テリー伊藤さんとの対談… | きいちゃんのブログ

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ますます輝き続ける舟木一夫さんへの溢れる思いを。
他に、お芝居のこと、日々のこと、雑感、着物のこと…など。
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Asagei+plusさんの…記事です…

〜とっても素敵な記事です〜❤️


舟木一夫「最初はブルースを歌いたくて歌手に」/テリー伊藤対談(1)

2024年3月26日 05:56

 2022年にデビュー60周年を迎え、現在も精力的にコンサートツアーで全国を回る舟木一夫。しかし、この60年は決して平坦ではなかったと振り返る。華々しいデビー時から、ほとんど仕事ができなかったどん底の時代、そして、ファンや歌に対する思いまで天才テリーに洗いざらいを語った。

テリー 舟木さん、全然変わらないね。太ったりしないの?


舟木 太らないですね。時代劇をやる時にわざと太ったんですけど、70過ぎたら自然に元に戻りましたね。もともと太らない体質なんですかね。

テリー 髪の毛だってフサフサだし。

舟木 もちろん、ヘアダイはしてますよ。全然しなかったら、もう80%ぐらい白いですよ、きっと。

テリー それも格好いいけどね。

舟木 ただね、僕の場合、どちらかと言えば、ファンの方が若くいてほしいって。



以下…続きます…


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舟木一夫「デビュー当時は町を真っ直ぐ歩けなかった」/テリー伊藤対談(2)

2024年3月26日 05:57


テリー 大ヒットの後って町を歩けたんですか。

舟木 デビュー1カ月目ぐらいからは、町は真っ直ぐ歩けなかったですね。今でも覚えてますけど、デビューして3カ月目か4カ月目の時に「高校三年生」の映画のロケで、ラーメン1杯食べるのに40分ぐらいかかりましたからね。町内中に「舟木が来てる」って行き渡ってるわけですよ。で、1口食べては色紙にサインして。ラーメンなんか、もう伸び伸びでね(笑)。


テリー マンションのセキュリティも今みたいにちゃんとしてないですよね。ファンの人は家まで来なかったですか。

舟木 週末、特に日曜日になると、大体150人から200人ぐらい、サインや僕の写真を撮るために、泊まりがけで地方から出てきたり。それで僕の顔を見ると、写真撮るなりしてすぐ帰るんですよ。だから、そのために30〜40分早く起きて、毎日サインして出かけてました。

テリー それこそ舟木一夫がどこに住んでるって、みんな知ってたんですよね。



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舟木一夫「2年待ってくれと息子と約束した」/テリー伊藤対談(3)

2024年3月26日 09:56

テリー さっき30代40代ぐらいが自分と折り合いをつけるのが難しかったって言ってましたね。

舟木 そうですね。自分の殻から抜けられないんですよ。セミのように脱皮しようと思っても、「会社の営業上、それは絶対やってもらっちゃ困る」とか言われるものですから。


テリー 例えば何がダメだったんですか。

舟木 何て言うんですかね。今みたいに地でやるのがダメで。本名の上田成幸と舟木一夫の寸法が合わなくなってくるんですよ。そうすると、だんだん上田成幸の首が絞まってくるんですね。それで血流が悪くなって、半分体がしびれちゃって。20代の後半ぐらいから仕事を投げ出すなんていうことがありました。



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舟木一夫「昭和のお客さんに向かって歌うという受け持ちなんだなと」/テリー伊藤対談(4)

2024年3月26日 09:57

テリー 全国っていうのはコンサートツアーで?

舟木 一番最初は「銭形平次」の芝居と歌謡ショーなんですよ。その時は予算がないから、歌はカラオケだったんです。でも、どこも超満員で、「何、これ」って驚きましたね。


テリー みんな待ち望んでたんですね。お客さん、泣いてませんでした?

