規制線の向こうは静かだった。人の出入りは多いものの、みな黙々と作業してる。二人は同じ場所でずっと前を見つめていた。
「ね、」
「ん?」
「大人になったらって言ってたけど、あの子はそうなれなかったのよ。逃げ出すこともできずに死んじゃったの」
「ああ」
「そんなことってある? あの子は言ってた。お腹が痛くなったとき、ペロ吉としゃべれるおじさんが助けてくれたって」
彼は顎を硬くした。息は浅くなっている。
「なにができたかわからないけど、なにかはできたはずよ。でも、私たちはなにもできなかった」
「そうだな。なにもしてあげられなかった」
階段は朝日に照らされていた。鑑識の人間なのだろう、しゃがみ込んだ男が白い粉を吹きかけている。
「あっ、」
「どうした?」
視線をたどると人混みの中に蛭子嘉江がいる。ゆかりは首を伸ばしていた。
「蛭子の奥さん方ね。――って、大奥さん、顔色すごく悪くない?」
「具合が悪いってのは嘘じゃなかったんだな」
ゆかりは二人がいることに気づいてるようだった。しかし、顔は向けてこない。
「行こう。山もっちゃんはまだ出られないんだろう」
「うん」
彼らはまだ手を繋ぎ合っていた。その方が落ち着くとわかっていたのだ。ただ、生け垣の途中でカンナは走りだした。
「どうした?」
「これ見て」
枝にはピンクの首輪がぶら下がっている。それを取り、カンナは歪んだ顔を向けてきた。
「切れちゃってる。どうして?」
「これは、」
彼は目を細めた。確かに千切れてる。強い力で引っ張られたようにだ。
「――ん、そうか。なんで気づかなかったんだろう。あの子は自分で落ちたんじゃない。突き落とされたんだ」
「どういうこと?」
「ペロ吉だよ」
「ペロ吉? ペロ吉がどうしたっていうの?」
「考えてみろ。自分で落ちたんなら、ペロ吉はずっと横についてるはずだ。鳴いて、助けを呼んだだろう。でも、そうじゃなかった。ペロ吉もいないんだ。ということは――」
瞳は大きく広がっていった。それを見て、彼は首を振った。
「いや、そうじゃない。無事なはずだ。それはこの切れた首輪が示してる。あの子は誰かに殺されたんだ。ペロ吉はそいつに挑んだんだろう。助けようとしたんだよ。そこで首輪をつかまれ、投げ飛ばされたんだ」
「それで、切れたってこと? でも、ペロ吉はどこにいるの?」
頭上にヘリコプターがあらわれた。バタバタと音がしてる。二人は顔をあげ、目を細めた。
「それはわからない。でも、もしかしたらうちに来てるかもな。そうだったらいいんだけど」
「そうね。戻ってみましょう」
二人は音大の方へ出た。ヘリコプターは低いところを飛んでいる。ゆるい坂の途中で彼はこう言ってきた。
「カンナ、縫い物はできるか?」
「ヌイモノ? ああ、お裁縫のこと? まあ、それなりにできるけど」
「じゃ、そいつを縫い合わせてくれ。ペロ吉に返してやらなきゃならないからな」
口をかたく閉じ、カンナはうなずいた。そのとき、涙がこぼれ落ちた。
―― ちょっとばかりお休みして、
第19章へ行きますね。
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