今回のイスラム国の拉致殺害の件について、メディアで大きく取り上げられている。


正しい情報もそうでない情報も入り乱れているかもしれない。また書き方もその記者にそれぞれによる。


できるだけ正しい情報を取得し、大きく取り上げられていることにもそのまま鵜呑みにする事に注意しなければならない。


拉致被害者の背景が取り上げられていることもある。


「無謀な入国だった」


「何のためにそんなことをしたのか?」


という声が身近で聞こえる。


そして、それが拉致被害者への中傷となることもある。


中にはそれを話のネタとする人もいる。


しかし、人の死に関わっていることで、中傷し、ネタとされていることには疑問を持つ。


その拉致被害者の家族を思うとそのようなことは言えない。


確かに、今回の拉致の問題は日本中、また世界を騒がせたかもしれない。


そのことについては議論の余地はある。


しかし、ある人はどこかに「あれは愚かな人間で、愚かな行為をしてしまった」という見方がある。


そのようにして、その人は自分が愚かと見る人を踏み台にして自分を愚かではないと立証しようとしている。


人の痛みを知るのは苦手で、自分が痛みを感じることにはものすごく敏感なのである。


それならせめて、黙っていてほしい。


人の痛みが分からないならそれで結構。


そのような中傷のことばは周りに悪影響を及ぼす。


今回のイスラム国の問題で、背後で何が起こり、人々がどのような影響を受けているのかを本当の大人は知り、判断して行動しなければならない。

今、キリスト教の立証について学んでいる。


その内容はキリスト教、もしくは聖書はいかに本物であるか、信頼性があるかを伝えることである。


例えば、古代の書物の写本はいろいろあるが、聖書は他の書物に比べて写本が圧倒的に多い。


このことから聖書は信憑性があると立証するのである。


このようなことを知識として勉強するのはいいのだが、この高い信憑性の上に乗って熱心に聖書の信頼

性を説き伏せようというのは、少し違うと思う。


写本の数が多いのは事実であり、信頼性は高まるのは確かだが、このデータに乗って自分の信仰がいかにも正しいように熱く語る姿は、かえって虚しささえ感じてしまう。


信仰は、人それぞれであるが、その人の信仰はそのデータに頼っていると言えないだろうか。


熱くなればなるほど、「弱い犬ほどよく吠える」ように見えてくる。


あくまでもデータの事実として伝え、自分の立場を明らかにするだけのことだと思う。


世界の人口の三分の一がキリスト教。2000年続いている。などいろいろあり、一つ一つははクリスチャンとして励まされることかもしれないが、決定的とは言えない。


あえて言うなら、私は、いのちがあることだと思う。


神はいのちの方であり、いのちを生みだし、よみがえらせる。キリストも肉のいのちで生まれ、よみがえられた。


私たちにいのちがあるのも、事実である。


人間には、肉のいのち、そして霊のいのちがある。


肉のいのちはやがて滅びるが、霊のいのちはキリストによって生かされる。


「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」 ヨハネの福音書 1章4節

台風の後、いかがお過ごしでしょうか?


涼しくなると期待していたものだけど、少し肌寒いぐらいになりました


長そでで過ごしています。


少しまだ強い風が残る中、日差しが緑にかかるのがなかなかいいです。


学校は夏休みが始まったみたいですね。


ところで最近またゴキブリが出ました。


前回と同様、寝るときに押し入れから布団を出そうとすると黒いやつが壁にいる。


洗濯して干しているシャツの上を逃げ回る。


もう一度選択しなきゃ。 もおっ!


右に左に逃げ回るゴキブリ。


窓の枠を走る。


今日は寒くて窓は閉め切っている。


ついにで動きをとめた。


かたく丸めた紙の棒でたたきまくる。


たたきまくる。


たたきまくる。


たたきまくる。


・・・・


なかなかしぶとい。


とどめの一発!・・・・


少し、見るに堪えない様子になったがやっと仕留めた。


週1ペースで出現するゴキブリ。


どこからやってくるのか?