キヨちゃんの自分史63
2人の息子の母、会社員夫の妻
キヨが
自分を振り返り
自分史を書いています。
わたしのこれまでの軌跡に
どこかの誰かが
立ち止まってくれたら
なにかを感じてくれたら
嬉しいです
第4章・結婚して働くママ時代
31歳〜42歳の物語です。
前回記事はこちら↓
大きな地震に遭って
感じたことはたくさんある。
命の尊さはもちろんですが
人の優しさ、ありがたさを感じました。
たくさんの友達が連絡をくれた。
まだ余震で危険なのに、大学の建築学科時代の友人が、行政の調査が間に合ってないのを知り自宅と実家を見に来てくれた。
「どこかに支援金を送ろうと思ったけど
直接渡したくて」
と言って手紙とお金を持ってきてくれた子もいた。
わたしよりも困っている人も沢山いるのだし
直接的な被害はないから
お金をもらうなんて申し訳ないと思っていたら
手紙には
「怪我がなくてよかった。怖かったね。
好きなものを買ってね!楽しみに使ってね」
とあった。
楽しむ余裕なんてなかったから
気持ちが緩んだ。心から嬉しかった。
そして、こんな時、こんな言葉をかけられる人に、わたしもなりたいと思った。
他にも
「仕事をしばらく休んで、うちにおいで。」
と言ってくれた県外の友達が何人もいた。
その時のわたしは
仕事を休む選択はできなくて
立場上休めないと思っていて
(思い込みなんだけど💦)
それをしませんでした。
でも本当は逃げたくて
ホッとしたくて
仕事をほったらかして
余震のない場所へ行きたかったのです。
この時に思いました。
家族と自分を優先できる働き方がしたい!
まだ具体的ではないけれど
そう思い始めたのは
間違いなく地震に遭ったからです。
それから一年
結局またフルタイムで働きました。
地震のことは記憶から少しずつ薄れていました。
日常があるから。。
でも働き方については常に考えていました。
会社員である自分が落ち着くというのもあって
辞めることも、働き方を変えることもせず
居心地のいい場所にいたわけですが
働くママ 強制終了の日がやってきます。
色んなことが順調に進んでいたある日
のこと、、
続きます。
感じたことはたくさんある。
命の尊さはもちろんですが
人の優しさ、ありがたさを感じました。
たくさんの友達が連絡をくれた。
まだ余震で危険なのに、大学の建築学科時代の友人が、行政の調査が間に合ってないのを知り自宅と実家を見に来てくれた。
「どこかに支援金を送ろうと思ったけど
直接渡したくて」
と言って手紙とお金を持ってきてくれた子もいた。
わたしよりも困っている人も沢山いるのだし
直接的な被害はないから
お金をもらうなんて申し訳ないと思っていたら
手紙には
「怪我がなくてよかった。怖かったね。
好きなものを買ってね!楽しみに使ってね」
とあった。
楽しむ余裕なんてなかったから
気持ちが緩んだ。心から嬉しかった。
そして、こんな時、こんな言葉をかけられる人に、わたしもなりたいと思った。
他にも
「仕事をしばらく休んで、うちにおいで。」
と言ってくれた県外の友達が何人もいた。
その時のわたしは
仕事を休む選択はできなくて
立場上休めないと思っていて
(思い込みなんだけど💦)
それをしませんでした。
でも本当は逃げたくて
ホッとしたくて
仕事をほったらかして
余震のない場所へ行きたかったのです。
この時に思いました。
家族と自分を優先できる働き方がしたい!
まだ具体的ではないけれど
そう思い始めたのは
間違いなく地震に遭ったからです。
それから一年
結局またフルタイムで働きました。
地震のことは記憶から少しずつ薄れていました。
日常があるから。。
でも働き方については常に考えていました。
会社員である自分が落ち着くというのもあって
辞めることも、働き方を変えることもせず
居心地のいい場所にいたわけですが
働くママ 強制終了の日がやってきます。
色んなことが順調に進んでいたある日
のこと、、
続きます。
⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️