N さんと、、、。  毎日のお昼は、付き合っていた が、毎日お弁当を作って持ってきてくれるようになっていた。 付き合っていた 1級下の は、藤枝南校卒業後、俺の勤めていた会社の近くにその頃出来た、機会部品かなんかを作る 「○○ジャパンっていう会社に就職していた。 新しい会社だったので、地元の若い子をたくさん雇っていて活気があったことを憶えているが、何年か後には、何らかの事情で経営が上手くいかなくなったのか、辞めてしまったようだった。 


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恋の矢

 お弁当には、たくさんのおかずが入っていて美味しかったが、何故か、ご飯はいつも、柔らかめだった。 聞くところによると、ご飯が柔らかめなのは、 のお父さんの好みだったらしい。 その頃からか、週末、お金の無いときは、お互いの家に泊まるようになっていた。 


 何月かは、しっかり憶えていなが、"毎月くるものが、来ていない"ことを告げられた。 びっくりっていうか、カナリ動揺したが、 は、腹をすえているようで、、、、近いうちには、”結婚”ってことも視野に入っていたし、、、でも、実際、、、すっごい、微妙な気持ちになったのは、紛れもない事実だった。 


 その頃までに悪友たちは、既に何組も”出来ちゃった婚”をしていたんで、俺も、、、、やっぱり、、、。・・・年貢の納め時かな?っと、一瞬、簡単に思ったが、、、、シッカリ考えてみると、いくら2人が結婚をしようと思っていたとしても、この急な出来事の中、両方の親から承諾を得るのは、カナリの労力を必要とすることだと考えられ、、、困惑した。 暇な時間が出来たり、床に就いたときには、いつも、どうしたら、最善かなぁーって考えていた。



自分の家では、母に告げ、 の家でも、お母さんに告げた。 当然だが、どちらも、青い顔をして、絶句したようだった。 それでも、何とか、力になって欲しくて、、、、、説得して、、、、理解してもらった。 

 何日か経ってから  のお父さんにお許しをえるために、藤枝の自宅に伺うことになった。 久々の緊張っていうか、経験の無いほどの重々しい空気の中、意思を固め、望んだ。 普段と違う変な空気の中、静まり返った玄関で靴を脱ぎ、、、奥の居間へと、、、、。 お母さんに促されて部屋に入って、、、正座して待った、、、しばらくするとお父さんが入ってきて、、、、挨拶を済ませた後、、、、 「○○さんと、結婚させてください !! っと、単刀直入に伝えた。 お父さんは、特別厳しい顔はしていなかったが、心中穏やかでないことは、同じ男として感じていた。 その後、なんて言われて、、、どういうことになったか、イマイチ記憶が無い、、、しいて言えば、、、うどん屋かっていわれたことが、妙に引っかかった。。。。そして、付き合うことは、認めるが、”出来ちゃった婚”、という、計画性の無い考えは理解されず、、、、今回は諦めろ!ハートブレイクっということだった。  は、横で泣いていたが、今回は諦めても、交際を認めてくれるのであるなら、建築的に物事を考え、経済力を持ってから、再び伺うことをお父さんに伝えた。 


 お父さんは、スピーカーのコーン紙を作る金型を成型している会社の社長さんだった。 決して俺の仕事の内容を卑下したりはしていなかったが、俺自身が何か、引け目を感じ、毎週の火曜日休み、毎日の早出、、、とにかく、改善して早いうちにもう一度伺わねばと思っていた。 今考えれば、仕事の内容うんぬんではなかったと思えるが、そのときは、真面目に勘違いしていた。 一日も早く仕事を変えなければと、、、。