「私、君が好きなのよ。君が私を同じように好きでいてくれたらいいのにって思ってたのよ」
肩をつかみ、静香は前後に揺らしてきた。
「でも、そうじゃないでしょ? 君の中には私以外の人がいるの。前にも言ったけど、私、そういうのわかるのよ。君はいつだって違うとこを見てるんだわ。今いる場所と違うとこを見てるの。私と寝てるときだってそうよ」
「違うよ」
「違わなくないわよ。君が私を好きだったことなんてなかった。そんなの、はじめからわかってた」
静香は立ちあがり、見おろしてきた。その顔には不思議な表情が浮かんでいた。腹をたててるのは確かだった。しかし、どこかに憐憫のようなものも感じられた。
「君が私を好きだったことなんて一瞬たりともなかった。ねえ、私を便利な女だと思ってるんでしょ? いつでもやらせてくれる女、ほんとうに好きな人を忘れるための女だって」
静香は脱ぎ散らした服を投げてきた。Tシャツやジーンズは肩や腹にあたり、でも、柔らかく落ちていった。投げるものがなくなると静香は顔を覆い泣きはじめた。一糸まとわぬ姿で声をあげて泣いた。僕は手を伸ばした。しかし、そのまま降ろしてしまった。
「いろんな人が私を傷つけてきたわ。とくに理由もなくよ。顔が気にくわないとか、胸が大きすぎるって言ってね。そんなのどうすることもできないのに。なんとか気に入られようともしたのよ。いつも曖昧な笑顔つくって、興味もないアイドルを好きな振りして。それでもみんなが傷つけてきた。もう、傷つけられるのは嫌なのよ。愛されたいの。君がそれをくれたらいいのにって思ってたのよ。ずっとそう思ってた。だけど、違ったの。違うってわかってたの! そう、私は知ってたの! それでも、いつかは愛されるようになれるって思ってた。君が愛してくれるんじゃないかって、そう思ってたのよ!」
壁がドンドンと叩かれた。静香は手をはずし、その壁を見つめた。涙は流れていたけど、瞳には現状を理解する光があった。どんなに気持ちを昂ぶらせても現実からは逃れようがない。それはいかなるときでも人を冷静にしてしまうものなのだ。枕元からティッシュペーパーを取り、静香は鼻をかんだ。そして、一瞬だけ顔を向けてきた。
「ちょっと言い過ぎたわ。あのね、私だって君のこと便利に使ってたのよ。だって、君とセックスするの大好きだったんだもの。でもね、私たちはこうしてちゃいけないのよ。君のためにもよくないわ」
首を激しく振り、僕は口を開きかけた。しかし、静香は遮った。
「ね、お願いだから、裸のまま追い出すようなことする前に帰って。言いたいことがあるなら後で聞くから。でも、今日はもう無理なのよ。私、張りつめてたのが切れちゃったみたい」
僕は目をつむり、それからゆっくり開けてみた。その少しの時間でなにかが変わり、この状態から抜け出せるとでも考えていたのかもしれない。静香はずっと壁を見ていた。僕には伝えなければならないことがあるはずだった。父さんが言っていたように、ほんとうのところを伝えなければならないのだ。だけど、そうできなかった。ベッドから離れると、静香は顔を向けてきた。そして、聞きとれないくらいの声でこう言った。
「ね、君の好きな人って、いったい誰なの?」
僕はしばらく突っ立ったままでいた。出てくるべき言葉はどこにも存在していなかった。
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