風邪とゾンビ
風邪のつらい点は、その症状自体もさることながら
「風邪だけど仕事しなきゃ」
「風邪に家事は待ったなし」
といった「風邪とはいえ免除されないアレコレ」の試練にこそ、症状+ストレスのヘトヘトがある。
休み前日、あと数時間で我が身は仕事から開放されるね、の本来ならばウキウキタイムであるはずが「なんだか、関節が痛くて顔がポッカポカ以上のホット感だね」と、尋常ならざる身体のダルくてアツくてそりゃモー状態であるならば「はやく家に帰りたいねぇ」と仕事への弱気感も満載で、この体の震えは寒気のようでもあり、一方、体を支え疲れた筋肉の叫びにも思える。やばいかな。
仕事を終えた帰り道。やばい想像は当たり、歩行は困難の苦行。通常歩行ペースではすぐに息が切れる。苦しい。ならば、息が切れないようにすればいいわけさ、と歩みスピードをウサギからカメ(人からゾンビ)へシフトダウンすれば、狙い通りに息は切れず。これは愉快愉快と咄嗟の機転に自画自賛しながら、シャイなゾンビ風味でフラフラ歩く。
我が前を歩くは150cmを下回るご高齢女性ペア。自転車も学生もみなこのペア(たんぽぽのタネ風ヘアスタイル)を抜いていく中、思案中のゾンビよろしく右手を口にあてた僕の歩みはたんぽぽペアに付かず離れずの一定感で、ペアと僕を結ぶ不思議な逆二等辺三角形は、ゆらり二艘の飛行船に導かれし広告幕(存美歓迎)のような隔世感。さぞやつつましい時速と予想。
こうしてフラフラの帰宅は、脱いだYシャツを洗濯機にいれることもできずの足元放置。気力ゼロでユルユルと室内着に着替えつつ「いかん、心が負けてはならぬ」と気合いをいれようにも、その叫びは
「ふぇーい」
と軟体動物のソレ。
さっきまで顔はホットだったのに、今は首筋から背中にかけて強烈なブリザードが吹き「あ、雪女さんに一息おみまいされると、こうして氷になるのかね」と未だ遭ったことのない伝説レディーに思考が及ぶ次第。冬だもの。
洗濯知らね、メシ知らね、今の僕はアイスマン、の状態で掛け声いさましく「ふぇーい」と骨抜きコンディションで布団にズブズブと体を埋めゆくと、そこで感じたのは「もうあとは休むだけ」の幸福感。
重力に一切の抵抗をやめた筋肉の脱力ぶりは、敷布団に面白いほど全身が沈むような錯覚で「重量のGってのはグイグイのGかね、まさかね・・・ふぇーい」と若干ながらクスクスするゆとりもうまれるポカポカの幸。掛け布団のフィット感はスキマなし。布団で眠るってのは、こんなにも気持ちが良いものか。
太もも:筋繊維がほぐれていくね、気持ちいいね
ヒザ:ひらちゃんを支えなくていいと、こんなに軽いんだね
首:意外とアタマも重かったよ、今は楽チンくん
僕:布団の中は、ポカポカだねぇ
と、全身から伝わる歓喜の弛緩は、あたかも良質の湯に体を浸らせているようでもあり、このフワリ漂う感覚の中で目を閉じれば、宇宙船フトン号が回転軌道の慣性に抗うことなくクルクルし続ける銀河の一員になったかのようでもある(あ、今も一員か)。みの、といえば、モンタではなく虫。