舟木 泣いてました。「高校三年生」や「学園広場」を歌うと男性のお客さんが。その男性の顔を見た時に「俺は幸せだ」と思いましたね。その時の「ああ、流行歌手でよかった」っていう思いは、その後の僕の芸能生活の大半を決めました。「あ、これでいいんだ」っていう。

テリー おそらく、その空白の15年間って、ファンの人たちも平坦な人生じゃなかったと思うんですよ。その人たちにも、きっとツラい人生とかがあってね。それを舟木さんと会って報告できるというか。そういう思いがありますよね。


舟木 だから、最近のコンサートに来るお客さんも男女を問わず、ご自分の青春を確認してらっしゃると思いますね。「確かにあの頃があった」っていうね。そういう思いに対して流行歌手は「『自分が何十年も前に歌った歌だからもう歌わなくていいや』なんて思ってはいけないな」と。やっぱり流行歌手は、現役を引退するまで、歌い続けていかないといけないんだなと思いますね。それが流行歌手の受け持ちなのかなと。

テリー それをできる歌手って何人もいないじゃないですか。青春スターって特別ですよね。

舟木 ですね。だから、いきなり大ヒットしただけに自分ではそこらへんがまるきりつかめてないわけです。自分だって、例えば三橋美智也さんとかハリー・べラフォンテとか好きで聴きまくってたのにね。「聴く側の思いはこうなんだ」っていうのをプロになると忘れちゃうんですよ。売れると余計そうですね。


テリー なるほどね。ここ最近ずっと舟木さんがコンサートに力を入れている理由がよくわかりました。今も全国ツアー中ですよね。

舟木 そうですね。2月2日の大宮からスタートしました。

テリー 今回はどんな内容になるんですか。

舟木 変わらないですね。今、1日1回公演で、だいたい年間50日くらいやるんですね。その中で「高校三年生」から最新曲までという流れなんですけど、不思議なことにどんどん新しい歌がいらなくなってきたんです。

テリー 何でですか。

舟木 もう僕は昭和の歌を昭和の歌い手が、昭和のお客さんに向かって歌うという受け持ちなんだなというのが、身に染みてわかりましたからね。どうしても何十年も歌ってきた歌い手だと、最後の方は「私はこうして歌ってきて、今の景色はこうで、これからも力強く歩いていきましょう」みたいな歌を歌いたくなるし、書き手も作ってくるんですよ。


テリー わかります。そういう歌って多いですよね。

舟木 でもね、おかげさまでヒット曲に恵まれてきましたから、「高校三年生」「高原のお嬢さん」「哀愁の夜」「絶唱」、そんな歌を置いてるともう1時間20分、30分って経っちゃって、入れるところがないんですよね。

テリー そりゃそうだ。

舟木 だから今は、とにかく皆さんが青春時代に帰れる歌、少女や乙女に戻れる歌、青年に戻れる歌、少年に戻れる歌、それを歌っていけばいいと思ってますね。

テリー ほんとにそう思います。素敵な人生ですね。


舟木 流行歌手になって、こんなに幸せな奴はいないかなと。だから、足腰と悪運が続く限りはステージに立っていたいなと思いますね。ほんとにお客さまのありがたみも身に染みてますから。「流行歌手でよかった」––。僕の人生はその一言に尽きますね。

テリーからひと言

 舟木さん、すごくいい話をしてくれたな。俺、実は途中でちょっと涙ぐんじゃったよ。今度僕のラジオにもぜひゲストで来てください。



ゲスト:舟木一夫(ふなき・かずお)1944年、愛知県生まれ。1963年、「高校三年生」でデビュー。累計230万枚の大ヒットに。同年、「第5回 日本レコード大賞新人賞」受賞、「NHK紅白歌合戦」に初出場。その後も「修学旅行」「学園広場」などのヒットを飛ばし、西郷輝彦、橋幸夫と共に"御三家"と呼ばれた。また俳優としてもNHK大河ドラマ「源義経」、連続テレビ小説「オードリー」、「銭形平次」(フジテレビ系)など多くの映画・ドラマ・舞台に出演。銭形平次の主題歌「銭形平次」も代表曲のひとつ。2022年に芸能生活60周年を迎え、現在も年間ツアーや座長公演を開催。「舟木一夫コンサート2024」を全国で開催中。「舟木一夫コンサート 2023ファイナル 2023年11月16日 東京国際フォーラムA」DVD&CD発売中。