早速、連絡を頂いた2、3日後には、入所許可を頂いた施設へ手続きをしに出向いた。
病院からも、そちらの施設さんからも、なぜこんな急な展開をしているのかを説明されたのだけど、
何かよくわからない。
なんだか内部の事情が変わるから、変わる前の入所なら今すぐできるが、内部変更後は入所できない系の感じだった。
私の理解力、低い。
でも、決して悪い感じではなかった。
急展開すぎて、すっかり忘れていたのだけど、
散歩とか、外出とかはあるのか?
お菓子の差し入れはOKなのか?
を、今更ながら聞いてみた。
散歩は、コロナ禍では遠出はしなかったものの、園内の敷地内の花を見に外に出たりはしていて、今後はまた少し遠出の外出も考えている。
との事。
こちらの施設は立派な桜の木が数本あり、施設の周りは一瞬立ち止まってしまう程、見事にお花達が咲いていた。
お菓子の差し入れは、残念ながらダメだった。
なぜかというと、
食べ残したお菓子をずっとどこか、引き出しとかにしまって、本人も忘れていたある日、見つけて、食べて、あららのら〜。
など、いろいろと衛生面などの問題があるので、食べ物の差し入れは一切禁止となっている。
「えっ?じゃあ、おやつは出るんですか?」
と尋ねると、
おやつは施設で用意されているし、コロナ禍では中止にしていたが、月一くらいで、おやつバイキングなどをやるらしい。
おやつバイキング!
その時によって、羊羹の日、アイスクリームの日とテーマがあって、味が違うものを5種類位用意して、そこから好きなものを3種類位選べる。
お菓子系だけでなく、寿司でした事もある。
らしい。
そ、それ、私も参加したい。
特別養護老人ホームは、入所したらそのままその方が人生を終えるまでいる所なので、できるだけ楽しみながら生活して頂きたいと思っている。という事を伝えられた。
あぁ、良かった。
コロナ禍の間、ずっと一人で父の介護的な生活をしていた母に、父が亡くなった今、自分の好きな事をして、残りの人生を楽しんで欲しいと思っていた。
体はもう自分の思うようには動けないけれど、気分はハッピーで幸せを感じていてくれたら嬉しい。
その後、あまり記憶にないくらい、何枚かの書類にサイン&印鑑を、書き&押しまくった。
そういえば、身元保証サービスの方に契約する施設が変更になった事を伝えるのを忘れていた。
しまった!
と、思いながら、でも、緊急事態ですので。
日本の連絡先にサービスさんの名前を使わせて頂く。
もう、絶対契約しますし。
とりあえず、無事に契約書類の手続きは終わった。
家に帰り、速攻、身元保証サービスさんに事情を伝え、本契約したい事を伝えると、この契約は母本人がするという設定になるので、母本人のサインなどが必要になる。
との事。
出た。
要、本人直筆サイン。
とりあえず、施設の契約完了すぐに、母は入所した。
その頃はまだ施設での面会は一度に二人まで、15分以内となっていたのだけれど、施設の方にご協力頂き、身元保証サービスさん、サービスさん専属の弁護士さんと私の3人で、母との面会と、契約書サイン手続きをすることになった。
ところで、病院ではずっと面会全面禁止状態だった為、母に身元保証サービスの件など、全然、全く伝えていなかった。というか伝えられなかった。
唯一の「お伝えチャンス」だった退院&入所日、(この日はもちろん同行をお願いされた。)
そんな事、すっかり忘れる。
面会直前にハッと思ったが、後の祭り。
もうそのまま面会が始まった。
案の定、サービスさんと弁護士さんの二人を見た母は、物凄い警戒の表情をしている。
「あなた達、わ、私をどうする気?!」
という台詞の吹き出しが今にも出そうな、アニメ画にしたくなる程の殺気立った表情。
ヤベ…。
サービスさんと弁護士さんも不安顔。
とりあえず、「ごめん。事前に伝えるべきだったんだけどね…。」
と、一応の説明をしたが、母は終始警戒顔だった。
でも、サインはしてくれたので、良かった。
ありがとう、母よ。
サインが終わると、そこで母とは面会終了となった。
その後、身元サービスさんとの本契約の書類一式サイン手続きをする為、施設の方が、接客室を一室使わせて下さった。
説明を聞きながらと、質問をしながらサイン作業をしていたら、気が付くと1時間以上経っていた。
本来なら、後日改めてサービスさんの事務所などで行う手続きを、部屋を一室貸して頂き、そのまま手続きができて、とても助かりました。
本当にありがとうございます。
思えばここまで来るまでに、いろいろな試練的な事もあったけど、いつも誰かの助けやサポートがあって、辿り着く事ができたのだと思います。
本当に感謝です。
ずっと停滞していた事が、突然一気に流れ出し、この時点ではまだ出来ていない手続きもあったのだけど、とりあえず施設さん、サービスさんとの契約は済み、母は無事施設に入所することが出来た。
まさか、自分の人生の中で身元保証サービスさんに身元保証人の依頼をしたり、母が施設に入る事になるとか、去年の今頃なんて想像もしていなかった。
だって母は脳出血で緊急入院になるまで、近所のイオンに自転車で買い物とか行ってたし、その日もコロナワクチン打ちに行ってたりして、誰がこんな未来を想像できようか。って感じでした。
でもこの一件で私は本当に多くの事を学ばせてもらった。
どういう状況になっても希望は必ずある。という事や一見最悪と思う出来事も、少し時間が経過すると、あぁ、あの時こうだったから逆に助かった。という逆転劇になったり、幸や不幸って、結局は自分の受け止め方次第でどうにでも変換できる。という事を実感できた貴重なとても濃い、ありがたい時間でした。
母が施設に入所した数日後に、ニュージーランドから旦那と二人の子ども達が日本に遊びに来たのでした。