汗ビッショリで目が覚める。会心の睡眠。布団&睡眠ってのはこの世で一番の幸せであるね、と確信し、炭酸水のシュワシュワを喉が喜ぶまでイッキ飲みすると「クー!・・・ふぇーい・・・」とまだ若干のゾンビ感は残っているようで、着替えてまた寝るかと布団の誘いに身を任せたい衝動にかられつつ、湯冷め云々を承知でお風呂に入ることにする。
どうせ、空腹になったら外に出なければいけない。その時
「風呂はいってません、ゾンビですけど」
で歩く事は、この町の治安に影響を及ぼす懸念があり、よしんば楽観的に考えたとしても「ハロウィンって、この前おわったよね」的な視線を浴びかねない。ならば、ゾンビである事は仕方ないにしても、せめて体はキレイなクリーン・ゾンビでありたい。クリゾ推奨。
入浴を済ませクリーンになった時刻は「いよいよ明日は休みだね」と、休み当日と等価交換可能ともいえる前日のウキウキイブニングであるけれど、今の僕にとってはウキウキというよりもイテテテの関節痛やダルダルの倦怠感に頭クラクラが加わり、いかんいかんとあわてて安全地帯(=布団)に避難する。
そして重力に身を任せる幸福アゲインの中で、いやぁ危ないところだったね、と関節や筋肉を休ませながらゴロリ横向きになると、目に入ってきたのはカーペットに挟まっていた犬の毛。
そうだった、いつも一緒の布団にチミと寝ていたものだね、とあの頃を思い出すと、今まさに足元からガサゴソと犬があらわれ、我が顔をペロペロした後、我が腕元からお腹へと侵入し、体を寄せあいのポカポカで眠る幸せに包まれるような。ん?これは風邪か?風邪を装ってチミが遊びに来たのかな。それならいいな。布団もカーペットもソファも、あの時のまんまだよ。
こうして我が独自3連休は風邪と共にあり、メシ、フロ、ネル、ネル、ネルの繰り返し効果だろうか「そんなに良くしてもらったら、そろそろおいとましなくちゃね」と風邪が思ったのか、痛みもダルさも消えていき、かと思いきや今度は喉痛だの鼻ズールーだのと、あと少しで治りそうだけど治らず、の攻防に風邪ってばやるね、と思いつつカーペットのあちこちに目をやっては、犬の毛を探す楽しみもあり、心は犬で満たされるような感覚。グー。
風邪とはいえ、休みの日だから仕事なし家事放棄のストレスフリー。コホンと咳をするも一人。でも、これでいい。この状態で「咳をするも二人」とあっては、いよいよ「僕=アシュラ男爵」と脱ゾンビが人間への復活どころかよもやの方向に展開されることとなる。あぁ、せめてゾンビでありたいことよ。ま、伸びた髪を見ると、ゾンビというよりは、ろぼっ子ビートン悪役のメットおじさん風味だけど。
それにしても、こういう時に食べるシュークリームの何とおいしいことよ。シュー万歳。僕が中国人だったらシュー・マンセーという名にしていただきたい。あるいは、スイ・ミン。
そして今日は出勤。関節痛なし、ダルダルなし、喉痛なし、鼻ズルズル少々。金八先生のマネをする芸人さんのマネをして「このバカチンがぁ」とシャウトしたい鼻づまりコンプレス感だけど、いざ実行すると
ご近所Aさん:最近、変な声がしません?
ご近所Bさん;あ、それ、ゾンビの間からですよね
ご近所Cさん:あの、いつも窓全開の家ですか?
