二人きりになると、真昼ちゃんはこのように言ってきた。

 

「なんか、あのときの男に似てる気がしちゃうのよね。あのニヤけ顔」

 

 あのときの男というのは、失踪したときの相手――小室恵介のことだ。確かにニヤついた顔は似てなくもなかった。

 

「私にはちょっと無理だわ。いったいなにが面白くてあんなに笑ってるのかって思っちゃうもの。ほんと、美紗子はどうしてああいう男に引っかかっちゃうのかしら」

 

 それは自分も一緒だろ――と僕は思っていた。もちろん口に出しはしなかったけど、父さんがいたら言っていたと思う。井田隆徳だっていつもなにがそんなに面白いんだという顔つきをしてるのだ。

 

「ま、とにかく、あのニヤけ顔が書いたのを読んでやるわ。それがすこしでもつまらないものだったら、この話は無しってわけよ。なに、あの顔じゃ、たいしたのは書けないでしょうけど」

 

「もし、すごくいいのを書いてたら、ここに住むってこと?」

 

「すごくいいものだったらね。でも、美紗子には悪いけど、その可能性は無いか少ないわ。この勝負は私の勝ちよ」

 

 しかし、結論からいうと、彼の書いたものは真昼ちゃんのお眼鏡にかなった。

 

 非常に消極的にいっても「これは素晴らしいと言わざるをえないわ」という出来だったのだ。先程の言い様によれば、母さんの勝ちということになる。

 

 

 真昼ちゃんは日頃から芸術家の作品とその人間性については完全に分割して考えるべきと言っていた。

 

 どんなに真面目にさくとうしても「あのオカマのつくった器」と断ぜられることに失望していたし、僕たちにはわからないよう振るまっていたけど、自分の芸術と来歴がごっちゃになった状態を絶望に近い気持ちでなげいてもいたから、そう考えるのも無理はなかったのだろう。

 

 たとえどのような人間がつくったにせよ作品の存在意義のみを考えるべき――というのが真昼ちゃんの芸術にたいする変わらぬ姿勢だった。

 

 これは僕が市川さんの絵から人間性を類推したのと真逆の見方だ。

 

 僕としてはつくったものが優れていようと気に入らない人間は気に入らないのだけど、表現者として常に厳しい審判に立たされてきた真昼ちゃんにとっては、その作品が「本物」であるというのは何物にも代えがたい判断材料だった。

 

 まして、(それも忘れていたとは思うけど)若い芸術家のしゃをもって任じている立場からすれば、彼の書いたものはかんできないものだった。

 

 

「たとえどんなに嫌いな人間であっても、優れた作品をつくれる人間はここの一員になる資格を持ってるわ。それに、私はあのニヤけ顔をそれほど嫌ってるわけでもないのよ。ただ、顔つきと態度が気にいらないだけ。ま、それだけでも嫌いになるには充分な要件が揃ってるけどね。でも、美紗子が言うようにあのニヤけ顔は本物よ」

 

 父さんを説得するにあたって、真昼ちゃんはそう言った。

 

 田中和宏をFishBowlに受け入れるに関しては、二つのことについて相談しなくてはならなかった。ひとつは新たな《家族》の受け入れについて、もうひとつはそれに関連して真昼ちゃんと井田隆徳が一緒に住むことだった。

 

 これで恋愛沙汰を持ちこまないという約束は二組同時に破られたわけだ。

 

 まあ、母さんと田中和宏の関係がどういったものかはわからなかったものの(母さんは否定していた。これはあくまでも若い芸術家の庇護だというようにだ)、父さんからすれば若い男がうろちょろしてるだけで充分な要件は揃ってるということになった。とくに小室恵介を思い起こさせる人間であればなおさらだ。

 

「俺はなにもくだくだ文句を言うつもりもないんだぜ。その会ったこともねえ奴が才能豊かであろうと、その辺のゴミみたいなもんであってもかまわない。それに、アレ――なんてったっけ? まあ、そのアレに似てるとかも別にどうだっていいんだ」

 

 父さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をしてそう言った。母さんの紹介でここに住むというだけで、どのような人間であるかなど聞く必要もなかった。ただそれだけで気に入らないのだ。

 

「でもなぁ、約束ってのは大事だよな。ここには子供たちだっているんだぜ。それに、真昼は非常任ったって学校の理事なわけだろ? そういう人間がなぁ、約束を破るってのはよろしくねえんじゃねえかなぁ」

 

「まあ、そう言われればそうよね」

 

 あまり刺激しないよう真昼ちゃんは同意してみせた。

 

「でも、子供たちだったら大丈夫よ。あの子たちも人を好きになるってのに馴れなきゃならない時期にきてるし、私と彼が一緒に住んだって、とくに動揺したりしないわ。美紗子とあのニヤけ顔もそういう感じではなさそうだし。――すくなくともご本人たちは否定してるしね。ま、馬鹿なマスコミ連中が嗅ぎつけたら、またいろいろとあるんでしょうけど」

 

「そう! それもある」

 

 父さんは膝を打つようにしてそう言った。

 

「それも良くないよなぁ。ようやく落ち着いてきたってのに、またああいった連中が来るのは良くない。なあ、こりゃ、やっぱりやめといた方がいいんじゃないか? いろんなことがそいつを住まわせるのをはばんでるんだ。な、やめた方がいいよ」

 

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