松濤園の四つの建物のうち残るは三つ。陶磁器館が思いのほか充実していたので、期待は高まる。

 

御馳走一番館では「朝鮮通信使が見た江戸文化」と題して、朝鮮通信使の旅の記録とと、江戸時代の風俗、主に写真が普及してからの時代のものであるが、通信使が見たであろう風景や人物の展示が並べて展示されている。彩色を施した写真が珍しい。

 

朝鮮通信使の行列は外国人を目にする貴重な機会であり、行列を模した祭りの模様や、花魁を行列に見立てた浮世絵なども残っており、江戸時代の一大イベントであったことがよくわかる。

 

当時の御馳走を再現した展示、通信使の衣装の展示もある。こちらは常時展示しているもので、かなり古さを感じる。

 

二階では人形を展示している。大きなケースの中に通信使の行列が再現されている。それよりも面白かったのが、各地に残る通信使をかたどった人形である。京都の伏見人形、大和出雲人形のほか、福島の三春人形、名前は忘れてしまったが、青森にも存在した。通信使の行列が行くはずもない所で人形が作られていたことに驚く。ぞんざ

 

ちょっと不思議だったのが、人形だけでなく各地の凧も展示されており、その中に朝ドラ「舞いあがれ!」に登場したバラモン凧があったことだ。こちらも通信使と関係あるということで展示されているのだろう。また、陶磁器館の展示替えがあれが再訪して確かめてこよう。

 

次は、あかりの館だ。建物は、山口県上関町で毛利氏に仕え大庄屋と呼ばれた吉田氏の邸宅を移築したものだそうだ。広い土間部分に世界各地のあかりが展示されている。オイルランプ、キャンドルスタンド、ランタンなど古いものから比較的新しいものまで世界各地から集められている。興味がある人なら面白いかもしれない。

 

座敷に上がると、古い家具が並ぶ。帳場、階段箪笥、船箪笥、布団箪笥など、中でも箪笥が充実している印象。古い建物に入って思うのは、日中でも暗いこと。戸は開け放っているが奥の方はそれでも暗い。

 

最後は蒲刈御番所。こちらは移築ではなく復元したもの。弓矢や鉄砲が展示され他の建物とは趣が異なる。

 

さて、全ての建物を見学し裏手に回って庭を散策していると、多分あかりの館の裏手だと思うが、面白いものを発見する。古い民具が無造作に置かれているのだ。石臼、千歯こき、背負子など。なかでも懐かしかったのが足踏み式餅つき機だ。

 

子どものころ、年末に親戚が集まって餅つきをする、それが足踏み式だったのだ。とても大きいもので、両側に二人ずつ大人四人で踏んでいたと記憶している。私は小さかったので踏ませてもらえず、大きくなった時にはもう使われなくなっていた。そんなことも思い出しながら松濤園を出る。

 

潮の流れは一見穏やかなようで、所々で小さな渦のように流れが変化している。その流れは今も昔も変わりはないだろう。松濤園の外には通信使が詠んだ漢詩が刻まれた石碑がある。航海の困難、もてなしの様子、故郷への思いが詠まれているそうだ。この地にその痕跡が守られ、記憶が受け継がれていてよかったと心から思う。

 

蘭島閣美術館では、呉市内の小学生が見学に来ていた。嵐のように展示室をさーっと流れるように見ていただけだったが、何か印象に残るものに出会えただろうか。歴史や文化に触れることは人生に必要な栄養だ。あの子たちの未来に栄養を与える機会になることを願う。