サッカー⚽️のこと知らない。

でも、デビッド・ベッカムのことは知ってる。少なくとも世間を賑わしつつ活躍していた頃の顔は。

イケメンのサッカー選手としてしか実は認識していなかった。ビジュアルが良く、なにがしかのカリスマ性があると、実力がストレートに評価されるというシンプルな力学じゃなくて。過大評価やら、過小評価やら、色眼鏡やら、やっかみやら、なんやらかんやら色々混ざるのでややこしそう。

何の話かというと、Netflix配信の「ベッカム」。

デビッド・ベッカムの半生を取り上げた。

流石に人気選手だけあって豊富に映像が残っている。実際の映像とインタビューのみで構成されていた。

編集次第で出来上がりの印象は異なるし、あくまでサッカー軸で捉えた展開だとは思うけれど。人気者故に、何かと注目されて思い切り持ち上げられたかと思いきや、大バッシングを浴びるとか。そもそも家族ぐるみで追いかけまわされるとか。なかなか神経的に休まらない。

人気者故にマネーが集まる、そういうメリットもあろう。

しかし、1プレーヤーに過ぎないため、監督やオーナーなど自分以外の人に、活躍の場を決められてしまう。あくまで駒。

結局自分を表現できるのはプレーの中だけ。

アスリートは年齢的体力的限界が早い。引退して初めて、これをやろうというものを見つけ、自分にとり何が大事かと気づく。

まぁ、そういう内容だけど。

スケールこそ違え。

ビジュアルの良さやカリスマ性や秀でた才能などなかったとしても。

他者に翻弄されつつも、自分を見失いそうになりつつも、身近な人との間に亀裂が入りそうになりつつも、自分の居場所を探し続ける姿勢は参考になる気がする。

チャーリー・ブラウン(スヌーピーというべき?)の名言に。

「配られたカードで勝負するっきゃない。」

そういうのがある。

トランプなどのゲームで、イマイチなカードしか配られなかったら、がっかり😞。でも、やり取りでいいカードが巡ってくるかも。いやいや、巡って来なくても、それでゲームをするしかない。

素晴らしいカードが配られても、それで却って苦労するかもしれないし、うまく使いこなせなければ、宝の持ち腐れだ。

与えられたものを、結局どう使うかが、人生の醍醐味なのかな。

まぁ、そう気づいた時には人生終わりかけじゃん、そういうのが多いんだけどね😓