なにも知らないカンナは颯爽とマンションを出た。ここのところ変なお客さんが増えたし、ついこの間はヤクザまがいのオッサンまでやって来た。それだけじゃなく、イヤらしい電話やメールもくる。そういうストレスが購買意欲に変化したのだろう、休みの昨日は朝からイケセイに行き、馬鹿なんじゃないかと思うくらい散財してきた。
「ま、とはいっても、自分で稼いだお金だしね」
朝日に輝くバッグを見ながらカンナは微笑んだ。目白通りには学生が闊歩してる。――うん、負けてない。下手すりゃ私の方が若く見えるかも。あっ、そういえば、あそこの生徒に間違われたこともあったっけ。
そこまで考えて、カンナは立ちどまった。そう、あれは二枚目のビラを見つけた日だった。自転車に乗ったおばさまに「あなた、ここの学生さん?」って訊かれたんだ。ムカムカしてたからすぐ忘れちゃったけど、そういうこともあったな。ま、悪いとしか思えないことにも良い部分はあるってことよね。
美容室の角を曲がると、カンナはふたたび颯爽と歩き出した。あのジジイはほんとムカつくし、嫌なことも多いけど、悪いことばかりがつづくわけじゃない。――ん? なんか、そういう言葉あったな。なんだっけ? 禍福はなんとか縄の如し、よね。ええと、エマニュエルみたいな言葉だったはず。禍福はエマニュエル縄の如し、っぽい感じよ。うーん、なんだっけ?
都電の踏切につかまってるときもカンナは考えつづけていた。「かざまてる」とか? 禍福はかざまてる縄の如し。いやいや、それじゃ人の名前っぽい。「風間テル」だ。――って、誰よ、それ。
相棒が逮捕されたというのに馬鹿げたことを考えてるものだけど、素のときの思考はこのように動くものでもある。それに、カンナはまったくなにも知らなかったのだ。しかし、欅並木に入った瞬間に思わぬ方法によって異変を感じることになった。
「ニャア!」
聞いたことがないほどの叫びが轟いたかと思うと、あらゆるところから猫があらわれた。ペロ吉、ゴンザレス、クロにオチョ。――あれ? この子はどうしちゃったの? 顔が傷だらけ。目を細めてる間にも猫は増えていく。オルフェ、ベンジャミン、――えっと、この子も知ってるけど名前が出てこない。いや、っていうか、どんだけ出てくるの?
猫たちは鳴きもせず迫ってくる。気がつくとカンナは二十匹以上の猫に囲まれていた。
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