村上幸子「不如帰(ほとぎす)」(作詞・星野哲郎、作曲・桜田誠一)
               (1988年発売)

1988年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」を自らの勝負曲と位置づけたが、歌詞の一部が、当時昭和天皇が重体で「時期的にも適切な表現とは言えない」という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持っている(「不如帰」の歌詞中に「血を吐く…」という形容の表現があり、当時昭和天皇は下血・吐血を繰り返し、危篤と小康状態を往復していたため、このことを気遣った放送局は同曲の放送を自粛した)。後に「不如帰」は2006年に瀬口侑希がカバーした。

村上幸子は、1989年、喉部に大豆状のしこりが見つかり、検査の結果、急性リンパ腫と診断され入院。その間もリスナーなどからの激励の手紙が多数村上のもとに寄せられたが次第に病状は悪化、1990年7月23日、31歳で死去しています。
もし、生きていれば、演歌界を代表する女性演歌歌手になっていたと思います。村上幸子は、非常に上手くて味のある歌い方をする演歌歌手でした。亡くなるのが早すぎました。悔やまれます。残念です。

オリジナル歌手の村上幸子とカバーをしている瀬口侑季の「不如帰」を聴き比べてみてもらいたいです。






村上幸子「不如帰」



瀬口侑季「不如帰」(カバー曲)