 街灯が消えた幾日か前(忘れもしない、それは七月十日――呪われた日だ)、僕は暗い窓を見て眉をひそめた。それから、おそるおそるチャイムを鳴らした。ただ、内側からドアがひらくことはなかった。

 

 

 

 街灯は消えたままだった。

 

 

 首を振り、僕はカップラーメンを買いにコンビニへ向かった。ただ、その途中でまた別の街灯を見あげた。思い出したことがあったのだ。あの女と出会った幾日か前にもこいつが消えたっけな――とだ。いったいどういうことだろう? 身体からなにかが放出されてたりするのだろうか?

 

 

 電磁波的なものかもしれない。そう考え、肩をすくめた。そっち方面のことなんてなにひとつ知らないのだ。人間から電磁波が放出するかなんて知らないし、それで電球が切れるかだってわからない。

 

 

 雨は強くなってきた。階段をあがり、僕は部屋へ入った。その瞬間に溜息が洩れた。七月十日、あの呪われた日に見たのとほぼ同じ状態だったのだ。服はあちこちに散らばってるし、小物の類いも転がっている。鷺沢萌子と名乗っていた女はあらゆる物を持ち出し、消えていた。炊飯器や電子レンジまでなくなっていたのだ(だから、僕はカップラーメンを食べるしかなかったわけだ)。もちろん通帳や印鑑、キャッシュカードなんかも盗まれていた。

 

 

 あの女は九日間かけて暗証番号を割り出したに違いない。初めからそういうつもりで近づいてきたプロなのだ。そして、プロらしく証拠になるものはほとんど残してなかった。警察に通報はしなかったものの、きっと毛筋一本、指紋一つも残していないはずだ。

 

 

 しかし、唯一残していったものがあった。それは二人でカレーあるいはハンバーグを食べていたダイニングテーブルに置いてあった。一枚の紙切れであり、それも僕のノートから引き千切られたものだ。それを手にしたとき、自然と涙が溢れ出た。

 

 

 そこには『バーカ!!』と書いてあった。

 

 

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《雑司ヶ谷に住む猫たちの写真集》

 

 

雑司ヶ谷近辺に住む(あるいは
住んでいた)猫たちの写真集です。

 

ただ、
写真だけ並べても面白くないかなと考え
何匹かの猫にはしゃべってもらってもいます。

 

なにも考えずにさらさらと見ていけるので
暇つぶしにどうぞ。