祖母は(心配はしていたらしいけど)追い打ちをかけるようにプレッシャーをあたえつづけた。

 長男は問題なかった。長女も、次男もだ。だから、同じようなプレッシャーをかけても問題ないはず――と考えていたのかもしれない。野球部を辞めたことによって空いた時間はすべて勉強にまわされることになった。そして、当然のように父さんの顔はさらに歪むことになった。

 父さんは頭脳に関して兄姉たちより劣っていると考えていたし、このことによって心の方も劣っていると思うようになった。そして、それは卑屈なコンプレックスになった。

 定量化することのできない心の状態を他者よりも劣っていると感じるのは誤った飛躍に他ならない。顔が歪んだだけでなく、この頃から父さんは悲観的に物事を考えるようになっていった。

 しかし、救いの手が差し伸べられなかったわけではない。

 ことここに至って祖父が動きだした。東京の病院に連れていくと称して父さんを母親から引き離しにかかったのだ。

 
『週に三回、親父とその病院に行くことになった。っていっても、実際に行ってたのは二回だけだった。火曜と木曜はちゃんと行ってたけど、土曜は親父がいろんなとこに連れていってくれたんだ。新宿御苑とか、上野動物園とか、大井競馬場とかも行ったな。もちろん、オフクロには内緒でさ。病院に行った帰りだって寄り道したもんだ。寄席に行ったり、映画を観たりしてから帰ってたんだ。

 地元ってこともあるけど、親父は東京が好きだったんだな。

 じゃなけりゃ、あんな田舎で暮らしてるのに嫌気がさしてたのかもしれないね。俺を連れまわっては「草介、よく見とけよ」って言ってた。「これが東京なんだぞ。お前はな、大きくなったらここに出てくるんだ。あんなとこにいつまでもいたら駄目だ。なにをするにしても、とにかく東京でやるんだ」ってな。

 俺は親父について行っていろんなもんを見た。そうしてたら顔の引きつりもひどくなくなってきた。

 ま、完全に治るってこともなかったけど、死んじまうんじゃないかってことはなくなったね』 
 
 祖父の行動はこのときにおける最良のものだった。

 それに、後に芸人となる父さんにとって、その期間に見聞きしたことは大きな財産にもなった。寄席で小さんの落語を聴き、演芸場で軽演劇を、映画館で『ギターを持った渡り鳥』なんかを観て、飲み屋で知らない大人たちのくだらない話を聞いたことは、そのときの父さんのためにもなったし、またその後の父さんをかたちづくる大きな要因ともなった。

『だから、親父には感謝してる。家じゃろくにしゃべりもしないし、そうやって俺を引っ張りまわすのがオフクロにたいする最大限の抵抗だったわけだけど、この親父は俺のことをちゃんと愛してくれてるし、その愛し方もきちんとしたもんだって思ったよ』
 

 しかし、祖母は相変わらずだった。『まるで同じ性能の車をつくる義務を負っている工場長みたい』に父さんを兄たちに近づけようとした。

 ちなみに、この引用は父さんの自叙伝的な本に書いてあったことだ。その本にはこう書いてもある。

『この世で一番キツイのは、愛情による罠なわけだ。そういう罠を仕掛ける奴は「お前の為を思ってやってる」とか言うんだ。五年後十年後を見越して、心配してるから言ってるってな。そのことはわかる。だから逆らえないんだ。

 でも、そういう連中はそのときにほんとうに必要なもんがなにかわかってないんだな。

 わからないくせに押しつけがましい愛情を振りかざすんだ。そういうのが人を歪めちまうんだよ。

 憎しみから発せられてれば、罠にかかった人間は逃れようとする。でも、それがどんなかたちであれ愛情から発せられてると感じちゃうと、逃れるのが罪のように思えちまう。それで壊れちまうんだ。

 ま、俺の場合は顔が歪んだ程度で済んだし、今となっちゃこれが俺のトレードマークみたいなもんだから悪くないけどよ。どんなに悪く思えることにも良い部分はあるってことだな。そういった意味ではオフクロにも感謝しなくちゃならねえのかな』

 

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