「ま、高校生にもなればそうなって当然だ。お前たちくらいの年だと、ずっとそういうの考えてるだろ? 恋愛だ、セックスだってな。そりゃ、当然だよ。俺だってそうだったし、誰だってそうだ」
美味そうに煙草を喫いながら、市川さんは笑った。それから身を乗り出すようにして小声でつけ足した。
「でもな、そういうときは罠にかかりやすいんだ」
「罠ってなんだよ」
「罠は罠さ。いろんな罠がある。女が好きな人間には女の罠が、金が好きな人間には金の罠がってふうにね。好きな子ができたときにも罠があるかもしれない。気をつけてないと引っかかるってわけだ」
「彼女はそんなんじゃないよ」
市川さんはまた笑った。窓の外まで響くような声だった。
「ほら、やっぱりあのボインちゃんはお前のアレじゃないか。でなきゃ、そんなにムキにならないだろ?」
僕は天井を見あげながら溜息をついた。
「いいか? 罠ってのは相手が拵えてる場合もあるけど、自分でつくったもんだってあるんだぞ。どっちかっていうと、お前はそっちに気をつけた方がいいのかもしれないな。お前はちょっと思い詰める性格だろ? 簡単に考えることができないたちだ。違うか? そういう人間は自分で拵えた罠に引っかかりやすいんだ。ここの生徒にはあまりいないタイプだよ。たいていの生徒はあまり考えもしないで大人たちのつくった罠に引っかかってる。とくにここの女子どもはそうだ」
僕は目を細めた。途中から意味がわからなくなったのだ。
「どういうこと?」
市川さんは視線を至るところへ走らせていた。僕もその向けられた方を見ていった。でも、そこにはカンバスや筆があるだけだった。眼鏡を外すと市川さんは顔を擦った。
「ま、気をつけた方がいいってことさ。気をつけるにこしたことはない」
僕は立ちあがった。市川さんは眼鏡をかけなおし、じっと見つめてきた。それから、口の端をあげた。
「それにしてもでかい胸だったな。ありゃ、相当のもんだ」
僕はなにも言わず、美術準備室を出た。
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