今日は久しぶりに本業である三味線の話を。
実はこのブログ、三味線について語ろうと思って始めたのに、ほとんど語っていないことに気がつきました💦
小学6年生で初めて三味線に出会い、恋に落ちてウン十年、いまだその熱は冷めやらず、どころかますます熱を上げる日々です。
が、私の三味線遍歴の話はまたの機会に。
今日は、今も師匠について修行中の『長唄三味線』の稽古の日でした。
取り組んでいるのは『三曲糸の調(さんきょくいとのしらべ)』という曲。歌舞伎の舞台で玉三郎さんが演ずる「阿古屋」で有名な曲です。
三曲とは箏、胡弓、三味線の三つの楽器のこと。この三種の楽器を長唄三味線一挺で弾き分ける難しい曲です。
別名『難曲糸のもつれ』…
一曲弾くと30分以上かかる大曲ですが、ようやく譜面通りに弾けるようになったときに師匠が放った言葉が
『では、これから「三曲糸の調」をお稽古しましょう』
つまり、それまでは「三曲糸の調」の稽古ではなかったのです💦
ここからが本当のこの曲の稽古。
譜面通り弾けることは前提でしかない。
そもそも譜面に表せない音楽を便宜的に表記してあるだけなので、いくら譜面通りに上手に弾けてもそれは「三曲糸の調」ではないんです。
よく、AI(人工知能) vs 人間 という話がありますが、音楽の世界は人間が圧勝しますね!
今日の稽古で曲が少し見えました。
それまでじっとしていた曲が譜面から少し浮き上がった感じ。
氷の中で規則正しく手を繋いでいた水分子が溶けて水になり、動き出す瞬間のような感覚。
…ちょっと違うな
冬眠していた蛙が春になって鳴き始める感覚。
…これもちょっと違う
なんにもない砂漠を掘っていったら遺跡が現れた感覚。
そうそう、これです!
今までは、砂漠を掘っていた。
(譜面通りに弾けるよう、一生懸命練習しました)
あまり面白い作業ではなかったけれど続けていたら何かにぶつかり、さらに掘り進めたら遺跡が姿を現した!
(曲の全貌が立体的に目の前に広がり、曲の意味が少しわかりました)
実は、稽古帰りの電車の中で、この感覚が何なのか考えながら読んでいた本に、タイムリーに答えが書いてあったのです。
それは落語家の桂春蝶さんの
『春蝶の千夜一夜の物語(1)』
難しいネタを覚える話の中でこんな風に書かれていました。
以下引用
「地道な作業ですが、最初はだだっ広い砂漠のような風景だったのが、丁寧に堀り続けていくとやがてポンペイの古代遺跡のような発掘が見られます。その時に初めて楽しいと思えます。しかし、ポンペイは古代都市なので、発掘されてもその全容が明らかにされるのには、また何年も何年もかかるのでしょう。果てなく続くストーリーですよね。楽しいと思えるには演者はどれだけの苦しみを越えていかないといけないのか。気が遠くなりますが…(略)」
ジャンルは違えど三味線も同じです。
初めて曲が見えた日、
師匠 :「さぁ、これからこの曲、20年頑張りましょう!」
私 :「師匠! くれぐれもお体に気をつけて、長生きなさってくださいね」 (口には出していませんが)
※三曲糸の調
義太夫節《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》の〈阿古屋琴責(あこやことぜめ)の段〉を長唄に移したもの。景清の行方を追及され,三つの楽器の演奏を強要されながら音色に乱れを見せなかった遊君阿古屋が主人公。長唄では筋立てはほとんど述べず,箏・胡弓・三味線の手組みをすべて三味線で弾き,うたと間奏とを楽しむ純演奏曲になっている。歌舞伎の〈阿古屋〉でもこの曲が用いられている。
(杵屋六郎氏のブログより引用)