と、風邪で全てを失うことになる。よって自粛。
仕事中、このズルズルを耐えに耐え、艱難辛苦の末に帰宅して無慈悲&無遠慮で鼻チーン。この爽快感。この格別。よしよし、これで完治だな。でも、今日もタップリ眠ろう。めでたしめでたし。
「風邪だけど仕事しなきゃ」
「風邪に家事は待ったなし」
といった「風邪とはいえ免除されないアレコレ」の試練にこそ、症状+ストレスのヘトヘトがある。
休み前日、あと数時間で我が身は仕事から開放されるね、の本来ならばウキウキタイムであるはずが「なんだか、関節が痛くて顔がポッカポカ以上のホット感だね」と、尋常ならざる身体のダルくてアツくてそりゃモー状態であるならば「はやく家に帰りたいねぇ」と仕事への弱気感も満載で、この体の震えは寒気のようでもあり、一方、体を支え疲れた筋肉の叫びにも思える。やばいかな。
仕事を終えた帰り道。やばい想像は当たり、歩行は困難の苦行。通常歩行ペースではすぐに息が切れる。苦しい。ならば、息が切れないようにすればいいわけさ、と歩みスピードをウサギからカメ(人からゾンビ)へシフトダウンすれば、狙い通りに息は切れず。これは愉快愉快と咄嗟の機転に自画自賛しながら、シャイなゾンビ風味でフラフラ歩く。
我が前を歩くは150cmを下回るご高齢女性ペア。自転車も学生もみなこのペア(たんぽぽのタネ風ヘアスタイル)を抜いていく中、思案中のゾンビよろしく右手を口にあてた僕の歩みはたんぽぽペアに付かず離れずの一定感で、ペアと僕を結ぶ不思議な逆二等辺三角形は、ゆらり二艘の飛行船に導かれし広告幕(存美歓迎)のような隔世感。さぞやつつましい時速と予想。
こうしてフラフラの帰宅は、脱いだYシャツを洗濯機にいれることもできずの足元放置。気力ゼロでユルユルと室内着に着替えつつ「いかん、心が負けてはならぬ」と気合いをいれようにも、その叫びは
「ふぇーい」
と軟体動物のソレ。
さっきまで顔はホットだったのに、今は首筋から背中にかけて強烈なブリザードが吹き「あ、雪女さんに一息おみまいされると、こうして氷になるのかね」と未だ遭ったことのない伝説レディーに思考が及ぶ次第。冬だもの。
洗濯知らね、メシ知らね、今の僕はアイスマン、の状態で掛け声いさましく「ふぇーい」と骨抜きコンディションで布団にズブズブと体を埋めゆくと、そこで感じたのは「もうあとは休むだけ」の幸福感。
重力に一切の抵抗をやめた筋肉の脱力ぶりは、敷布団に面白いほど全身が沈むような錯覚で「重量のGってのはグイグイのGかね、まさかね・・・ふぇーい」と若干ながらクスクスするゆとりもうまれるポカポカの幸。掛け布団のフィット感はスキマなし。布団で眠るってのは、こんなにも気持ちが良いものか。
太もも:筋繊維がほぐれていくね、気持ちいいね
ヒザ:ひらちゃんを支えなくていいと、こんなに軽いんだね
首:意外とアタマも重かったよ、今は楽チンくん
僕:布団の中は、ポカポカだねぇ
と、全身から伝わる歓喜の弛緩は、あたかも良質の湯に体を浸らせているようでもあり、このフワリ漂う感覚の中で目を閉じれば、宇宙船フトン号が回転軌道の慣性に抗うことなくクルクルし続ける銀河の一員になったかのようでもある(あ、今も一員か)。みの、といえば、モンタではなく虫。
汗ビッショリで目が覚める。会心の睡眠。布団&睡眠ってのはこの世で一番の幸せであるね、と確信し、炭酸水のシュワシュワを喉が喜ぶまでイッキ飲みすると「クー!・・・ふぇーい・・・」とまだ若干のゾンビ感は残っているようで、着替えてまた寝るかと布団の誘いに身を任せたい衝動にかられつつ、湯冷め云々を承知でお風呂に入ることにする。
どうせ、空腹になったら外に出なければいけない。その時
