何年か前に
ふと
この国に生まれたんだから
一度くらいは
見といた方がいいんだろうなと
思ったんですね。

まあ、
見たからといって
なにかあるわけじゃないのですが
経験だけはした方がいいだろうと。

というわけで、
ちょっと前に行って参りました。



原爆ドームですね。

目の前にある
この建物というか
遺物というかを見て
抱いたごく単純な感想は
「思ったより小さい」でした。

それから、
なんとなくではあるけれど
自分みたいな者が
ここにいていいのだろうか?
なんてふうに思いました。

周囲には
他の国からやって来たであろう
旅行者がわんさといて、
それを眺めてると、
「アメリカ人はどういう心持ちで
 これを見てるのだろう?」とかも
考えましたね。

もちろん
直接の加害者(というのが
存在するのかもわかりませんが)
ではない彼らが
なにをどう思うかなんて
知ったこっちゃないですけどね。



子供たちも多かったですね。

彼らも
この崩れかけたまま
保存されてる物体を
どのように見てるのでしょう。

ま、
それもわかりませんね。
どんなものであれ
彼らの中になにかが
残りさえすればいいのでしょう。


しばらく周囲を歩き、
こういうのを見てると、

またもや
宣伝めいてしまうんですが、
『FishBowl』のある箇所を
思い出しもしました。

ちょうど
昨日終わりになった
第6章にあった文章です。

燃えてしまった木の根元には新しい枝が伸びはじめていて、それは《死》というものから自らを大きく引き離そうとしてるように思えた。いつかはそれらの木々や名前を知らない草たちが辺りを覆い、この場所で起こったことを隠していくのだろう。ただ、そういった僕の感傷も幾つもの《死》の対極として存在するものだった。人が近しい者の《死》から完全に影響を受けなくなることはないのだ

大量に人が亡くなるというのは
それがどういう原因からであれ
激しい圧力様のものを
感じさせますよね。

時の経過などは
その前では
なんの意味も持たないのでしょう。

そう、
僕はこう書いてもいました。

永遠のループに打たれた大きな楔

こういう存在を残しておくのは
この世界に
こういった
『楔』があるというのと、
それを
愚かな人間がつくりだしたというのを
知らしめるために必要なんでしょうね。

ただ、
そういった僕の感傷を
すこしだけ
溶かしてくれる子もいました。



わかります?

小さすぎてわからないですよね。



これで
わかっていただけたかしら。
鷺ですね。

《死》を
強く感じさせる場所にも
こうして
生きてる子たちがいるわけです。

で、
右の首を伸ばしてる子は
ひらりと
飛び降りて、

お食事をはじめました。

生き物の逞しさは
いつだって
馬鹿者の感傷を軽く打ち壊す
引き金になってくれるものです。

 

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