昨日はお花見も兼ねて下町散歩。

まずは書道博物館に。

広島県立美術館で発見した「敦煌写本の世界」のチラシ、東京のいつも墓参りで訪れる鶯谷駅が最寄ということで、迷わず訪問。たどり着いた建物の正面には子規庵があって、そちらは開館日ではなかった。「病床六尺」を思い出す。きっとまた来る。

 

1900年に発見されたという敦煌莫高窟から発見された文書。井上靖の『敦煌』の世界ではないか!読んで何十年経っているだろうか。今でもひりひりするような緊迫感を忘れていない。

 

古くは西晋時代、南北朝から隋、唐まで、その年代を見て驚き、そのあまりにきれいな保存状態に驚く。書道博物館らしく解説は楷書にスポットがあてられている。

 

千数百年前とはいえ書いたのは人だ。美しい端正な文字のなかにも個性が出る。「人」や「大」などの右払いに特徴がある人、「一」の一文字にも個性が出る。書き終わりの山?と言っていいのだろうか、その形もそれぞれだ。丁寧に書かれたと感じる文字、リズミカルに書かれたような文字。書かれているのは今と同じ漢字。全体としてはわからなくても一文字一文字はわかる。中華世界の辺境で漢字を使う日本という国に生まれ育ったことの幸せを感じる。

 

本館の展示も充実している。甲骨文から青銅器や陶器、墓誌、石碑、仏像など所せましと並べられた展示物は多岐にわたっている。共通しているのは文字が刻まれていること。そこは徹底している。一つ一つじっくりと見ていると時間を忘れてしまう。

 

本館の展示を見終わると雨が降っている。庭の見学もできるが次の機会にしよう。雨に濡れた新緑の木々も美しい。次に訪れる時にはどんな表情を見せてくれるのか楽しみだ。

 

次は日暮里に移動し上野方面に向かって歩く。谷中霊園の桜はまだ見ごろだ。桜吹雪とまではいかないが、風を受けて花びらが舞う。雨もやんだ。通りには個性豊かな店が点在する。立ち寄ったのは、手作りのブックカバーのお店、お香のお店、古書店、ギャラリー。

 

昭和九年中央公論社刊、谷崎潤一郎著「文章読本」を入手。A5判より少しだけ大きい。老眼にもやさしい大きな文字で、基本は明朝体だが強調したい部分はゴシック体になっていて読みやすい。一般向けなので内容もやさしい。パラパラとページをめくるだけでやさしいだけでなく、今でも古びない充実した内容がうかがえる。これを読むと少しはましな文章が書けるようになるだろうか。

 

散歩の途中、東京国立博物館に行く時によく食べに行った「菜の花」という和食のお店の前を通ったが、なんと閉店していた。最後に行ってから五年以上経っているだろうか。もう食べられないと思うとあのお茶漬けの味が恋しい。

 

上野公園の桜もまだ見ごろだ。歩きながら花びらをつかまえようとするが、するりと逃げられる。黒門跡に流れる水の音を聞きながら、そこが激戦地だった時代を思う。歌舞伎でみた「将軍江戸を去る」で蟄居中の慶喜が苦悩し、司馬遼太郎の「花神」で描かれた彰義隊との戦いの舞台となった寛永寺の総門だった場所だ。ここまでが寛永寺だったのだ。長いの散歩の終点。

 

家に帰り、鶯谷駅前で買ったこごめ大福をいただく。白いのと草のものと一つずつ入っている。通常よりも小さい小粒。草の方はもう少し草の香りがほしかったが、おいしい。歩き回って疲れた体にしみる。書と桜と歴史の一日のしめくくりにちょうどよい。