「風呂はいってません、ゾンビですけど」
で歩く事は、この町の治安に影響を及ぼす懸念があり、よしんば楽観的に考えたとしても「ハロウィンって、この前おわったよね」的な視線を浴びかねない。ならば、ゾンビである事は仕方ないにしても、せめて体はキレイなクリーン・ゾンビでありたい。クリゾ推奨。
入浴を済ませクリーンになった時刻は「いよいよ明日は休みだね」と、休み当日と等価交換可能ともいえる前日のウキウキイブニングであるけれど、今の僕にとってはウキウキというよりもイテテテの関節痛やダルダルの倦怠感に頭クラクラが加わり、いかんいかんとあわてて安全地帯(=布団)に避難する。
そして重力に身を任せる幸福アゲインの中で、いやぁ危ないところだったね、と関節や筋肉を休ませながらゴロリ横向きになると、目に入ってきたのはカーペットに挟まっていた犬の毛。
そうだった、いつも一緒の布団にチミと寝ていたものだね、とあの頃を思い出すと、今まさに足元からガサゴソと犬があらわれ、我が顔をペロペロした後、我が腕元からお腹へと侵入し、体を寄せあいのポカポカで眠る幸せに包まれるような。ん?これは風邪か?風邪を装ってチミが遊びに来たのかな。それならいいな。布団もカーペットもソファも、あの時のまんまだよ。
こうして我が独自3連休は風邪と共にあり、メシ、フロ、ネル、ネル、ネルの繰り返し効果だろうか「そんなに良くしてもらったら、そろそろおいとましなくちゃね」と風邪が思ったのか、痛みもダルさも消えていき、かと思いきや今度は喉痛だの鼻ズールーだのと、あと少しで治りそうだけど治らず、の攻防に風邪ってばやるね、と思いつつカーペットのあちこちに目をやっては、犬の毛を探す楽しみもあり、心は犬で満たされるような感覚。グー。
風邪とはいえ、休みの日だから仕事なし家事放棄のストレスフリー。コホンと咳をするも一人。でも、これでいい。この状態で「咳をするも二人」とあっては、いよいよ「僕=アシュラ男爵」と脱ゾンビが人間への復活どころかよもやの方向に展開されることとなる。あぁ、せめてゾンビでありたいことよ。ま、伸びた髪を見ると、ゾンビというよりは、ろぼっ子ビートン悪役のメットおじさん風味だけど。
それにしても、こういう時に食べるシュークリームの何とおいしいことよ。シュー万歳。僕が中国人だったらシュー・マンセーという名にしていただきたい。あるいは、スイ・ミン。
そして今日は出勤。関節痛なし、ダルダルなし、喉痛なし、鼻ズルズル少々。金八先生のマネをする芸人さんのマネをして「このバカチンがぁ」とシャウトしたい鼻づまりコンプレス感だけど、いざ実行すると
ご近所Aさん:最近、変な声がしません?
ご近所Bさん;あ、それ、ゾンビの間からですよね
ご近所Cさん:あの、いつも窓全開の家ですか?
と、風邪で全てを失うことになる。よって自粛。
仕事中、このズルズルを耐えに耐え、艱難辛苦の末に帰宅して無慈悲&無遠慮で鼻チーン。この爽快感。この格別。よしよし、これで完治だな。でも、今日もタップリ眠ろう。めでたしめでたし。
フォホー:Banda Forró LegalとForró Pitanguinhas。
音楽。ライブ。フォホー。浅草「シュハスカリア キ・ボン」にて。2014/11/1(土)。
人生初フォホー。さてフォホーとは。「ブラジル北 東部(Nordeste)地方の民衆が楽しむ独特のリズムのことで、またそれにより演奏される音楽や踊り」とある。そうなのね。
バンド出演は2つ。Banda Forró LegalとForró Pitanguinhas。よろしくお願いしやす。
メンバー構成は、歌、ギター、ベース、ドラム(吊りスネア風)、そしてアコーディオン。プラス、曲によってはトライアングルやサックスの方も参加。
