皇后雅子さま誕生の日に… | きいちゃんのブログ

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ますます輝き続ける舟木一夫さんへの溢れる思いを。
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思いつくままですが、書いています。

皇后雅子さまが…お生まれになった…
1963(昭和38)年12月9日は…
どんな1日だったのだろうか⁉️

デイリー新潮さんの12/9の記事の中に…
舟木さんの名前が…⁉️
つい…見てしまいました…目

雅子さまがお生まれになった1963年12月9日には何が起きていたか 翌日の朝日新聞を紐解く


 皇后雅子さまは12月9日、60歳の誕生日を迎えられた。お生まれになったのは1963(昭和38)年12月9日、ご結婚は1993(平成5)年6月9日。つまり、雅子さまにとって今年は、還暦と結婚30年という大きな節目が2つも重なったことになる。

 改めて雅子さまの60年の人生を振り返ってみたいが、そもそも1963年12月9日とはどんな一日だったのだろうか。

 朝日新聞の縮刷版で、誕生された翌日にあたる12月10日の朝刊を調べてみた。すると1面トップは「全閣僚再任でスタート 第三次池田内閣」の記事で埋め尽くされている。当時の首相は「所得倍増計画」で知られる池田勇人だった。

「高度経済成長は1955年から始まり、雅子さまがお生まれになられた63年は、まさにその真っ只中でした。翌年にオリンピック開催を控え、短期的にも62年から64年にかけては『オリンピック景気』と呼ばれます。池田は記者から来年度の経済成長率を質問され、62年度が6%だったことを問題視、物価上昇を防ぐため消費を抑制し、7%に抑え込む考えを示しました。景気を抑え込む必要があるほどの好景気だったというわけで、国民の所得が伸びないのに物価だけが上がっている現在の経済状況とは全く違います」

 10日の記者会見では、日米関係の今後について質問する記者も多かった。これには理由があり、11月22日、アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディ(1917~1963)がダラスで暗殺。その衝撃がまだ覚めやらぬ頃だったのだ。

 10日朝刊のテレビ欄で最も目を引くのは、フジテレビが午後6時15分からテレビアニメ「鉄腕アトム」を放送していることだ。

 このテレビ欄だが、今とは全く違うレイアウトだ。紙面の半分はテレビのタイムスケジュールが掲載されているが、もう半分はラジオ欄なのだ。もちろんBSもCSもない。

 オリンピック前年ということで、観戦のためテレビを買った家庭は少なくなかった。この年のテレビ普及率は88・7%にまで達したが、まだラジオも人気を誇っていたことが紙面から分かる。

 芸能に目を転じると、雅子さまが誕生された9日の朝日新聞夕刊には、日本レコード大賞の受賞曲が発表されている。記事を引用しよう。

《ことしの日本レコード大賞は十九歳の新人歌手、梓みちよの歌う「こんにちは赤ちゃん」(キング)に決まった》

 歌謡曲「こんにちは赤ちゃん」は、作詞が永六輔、作曲が中村八大という“六八コンビ”の名曲として今も有名だ。他の候補曲には、舟木一夫の「高校三年生」や、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」などがあった。

(一部抜粋させていただきました…)

詳しくは…こちらで…



舟木さんのページを検索していたら…雅子さまのお写真が…びっくり

なんだろうと思い…

読み進めたら…

この年の…レコード大賞の発表のことでした…


新人賞受賞としか…受け止めていませんでしたが…

「こんにちは赤ちゃん」は、11月発売したばかり…「高校三年生」は大賞の有力候補だったのですねびっくり


Wikipediaを見たら…こんなふうに…

🔴第5回の大賞は、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」に決定した。梓みちよは初の受賞で、単独の女性歌手としても初の受賞となった。有力候補で同じく新人デビュー作品だった舟木一夫の「高校三年生」を抑えての受賞となり[1]、その舟木は新人賞を受賞した。梓は前年の11月に、舟木は当年の6月にレコードデビューしたばかりの「新人歌手」で、特に「こんにちは赤ちゃん」は楽曲自体が11月に発売後わずか1か月での大賞受賞となった。 

今回の大賞候補曲は、510曲に及ぶ応募曲から22曲に絞られた段階では梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、舟木一夫の「高校三年生」、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」、三沢あけみの「島のブルース」、フランク永井の「逢いたくて」が上位6曲で、他に舟木一夫の「学園広場」、西田佐知子の「エリカの花散るとき」、田端義夫の「島育ち」などが候補に挙げられていた[1]。決選投票で上位6曲に絞られ、「こんにちは赤ちゃん」が過半数の19票を獲得した[1]。「こんにちは赤ちゃん」の大賞受賞に際しては、この曲は歌謡曲かホームソングかという論議が起こったが、世相に合わせる形で受賞が決定した[1]


こちらから…



そのレコード大賞受賞発表音楽会の日に…

🔵昨年こんなこと書いてました…


 『学園広場』の美しい前奏が流れ、緊張の面持ちで一、二番を歌い進んだが、三番に入った途端、俯いた頬を溢れでた涙が幾筋も伝って落ちたーー。
 38年12月27日、東京・日比谷公会堂の第5回日本レコード大賞受賞発表音楽会でのハプニングシーンだ。
 一瞬静まり返った客席も、たちまち割れるような拍手と、「頑張って!」「しっかりね!」の声援に沸いた。
 続いて歌った『高校三年生』も、途切れがち。歌い終えて左手で涙をぬぐう舟木の背を、司会の芥川隆行が軽く叩いて慰めた。
 新人賞受賞のステージは、生涯忘れ得ぬ一ページになった。
レコード大賞新人賞‼️


こちらに…


舟木一夫という…

活字を見つけると…

つい…深追いしてしまいます…チュー