TVerで「ソロ活女子のススメ3」第10話「ソロミュージアムで自分の感受性くらい…」を観た。いいなあ、このタイトル。茨木のり子の詩を入れてくるか。詩については触れられていないが、内容にぴったりだった。

 

東京国立博物館には何度も行った。もうじき上京して38年。上京後2年くらいと、ここ2年くらい行けてないが、それを引いて34年間に年平均3回行ったとして102回も行ったことになる。特別展に行くたびに図録を買っていた時期もあったのだが、置く場所がなくなって買わなくなった。でも、ここ10数年は厳選したものだけ買うことにしている。年々図録が分厚く豪華になっていて、本当に置き場所に困る。

 

トーハクの収蔵品で何が一番好きかと聞かれれば、長谷川等伯「松林図屏風」と迷わず答える。国宝が一点だけ展示されている国宝室に、それはあった。

 

「松林図屏風」をみるずっと前、この部屋で狩野永徳の「檜図屏風」をみたことがあ

った。その時も絵から放たれる迫力に圧倒され、立ち尽くしたことがある。

 

「松林図屏風」はそれを上回る力で私を引きつけた。国宝室に足を踏み入れ、視界に入っただけで、空気さえも支配するような、迫ってくるものがあった。

 

通常1月の限られた期間だけの展示なので、特別展を中心に来ている時には見ることができなかった。今は違うが、総合文化展の入館料が570円だったころ、年パスが2,000円で買えた。何年間か年パスを買って毎年のようにみた。

 

2020年、「桃山展」にて、楓図屏風、松林図屏風、檜図屏風が一堂に会したことがあった。私のトーハク史上、三本の指に入るほどの展示だ。コロナが蔓延する中、予約制で、この贅沢な空間にほんの数人しかみる人はいない。そして、この時の私は安部龍太郎『等伯』を読んだ後だった。永徳と等伯が並んでいる状況に打ち震え、泣いた。

 

私のトーハク史上、三本の指に入る展示の今一つは、2017年「運慶展」の無著・世親像が展示されていた空間。あの慈悲深い表情に救われた気持ちになって、あらためて仏像は信仰されてきたものだと実感したのだった。同じ空間の多聞天像に一目ぼれしたんだった。

 

「運慶展」には3回行った。基本的に美術館、博物館を訪れるとき一人なのだが、「運慶展」だけは1回目、2回目にそれぞれ違う友人と行った。運慶はそれだけ人を引き付ける魅力がある。3回目だけが「ソロ活」だった。

 

「自分の感受性くらい

 自分で守れ

 ばかものよ」

 

自分の感受性を守るため、また行くのだろう。

どこにも行くことができなくても、行ったことを思い出すだけでも、その時の感動がよみがえる。乾いた心に降り注ぐ慈雨。

 

3回目の「運慶展」は閉館時間までいた。晩秋の日暮れは早く、外に出た時にはもう暗い。2017年11月19日のことだった。日曜日、親子連れが目立つ日だった。その時の子どもが大人になって思い出し、どこかで運慶仏に再会してほしいな。