主にミッドテンポ、時にアップテンポで演奏されるその音楽性は、南米の民族音楽に心地よいリズムがズンと加わり、聴き手が身構えることなく心身にスッとはいってくる親しみや懐かしさは明るく、軽快、ほのぼの。
その音楽が続くと、ステージ前のフロアには一人また一人と踊る方々があらわれ、笑顔あり真顔ありの人それぞれで踊りをエンジョイ。
みなさんの上手な演奏であっさり聴いてしまったけど、個人的にはアコーディオンの音色が特にツボで、なめらか・クリア・あたたかみ、といった相反するような要素をずいぶんあっさりと実現し、端正なフレーズにのせて音色は次々と流れていく。この、なんと気持ち良いことよ。
メンバーの方々がイキイキと重ねるコーラスをカウントすれば、ステージ上の音色は楽器+歌+コーラスの七色以上。多彩な音色に加え「体を動かしたくなるスイッチ」を絶妙に突いてくるリズムバリエーションの乗数的な効果は、我も我もとフロアにやってくる踊り人の数やエンジョイの様子で可視化される。
この大きなうねりは、人々の心の中でリピートされるうちに加熱が究極を迎え、最終的には「前の人の肩に手を置いて」の電車的行進でほのぼのスパークする。店内の壁際をキ・ボン・トレインはのんびり進み、回り、笑う大人たち。
と書いた僕もトレイン乗車。たのしいたのしい。フォホーたのしい。
人生初フォホー。さてフォホーとは。「ブラジル北 東部(Nordeste)地方の民衆が楽しむ独特のリズムのことで、またそれにより演奏される音楽や踊り」とある。そうなのね。
バンド出演は2つ。Banda Forró LegalとForró Pitanguinhas。よろしくお願いしやす。
メンバー構成は、歌、ギター、ベース、ドラム(吊りスネア風)、そしてアコーディオン。プラス、曲によってはトライアングルやサックスの方も参加。
主にミッドテンポ、時にアップテンポで演奏されるその音楽性は、南米の民族音楽に心地よいリズムがズンと加わり、聴き手が身構えることなく心身にスッとはいってくる親しみや懐かしさは明るく、軽快、ほのぼの。
その音楽が続くと、ステージ前のフロアには一人また一人と踊る方々があらわれ、笑顔あり真顔ありの人それぞれで踊りをエンジョイ。
みなさんの上手な演奏であっさり聴いてしまったけど、個人的にはアコーディオンの音色が特にツボで、なめらか・クリア・あたたかみ、といった相反するような要素をずいぶんあっさりと実現し、端正なフレーズにのせて音色は次々と流れていく。この、なんと気持ち良いことよ。
メンバーの方々がイキイキと重ねるコーラスをカウントすれば、ステージ上の音色は楽器+歌+コーラスの七色以上。多彩な音色に加え「体を動かしたくなるスイッチ」を絶妙に突いてくるリズムバリエーションの乗数的な効果は、我も我もとフロアにやってくる踊り人の数やエンジョイの様子で可視化される。
この大きなうねりは、人々の心の中でリピートされるうちに加熱が究極を迎え、最終的には「前の人の肩に手を置いて」の電車的行進でほのぼのスパークする。店内の壁際をキ・ボン・トレインはのんびり進み、回り、笑う大人たち。
と書いた僕もトレイン乗車。たのしいたのしい。フォホーたのしい。
緊張をほぐして帰宅
仕事。頭、目、心、鉛筆などなどをフルフル使って、疲労ヘトヘトの残り30分。ここから、よっしゃ自分を追い込んでみるかと超絶ラストスパートで集中MAX。集中すると呼吸を忘れるのはシステムエンジニア時代の頃からのクセ。
肺:あの~
僕:なんでっしゃろかいな
肺:そろそろ酸素的なものが・・・
僕:はっ!ご、ごみんに!
