どうせそうなるだろうと思ってたけど小林からラインが来た。僕は出先でそれを見た。
『大事件が起こったようだな。詳しく聴かせろよ。いつもの店で待ってるぜ』
『これといって事件なんて起きてない。それに、いつもの店ってどこのことだよ』
 僕はそのように書いて送った。間髪入れずに返信があった。
『《monkey's paw》だ。いつものって言えばそこに決まってる。それと、隠し事はするな。俺にはすべてお見通しなんだ』
 それはスルーしておいた。面倒になったのだ。しかし、二分もしないうちにまたメッセージが入った。
『忘れてた。八時な。八時にいつもの店で会おう』

 小林が指定した《monkey's paw》というのは会社の近くにあるシガーバーで、地下にある非常に落ち着いた雰囲気の店だった。僕と小林はそこに二度ほど入ったことがあった。一度目は迷い込んだかのようにして入り、かなり場違いなことをした。二度目は長くつきあってた彼女に振られた小林を慰めようと僕が連れていった。二人でふっかりしたソファに並び、コイーバを燻らせながらなんだかよくわからない高い酒を飲んだ。そのとき小林はこう言った。

「な、これから『いつもの店』って言ったら、ここにしようぜ。なんか格好良くねえか? 女の子と一緒のときにさ、『じゃ、いつもの店にでも行くか』って言うんだ。それで、ここに来る。女の子はどう思う? 『きゃっ、こんな素敵なとこにいつも来てるなんて格好いいわ』って思うだろ? こりゃ、モテるぞ」
「お前な、昨日振られたばかりなんだろ? よくそんなふうに考えられるな」
 僕は青白いけむりを眺めながらそう言った。二人とも前を見ていたので小林の表情はわからなかった。
「こういうときだから言ってるんだ。俺は後ろは見ない。――うん、いいな。俺は後ろは見ない。定年退職したら、そういうタイトルの小説を書こう。そしたら、お前、読んでくれるか?」
「もちろん。読んでやってもいい」
「そうか。ありがとう、助かるよ」

 ――という心温まるエピソードを僕はすっかり忘れていた。まあ、忘れてもおかしくないくらいそれ以降の小林はいろんな女の子と遊びまわるようになったのだ。
 その日は僕が先に着いていた。店は空いていて、磨きあげられたガラスが三メーターほどつづくカウンター席には僕しか腰かけていなかった。糊のきいた白シャツに蝶タイ姿のバーテンダーは無表情に若干の微笑をつけ加えたような顔つきで立っていた。その背後には縦に四段あるガラス製の棚が設えてあった。僕は華奢なグラスに注がれたビールを飲みながら、そこに並ばれているボトルを眺めていた。

「待たせたな」
 小林は僕の背中を軽く張ると隣に座った。
「帰り際にハゲにつかまっちまったんだ。あのハゲ、なに言ってんかわからねえんだよ。まったく要領を得ない」
 バーテンダーが音もなく近づき目顔でオーダーを訊いてきた。《monkey's paw》では誰も大声を出さない。そういうルールになってるのだ。

「とりあえずは連れと一緒で。ああ、あとサーモンとタマネギの料理みたいのあったでしょ?」
「〈スモークサーモンのケッパー風味〉でしょうか?」と低い声のバーテンダー。
「ああ、それ。それもお願いします」
 頼んだものがくると小林はにんまり歪ませた顔をナプキンで覆った。それから僕の背中を三度ほど叩いた。

「なんだよ」
「しらばっくれるなよ。ラインで送っといたろ。俺にはすべてお見通しなんだぜ」
 ビールを飲み、遠慮がちに「ぷはぁ」と言ってから小林はスマホを取りだし、それを弄りながら話した。
「えらい変わり様だったそうだな。――ええと、これはメールで来てたよな。あった、これだ。『まるで別人だった』と、ほれ、書いてあるだろ?」
 小林は画面を見せつけてきた。あまりにも近くに持ってきたので僕は手で払うようにした。

「それからな、――ええと、これもメールだったよな。利香ちゃんからだから―― あった、これだ」
 ふたたび見せてきた画面にはこう書いてあった。『佐々木さんとお似合いだった(笑)』
「こういうのもあったな。ちょっと待ってろ」
 いや、待つ理由もないんだけど――と思いながら僕はピスタチオを頬張り、残っていたビールで流しこんだ。画面は目の前にきた。
『あの二人、デキてるの? だったらマジで笑えるんだけど』
 

 

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