トラックに積まれているのは、1食ずつ袋に入ったゆでうどん、そば、ヤキソバ、カタヤキソバ、生ラーメン、手もみ生ラーメン、アルミ容器に入った鍋焼きうどん、そば、中華鍋という名前のラーメン、餃子とワンタンの皮などなど。 あっ、細うどんっていう、ゆで麺も、、、、憶えているでしょ?ソフトメン。 焼津市の小学校にもソフトメンのお兄さんになって運んでもいましたね。


 朝、会社に行くと前日に自分で書いた注文書を持って冷蔵倉庫に入って、お客さんごとに商品をまとめ、”かし久”と黒い焼印を押された青や黄色のプラスチックのコンテナに入れていた。 この冷蔵倉庫には3名の番人が交替で勤めており、エスキモーのように完全防寒スタイルでまん丸になり、りんご病のように両頬を赤くしていた。 さすがにいつも寒い、寒いってぼやいていた。


 お客さんごとに商品を揃えるとトラックに積み直ちに出発。 その頃は、テレビなどのCMのお陰か、かなり売れていたのでスーパーでの陳列スペースはどこよりも広かった。 流行りだした”石松鍋”も売れていたが、1番売れていたのはどの店でも、1食ずつ袋に入った普通の”ゆでうどん”だった。 この静岡の中央にある中部地区の人は麺類に関しては関東よりなのか?お店に食べに行けば殆んどの人が”そば派”だったし、”うどん屋”などは無く”お蕎麦屋”ばかりだったのに何故か、スーパーでは、うどんが売れる、、、、ってことは自宅では、お蕎麦ではなく、うどんを食べていたということが不思議だった。


 もうひとつ面白い現象があった。 それは、天候や気温によって、うどんの売れる量が規則正しく変わるのである。 規則正しく出荷量が把握できるわけだから、毎日のうどんの製造も天気予報を見ながら、行われていたのである。

 天候が悪い日、気温が低い日にはうどんがよく売れるのである。 当然、冬はより寒ければ、寒さと比例してうどんが売れるのである。 知ってましたか? これって多分、今でも同じじゃないかと思います。 スーパーで毎日、顔を合わせるお豆腐屋のオバサンもシキシマパンやヤマザキパンのオジサンも同じように天候や温度で売れ行きが変わると言っていました。 


 あっ、そうだ、新聞に入ってくるスーパーのチラシには、お客さんを呼ぶために効果のある食材を安くして、表面に載せているのです。 うどんがっ?って思うかも知れませんが、実際、毎回チラシには”3玉100円”とか、って載せられていた。 広告に載せた日や気温が低い日にお店では、”前出し”っていって商品の並ぶショウケースの前に”かし久のコンテナ”を積み、その上に山のように玉麺を積み上げて売った。 


 焼津、藤枝地区にはたくさんのスーパー、、、、田子重、富士屋、ライフ、ジョイフル東海、がそれぞれ何店舗もお店を出していて、うどんだけでも1店舗、定番価格で、それぞれ日に100から300食は売れていたし、特売ともなれば300から1000食は売れていた。 今、考えても?嘘のようだが、その頃、流行りだした大型店舗近くにある小さな八百屋さんや、駅前付近の小さな八百屋さんでも、近くのスーパーが休みの日には、その大型店を上回るようにうどんの玉麺だけでも1000食以上毎回のように売っていた。 多分カナリの売り上げがあっただろうと思うが、今では、もうそんなことはないだろう。 客層っていうか、主婦自体、食生活自体が替わってきてしまったように思う。


 威勢の良い、かし久の若手3人組みは、そんな中、イケイケでうどんを売りまくっていた。 いけないことだろうが賞味期限切れで返品になった商品をスーパーで会う他の納入業者にくれてあげて、代わりにお豆腐、油揚げ、漬物、パンなどを毎日貰っていた。 楽しい、物々交換の日々だった。