半年ぶりに会った千春は相変わらずシックで、非常にきちんとした女性にみえた。実際にも彼女はきちんとした女性であって、大きな出版社の経理部で課長補佐をしている。しっかり者の彼女にはぴったりの仕事であり、地位だった。そして、蓮實淳はしっかりした(あるいは、そうみえる)女性に弱かった。彼の依頼心はそういうタイプに刺激されるのだ。
「仕事は見つかったの?」というのが千春の第一声だった。
「いや、」とこたえ、彼はこうつけ足した。
「今は勉強中なんだ」
「勉強? あら、めずらしい。なにか資格でも取るの?」
「ん、まあ、資格じゃないけど、勉強はしてんだよ」
曖昧な笑顔で彼はこたえた。見栄を張ったのではない。猫社会についての勉強はしてるのだ。
「で、相談ってなんだ?」
千春は顎を引き、唇をすぼめてる。まさか「私、結婚するの」とか言うんじゃないよな? だけど、そんなのは相談といわない。報告というのだ。彼女はテーブルに身体を寄せた。なにか言いだしそうになり、しかし、弱々しく首を振った。
「なんだよ、相談があるって言ったのはそっちだろ?」
「そうだけど、あなたにこんなこと言うのはやっぱり変かなって思って」
「は? そう言われると気になるな。なんだよ、言えって」
背中を押しつけ、千春はうつむいた。そのまま目だけあげている。彼は空いた隙間を埋めるように前屈みになった。
「やっぱり仕事が見つかってからの方がいいかも。ごめんなさい。呼び出しといて」
「さらに気になるな。ほら、勿体ぶらないで言えって」
「でも、」
そのとき、信じられないことが起こった。千春の顔が大きく映りこんできたのだ。瞳、耳、鼻と順に拡大されていき、じきに内面までもが見えるようになった。いや、それは奔流のように襲ってきた。最近のこと、すこし前のこと(自分と別れたときの絵も見えた)、学生時代、幼少期。見たくないもの――たとえば初めてつきあった男の姿までもが受け渡された(なんだ? こいつは。むちゃくちゃブサイクじゃないか)。
そして、すべての映像が尽きると暗くなった。それは経験したことのない闇だった。彼はテーブルをつかんでいた。そうしないと身体が落ちこんでいく気がしたのだ。しかし、そのうちに光の点が見えはじめ、それに弱く照らされる影も目にできた。男の影。茫漠としてるけど、若い男なのはわかる。耐えられないくらい近くにいるのに、誰かもわからない男。
ああ、と蓮實淳は思った。しつこく言い寄る男。千春はそいつをなんとも思ってない。いや、誰かすらわかってないのだろう。手紙はそのまま捨ててるし、家の電話には出ないようにしてる。――ん? それになにか探してるな。非常に小さいものだ。電話の近く、ベッドのまわり。でも、見つからない。
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