とあわてて息を吸って再び集中集中。
圧力鍋で高温ギューギューの中にいるような集中状態も、周囲がバタバタしてきた音で仕事おしまいタイムとわかる。そうかそうか、では、今日はこの辺にしておこう。
思いっきり背筋を伸ばしきった後、りきんで数秒の全身プルプル→フェーイ(心のかけ声)。よし、おしまい、帰るナリ。
仕事中は幼児用プール(使用中)の空気パンパン的ハリキリフィーバーであるけれど、片付けをして帰るころにはプシューと空気を抜くような、はい、おつかれ。
もはや緊張も集中もそこにはなく、日中のキビキビ歩きも過去のこと。今やテレンコ右足&ダラリンコ左足。「今日もおわったねぃ」と油断すると思わず口が開くので、ここはきちんと閉じるお口チャック。
さて、自分をフルフル追い込んだ状態でそのまま帰宅すると、心の急激な気圧変化がうまくいかないこの不思議。緊張→弛緩とイッキにいくのではなく、緊張→緊張ほぐし→弛緩がこれベスト。特に今日はこの「緊張ほぐし」が必要、追い込んだから。
というわけで、今宵は一杯ひっかけて帰る。ドトールのエスプレッソ(お酒飲めず)。
家で飲むエスプレッソ風味(インスタントコーヒーの粉を山盛りの特濃バージョン)のおいしさは、完全にダラリンすればこそ。今は未ダラリン。まだ緊張と疲れがアツいので、ダラリンするために飲むよウグイス平安京。
トレーにエスプレッソをのせ、こぼさぬようノンビリと歩き着席。ここで「シュー」と息をはく、否、自然とはいちゃう。この儀式で緊張感が抜け始め、熱いエスプレッソをゴクリと飲む。うまい。目を閉じちゃう。この後「ゴクリ&シュー」と数回。
これで心の粗熱がとれたような、心地よい疲労だけが残ったような、いい気分。残りの疲労はシャワー&ごはん&爆睡できっちりゼロにする壮大な計画。あ、今日のシャンプーはティモテにするか、なんちゃって。
そして明日もガンバンビー。
肺:あの~
僕:なんでっしゃろかいな
肺:そろそろ酸素的なものが・・・
僕:はっ!ご、ごみんに!
とあわてて息を吸って再び集中集中。
圧力鍋で高温ギューギューの中にいるような集中状態も、周囲がバタバタしてきた音で仕事おしまいタイムとわかる。そうかそうか、では、今日はこの辺にしておこう。
思いっきり背筋を伸ばしきった後、りきんで数秒の全身プルプル→フェーイ(心のかけ声)。よし、おしまい、帰るナリ。
仕事中は幼児用プール(使用中)の空気パンパン的ハリキリフィーバーであるけれど、片付けをして帰るころにはプシューと空気を抜くような、はい、おつかれ。
もはや緊張も集中もそこにはなく、日中のキビキビ歩きも過去のこと。今やテレンコ右足&ダラリンコ左足。「今日もおわったねぃ」と油断すると思わず口が開くので、ここはきちんと閉じるお口チャック。
さて、自分をフルフル追い込んだ状態でそのまま帰宅すると、心の急激な気圧変化がうまくいかないこの不思議。緊張→弛緩とイッキにいくのではなく、緊張→緊張ほぐし→弛緩がこれベスト。特に今日はこの「緊張ほぐし」が必要、追い込んだから。
というわけで、今宵は一杯ひっかけて帰る。ドトールのエスプレッソ(お酒飲めず)。
家で飲むエスプレッソ風味(インスタントコーヒーの粉を山盛りの特濃バージョン)のおいしさは、完全にダラリンすればこそ。今は未ダラリン。まだ緊張と疲れがアツいので、ダラリンするために飲むよウグイス平安京。
トレーにエスプレッソをのせ、こぼさぬようノンビリと歩き着席。ここで「シュー」と息をはく、否、自然とはいちゃう。この儀式で緊張感が抜け始め、熱いエスプレッソをゴクリと飲む。うまい。目を閉じちゃう。この後「ゴクリ&シュー」と数回。
これで心の粗熱がとれたような、心地よい疲労だけが残ったような、いい気分。残りの疲労はシャワー&ごはん&爆睡できっちりゼロにする壮大な計画。あ、今日のシャンプーはティモテにするか、なんちゃって。
そして明日もガンバンビー。
