あけましておめでとう

 

 

 あけましておめでとうございます。どうでもいいことしか書いていませんが、今年も読んでくれたらうれしいです。どうでもいいことを好きなように書くことができる、そしてだれかがうっかり読んでくれる、それが楽しいです。

 

 年末年始は「孤独のグルメ」を見まくった。テレビの再放送、大みそかのスペシャル、そしてYouTube。鬼のように見まくった。全部合わせたら10時間ぐらい。五郎さんのように虚心坦懐に、うまいものを食べてみたい。邪念なしに。

 

 去年を振り返ると、本当に大変な一年だった。何回も風邪を引き、秋には四十肩で悶絶し(これはまじでつらかった。寝返りを打てない、風呂に入れない、ベットから起き上がれない。あれは地獄だった。それで整骨院に行ったら鍼と電気とマッサージのフルコース。1週間ほど通って5万円ほどかかった。おかげで治ったのはいいが、今となっては保険適用されるマッサージだけでも治ったのでは? 鍼と電気は本当に必要だったのか? との疑念が胸を離れない。でも当時はそんなこと言っていられなかった。いくらかかってもいいから早く治してくれ! としか考えられなかった)、そのほかにも体力の衰えを日々感じていた。「きょうは体調いいなあ」と感じることができた日、あったかしらん。

 

 理由を考えると、若いころの感覚で押し切って大丈夫だと思うことが実はもうすでに大丈夫じゃなくなっている、ということに尽きると思う。これくらいの寝不足、これくらいの肩こり、これくらいの腹痛、これくらいの倦怠感、これくらいの揚げ物、これくらいの運動不足、これくらいのカップラーメン、これくらいの甘い物、これくらいのマクドナルド、これくらいのコンビニ弁当、そして、これくらいのお酒。

 

 大丈夫でしょ、寝て起きれば復活するでしょ、ちょっと休めば消えるでしょ。そうやって突っ込んで、実際にはやっぱりなんともならず玉砕する、という繰り返しだった。ちょっと体調が上向いたら油断して、落ちて、苦しんで、ちょっと上向いて、油断して。その繰り返し。

 

 40年ちょっと生きてきて、2023年は間違いなく一番悪い年だった。仕事納め前日の12月26日にアホほどお酒を呑んでへげへげになるまで酔っ払い(一次会で大五郎をがばがば呑んだのが特によくなかったのか)、大みそかにも妻の家族と一緒にそこそこ呑み、今はまだ体調アンダーザブリッジな感じだが、新年はもっと健康的に暮らしたい。

 

 今年は変えたい。謙虚に、自分の心と体に向き合い、無理をせず、頑張らず。

 

 そう、今年のキーワードは「頑張らない」。

 

 前にも書いたとおり、私は今年3月、会社の中で「花形」である外勤で挫折し、心身共に疲れ切り、体力の限界、気力もなくなり、地味な「内勤」に自ら希望して移動したわけだが、そのとき強く感じたことが「仕事は頑張ってはいけない」ということ。人生には、もっと頑張るべきことがたくさんある。子育てとか、家事とか、親の介護とか、趣味とか。究極的には大事な誰かを愛すること、愛を伝えること、と要約できると思う。

 

 「こんなに頑張っているのに」という気持ちは、自分の心を縛り、成長を妨げてしまうと感じる。頑張ろうが、頑張ってなかろうが、うまくいくときはうまくいくし、だめなときはだめ。「頑張った」という自分基準に、あまり意味はない。大事なことは楽しむこと。楽をすること。「いっぱい楽しんで、そこそこ稼ぐ」こと。私が仕事に求めることは、すごく楽しいか、楽に稼げるか、最低でもどちらか。両方満たせればなおよい。今の職場はどちらもまあまあ満たしてくれているので、まあ気楽に働いている。

 

 気楽に。楽しく。そしておいしいものを食べよう、無心で。そんな2024年。新年早々、大きな地震と津波があって、大変な思いをされている方々のことを思うと胸が痛む。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。数年前、コービー・ブライアントさんが事故で亡くなったとき、世界中の人が「RIP」という言葉を贈っていた。何だろうと思って調べたら、レスト・イン・ピース、安らかに眠れという意味だった。私も悲しくてどうしようもなかったが、「RIP」とツイートして祈る世界中の人々と精神的につながって少しずつ乗り越えた気がする。言葉は誰かとつながってわかりあって支え合って愛し合ってこのつらい世界を乗り越えて生きていくためにある。戦ったりあざけったり馬鹿にしたりだましたりおとしめたり追い込んだりするために生まれたんじゃないと信じている。ミスチルに「彩り」って歌がある。自分が幸せになること、楽しく働くことが、回り回って、まだ出会ったことのない人々や、世界や、地球や、宇宙のためになる。そんな年になると信じている。

 

 

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