熊本はチェンバレンの紹介でした。
南で温暖だし、丁度英語教師を求めている、と。
しかし、実際は夏暑く冬寒い気候。
西南の役で古き良き日本的な、たとえば古刹的なものは、かなり焼失していて、しかも軍都だったので、急速な欧化思想(西洋かぶれ)と富国強兵の波が押し寄せて、八雲的には全く良いところなし。
しかも、既に日本の教育にいくばくかの問題意識を持っていた八雲には、前任者の選んだ教科書が絶望的なものに思えたようです。
前任者はカソリック教徒だったので、嫌いだったようですね。また同僚の教師にも強い西洋かぶれのものがいて(同時に外国人排斥的)、かなり確執があったようです。
八雲にとってキリスト教が幅を利かす欧州は忌み嫌うもののようだったようで、周囲から日本の急速な欧化と軍国化のための助っ人として期待されている役回りというのは不本意だったのかもしれません。
それでいて、日本の教科書に大きな問題を感じていたところもあり、文部省と幾度もやりとりしますが、日清戦争を控え予算問題で四苦八苦する文部省にとり、教科書問題は優先順位が低く。
八雲はブチ切れて、熊本を離れ、神戸にジャーナリストとして赴任。神戸もまた西洋かぶれの街でした。
著者は、八雲がこの後の東大赴任後の講義録、多くの書簡、著作を通して、彼の文学の成り立ちや、著作の持つ霊性心性の依拠するところを解説していきます。
八雲は、文学者でありながら教育者で、一度はすっかり幻滅した日本であったものの、教育や学生とのやりとりを通して日本に対する理解を深めていったところもあるようで、妻節も彼に大きな影響を与えました。
化け物とは、八雲にとって、(中略)、宇宙に同時に存在するさまざまなものと自分との一体感を回復するためのきっかけでもあった。
(鶴見俊輔 日本思想の言語ー小泉八雲論)
という引用が、印象に残りました。
