瀬川昌治監督が、
6月に亡くなられていたことを…
暮れの新聞の追悼欄で初めて…
知りました。
舟木さん主演のミュージカル
「アイ・ラブ・ニューヨーク」を
通して、瀬川昌治監督を…
偲んでみたいと思います。
(老衰のため死去、90歳没。)
東京生まれ。1960年に映画「ぽんこつ」で監督デビュー。その後、故渥美清さん主演の「列車シリーズ」などのコメディー映画を多く手掛けた。テレビドラマでも、山口百恵さんの「赤いシリーズ」や「スチュワーデス物語」など多くのヒット作品の演出に携わった。
大衆芸能に対する愛着をこめた舞台も数多く演出し、『東京浅草シネクラブ』、『午後の遺言状』などの演劇作品の他…
舟木一夫のミュージカル作品
アイ・ラブ・ニューヨーク
2000年2月18日〜28日 シアターアプル
〔神戸公演〕
2000年3月8日〜18日 新神戸オリエンタル劇場
や…
「アイ・ラブ・ニューヨーク」
パンフレットです。
私は…
シアターアプルでの公演を
初日、中日、千秋楽と
3公演見せていただきました。
舟木さんは…
「もうミュージカルは懲り懲り…」と
後におっしゃったようですが…
私はこの役がとても好きでした。
どうしても又…
「フランク兄ちゃん」に
逢いたい気持ちを抑えきれず…
新神戸の千秋楽に、
駆けつけました…
連休、春休み…
交通機関はどこも満杯…
入り待ちもしたくて…
夜行バスで…
(直通バスは満員で、電車と乗り継いで…やっとのことで…)
会場に着きました。
私はこの時、たくさんの素敵なことに
巡り会いました。
昼の部を見て…
その夜の部のことです…
急遽の事なので、
席は後ろから2列目でした。
今は亡き後援会長の藤谷さん、
そして、私の後ろの列、最後列には…
千秋楽のイタズラし放題の舟木さんを、
笑いながら見守ってらっしゃる
瀬川昌治監督がいらっしゃいました。
左側が、その時…
監督からいただいた直筆のサインです。
以下は、監督の寄稿文です。
この舞台の背景となっている1930年代のニューヨーク。
史上空前の株価の暴落をきっかけに始まった大恐慌のどん底から見事な立ち直りを見せて、40年初頭には再び世界経済をリードする大都会として蘇ります。その富と繁栄を象徴する摩天楼のビルがそびえ立つマンハッタンは、1626年、オランダが先住民のアメリカインディアンから植民地として買い取った島で、そのときの値段が何と40ドルそこそこの何とも驚くべき安さで、史上最大のバーゲンと言われています。その二束三文の土地が世界一の大都会に変貌したわけで、南北戦争後の19世紀後半に急速に発展のスピードを上げ、20世紀初頭からスカイスクレーバー、いわゆる摩天楼ビルの建設ラッシュが始まって、今日のニューヨークの規模が出来上がったのです。そしてここに特筆すべきことは、こうしたニューヨークの活気を支えたのは、当時、世界各国から流れ込んできたおびただしい数の移民たちだったということなのです。
もともとアメリカは「人種のサラダボウル」といわれるように大量の労働力を寛容に受け入れてきた国でした。当時、イタリア、ドイツ、オーストラリア、ハンガリー、さらに日本、中国、等々、母国の貧しい生活から逃れ新天地に夢をかけてやってきた移民達は、ハドソン河口の自由の女神像の直ぐ近くにあるエリス島という小島に収容されて、入国の審査を受けることになっていました。この島は地図で見るとマンハッタンの南西、1.5キロの海上にあり、移民達は遠くそびえ立つ摩天楼のビル群を眺め、夢と希望を膨らませて新天地への第一歩を踏み出していったのです。
以上は、今回の「アイ・ラブ・ニューヨーク」の脚本を執筆するときのメモをまとめたものですが、私は資料をあさりながら30年代の市民の半数以上が先に述べた多国籍の移民達で、彼らの多様な叡智、情操、そして夢ーーそれらが凝縮して創られた街がニューヨークであることに、改めて深い感動を覚えました。
舟木一夫さんの演じる物語の主人公、フランキーも、イタリア系移民で両親と共にニューヨークのスラムで育って「何時かはエンパイアビルの最上階のレストランで、ステーキを腹一杯食ってやる」と心に誓った少年時代の記憶をバネに生きています。そんな彼を、暖かく包み込む周囲の仲間たち。そして絶えず激励のメッセージを発信してくれる摩天楼のビル群。
現代の高度なテクノロジー社会では完全に風化してしまった「街と人々の連帯」ーー言うならば「街の心」のようなものを、このお芝居をご覧いただくお客様に感じ取っていただければ望外の幸せです。
と…結んでらっしゃいます。
ミュージックアドバイザーとして…
監督のお兄さんの音楽評論家の瀬川昌久さんもスタッフに名を連ねていらっしゃいます。
確か…この方のお話されたことだったと思いますが…
瀬川昌治監督は…
是非舟木さん主演で、
「ディック・ミネ物語」を
演りたいとおっしゃってると
お聞きしました。
監督は、
舟木さんの声に惚れられていたとか…⁈
私はとても期待していたのですが…
舟木さんが…
もうミュージカルは演らないと
おっしゃってらしたから、
実現しなかったのかもしれません。
最後に出演者が、
薔薇の花を投げてくださるのですが
(確か…そうだったと…)
この日、私は久野綾希子さんの
それをゲットしました。