平山三紀「ビューティフルヨコハマ」(作詞・橋本淳、作曲・筒美京平)
    「さよならのブルース」(作詞・橋本淳、作曲・筒美京平)~カップリング曲~
      (1970年11月10日発売)

平山三紀のデビューシングルです。
デビュー前の平山は、橋本淳と筒美京平がホテルニュージャパン内に構えていた宝島音楽事務所へ、歌のレッスンに通っていたが、そこで初めてのオリジナル曲『ビューティフル・ヨコハマ』と『さよならのブルース』を渡される。筒美は当初、バラードである『さよならのブルース』をA面に考えていたが、話し合った結果、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の続編的な路線を意識し作られた『ビューティフル・ヨコハマ』を、A面曲に決定。『さよならのブルース』はB面曲として発売される。
レコードジャケットの写真は、山下公園で撮影されたものである。また『ビューティフル・ヨコハマ』の二番の歌詞に出てくる人名「ハルオ」は橋本の息子(音楽プロデューサーの与田春生)の名前、「ゼンタ」は筒美の息子の名前である。
CBSソニーに移籍後の1975年にリリースしたベストアルバム『ヒット全曲集』には、新たにアレンジされた『ビューティフル・ヨコハマ』が収録されており、横山剣、近田春夫といったミュージシャンが、CBSソニー盤の本作をフェイバリットソングとして挙げている。

平山三紀は、柴田淳(シンガーソングライター)の母親と同級生でした。二人とも日本音楽学校に通っていて、歌手になる夢を持っていた。その当時、柴田淳が5歳の時でした。

平山三紀は、筒美京平のもとでレッスンを受けていた。相当厳しかったようで、レッスン中泣いてしまった。そしたら「泣けば良いと思って。。。」と言われた。泣いてしまってどうしようもないので「帰ります」と言って、荷物を全部持って帰ろうとしたら、事務所の人から「まぁ、まぁ」と止めに来た。その時にやめようと決めていた。こんなに怒られるくらいならやっていけないと思った。もし、やめていたら大ヒットをした「真夏の出来事」はなかった。
怒って感情を高ぶらせてから止めに来ると言うのは、みんなの手だったようです。

平山三紀は、黄色がトレードマークになっています。一度、占いをしてもらったら「あなたはブルーです」と言われた。そう言われた事が気になって、ブルーの服装で行ったら「黄色じゃないですか?」と言われてしまい黄色に戻した事があります。

1982年に平山三紀から平山みきに改名しています。

平山三紀「ビューティフルヨコハマ」





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